2022年5月10日火曜日

5/8こども説教「恵みと平安」ピリピ1:1-2

 5/8 こども説教 ピリピ手紙 1:1-2

恵みと平安

 

1:1 キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。          (ピリピ手紙 1:1-2

 

 

 【こども説教】

キリスト教会の中にはいろいろな務めや役割を任せられた人たちがいて、「牧師。長老。執事。監督」などと呼ばれます。それらは、まるで何か偉い人たちの肩書や地位や権威のように間違って受け取られることもあります。いいえ。そうではなく神さまにこそ仕えて、まわりの人たちの世話をしたり、心配りをしてあげる役割です。救い主イエスご自身が、「あなたがたは先生と呼ばれてはならない」と注意をし、また、「偉くなりたいと思う者は仕える者となり、しもべとなりなさい」(マタイ20:26-27,23:8と厳しく注意をしました。牧師という肩書も、「人間は、神さまに養われて生きる羊たち。その人間たちの世話をする羊飼い」という意味です。互いに持ち上げたり、見下したりし合う中で、神さまこそが良い先生で、神さまこそが誰よりも偉いことが分からなくなってしまうと困ります。何をしていても、いつでも神さまを忘れて、自分自身や人間同士のことばかり思い悩んで、もし、神さまを思う暇がほんの少しもなくなってしまうなら、とても困ります(マタイ16:23参照)。神を信じるクリスチャン皆は、「キリスト・イエスのしもべ」だと、最初に語られました。これが信仰の一番大切な中身です。救い主イエスにこそ聴き従って生きる中にこそ、神さまからの恵みと平和があります。ですから、「人間に従うよりは神に従うべきだ」(使徒4:19,5:29と、大人も子供も誰もが皆、よくよく気をつけつづけます。神さまからの恵みと平和がすっかり無くなってしまわないために。このピリピ教会も崖っぷちに追い込まれていました。だから、この手紙が届きました。

 

 

【大人のための留意点】

「しもべ」というのは「奴隷(どれい=①持ち主の私有物として労働に使われ、牛馬同様に売買された人間、②ある物事を至上のものと考え、それを守りつづけようとすることしか考えられない人。「金銭の―/名誉心・権力欲の―など」)」のことです。「奴隷」というのは、ずいぶんいやな身分です。けれどもその頃のイエスさまの福音はローマ帝国の中の大勢の恵まれない奴隷たちの中に入ってゆきました。この手紙をもらったピリピ教会の中にも、多くの奴隷の身分の人もいたはずです。ですから、そういう人たちは現在わたしたちが感じるより、もっと身近な実感をもってこの風変わりな肩書きを聞いたでしょう。

わたしたちは人の奴隷・お金の奴隷・権力の奴隷・欲望の奴隷になってはいけないと言います。人間はどのようなものの奴隷にもなってはいけません。けれども、本当に私たちが自由になり、解放されるのは、何によるのでしょうか。

わたしたちがたった1つ、なってよい奴隷があります。それは「イエス・キリストのしもべ(奴隷)」です。わたしたちは(神の福音の)真理に従わねばなりません。わたしたちにも、何かが主人になっていませんか。自分が主人だったり、お金が主人であったり、物や名誉心が主人だったりしていませんか。その時、わたしたちはそういうものの奴隷なのです。しかし、イエスさまがわたしの主人であるなら、私は本当にすべてのものから自由で、かえっていろいろなものを自由な心から用いることができるでしょう(『喜びの手紙 ~ピリピ人への手紙による信仰入門~』蓮見和男、新教出版社 1979年,該当箇所)