2022年5月23日月曜日

5/22こども説教「キリストの日に備えて」ピリピ1:8‐11

5/22 ピリピ手紙 1:8-11

 『キリストの日に備えて』

 

1:8 わたしがキリスト・イエスの熱愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神である。9 わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、10 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、11 イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。                   (ピリピ手紙 1:8-11

 

 

 【こども説教】

 神さまを信じる私たちの信仰は、少しずつ成長してゆきます。神さまが成長させてくださろうと願って、そのように養い育て続けていてくださるからです。9-10節、「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ」と、その成長の様子と中身が教えられます。まず、「深い知識」について、聖書の別の箇所で分かりやすく説明しています、「わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである」(ローマ手紙10:2-3)。神の正しさを知らないで、「自分は正しい、正しい」と言い張りつづけるようなら、その信仰の知識はとても浅すぎると言われます。また、その知識が「神ご自身の正しさや御心」に従おうとするものなのか、そうでないのかは、その正しさが他の人たちから受け入れられないときにはっきりと分かります。もし、そこで、とても嫌な気持ちになり、腹が立つようなら、その考えは「神の正しさや御心」ではなく、「自分の正しさ」を言い張ろうとする浅すぎる知識や自分の腹の思い(ローマ16:18,ピリピ3:19から出ていることがはっきりと分かります。

 ですから、神の御心にこそ素直に聞き従って生きる「深み」へと、少しずつ少しずつ神ご自身こそが私たちを連れて行ってくださいます。他のどこにもない格別な幸いが、そこで私たちを待ち構えています。

 

 

 

 【大人のための留意点】

 愛のない祈りは、自分勝手で、まるで空気に向かって怒鳴っているように、からっぽでしょう。反対に、祈りのない愛は、とかく、ひとりよがりの愛になってしまいます。わたしたちは、人を愛するときも、神さまのお力を借りなけくてはなりません。神さまから力をいただいて、初めて敵をも愛する力が出てくるのです。私たちは、物が無くなったり、健康がそこなわれたりすると、非常に慌てふためき、思わず知らず「神さま」といって祈りますが、信仰や愛が足りないことで祈るでしょうか。……本質的なもの、重要なもの、一番たいせつなものを見分ける眼が、わたしたちにはあるでしょうか。案外、つまらないものに囚われて、腹を立てたり、イライラしたりしているのではないでしょうか。現在とてもたいせつに見えても、最後にはつまらない土くれ(=土のかたまり)すぎないものもあります。今はつまらない価値のないものに見えても、最後にイエスさまがいらっしゃるとき、ほめていただけるものがあります。神さまの愛をあらわし、隣人を心から愛してゆけるものです(『喜びの手紙 ~ピリピ人への手紙による信仰入門~』蓮見和男、新教出版社 1979年,該当箇所)