2016年4月18日月曜日

4/17こども説教「主イエスにだけ仕え、主イエスにこそ聞き従う」ルカ4:5-8

4/17 こども説教 ルカ4:5-8                
 『主イエスにだけ仕え、主イエスにこそ聞き従う』 
      ~荒れ野の誘惑.2

4:5 それから、悪魔はイエスを高 い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。      (ルカ福音書 4:5-8)


 荒れ野で主イエスが受けた2つ目の誘惑です。悪魔は、救い主イエスに世界の国々を見せて、こう誘います。「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、それを全部あなたのものにしてあげましょう」と。私たちのこの世界には罪と悲惨もあり、片隅へ片隅へと押しのけられて惨めさや心細さを噛みしめる小さな人々も沢山います。悪魔の眼差しは、けれども、この世界が背負っている罪深さや惨めさには向けられません。目に入らないのかも知れません。見て見ぬふりをしているのかも知れません。私たちの救い主は、世界とこの私たちの罪を取り除くために来られました(マタイ1:21)。このお独りの方は、やがて私たちをご自分のものとし、私たちの主となってくださいました。けれど、悪魔にひれ伏し拝むことによってではなく、十字架の苦しみと死をもって悪魔の支配を打ち倒すことによってこそ。
 この世界の権力と栄華は、好きなように思い通りに振る舞って他の人々を従わせる大きな強い力や、お金や豊かさや地位や名声は、悪魔に任されているのでしょうか。本当に? もしそうであるならば、私たちは、この世界で豊かさや喜びを手にしようとするなら、よい評判や地位をえたいと願うならば、悪魔に魂を売らなければならないことになります。あるいは妥協して、ほんの少しは、悪魔やほかの様々なものを拝むことや、ひれ伏して誰かの言いなりにされたり、人の顔色をうかがってビクビクすることも我慢しなければならないことになりますね。そうでしょうか? 一国の大統領や王様が握るような巨大な権力や繁栄があります。また、ごくささやかな権力と繁栄があります。どんなに小規模な集団やサークルの中にもボスがおり、小さな子供たちの世界にも、例えば保育所や幼稚園の子供たちの中でさえ、彼らなりの彼らのためのこじんまりとした、ささやかで小さな権力と繁栄があります。驚くべきことです。私たちはこうして権力と繁栄と地位と良い評判が欲しくて欲しくてしかたがない人々の世界の只中に生きており、そういう気分は、職場にも、一軒の家の中にも、そしてキリストの教会の現実的な営みの中にも忍び込んできます。けれど、キリストの教会よ。主イエスの弟子たちよ。ここに小さな親分たちや小さな小さな子分たちを作ってはいけません。誰も、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶったりいじけたり、恥じたり恥じ入らせたりしてはなりません。なぜ? 救い主イエスこそが、この世界全部と私たちとのただお独りの王様であるからです(*)。私たちがよく知らされてきたとおりに、天に主人がおられます(マタイ11:27「すべての事は父からわたしに任せられています」,17:5「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」,28:18「わたしは天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。だから」,ローマ14:9,コロサイ4:1。子供のための交読文は告げています;「あなたは神からの救いとともに、ほかからの救いも望みますか?」「いいえ。神にだけ救いを願い、神にだけ仕えます」(当教会,こども交読文3)「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら」(ローマ手紙10:9参照)、その人は救われます。だからこそ主イエスにだけ仕え、もっぱら主イエスにこそ聞き従いつづけて生きる私たちです。


   【割愛した部分の補足】
(*)天の御父から、天と地のいっさいの権威を救い主イエスは授けられ、王としてこの世界を統治しつづけます。世の終わりまで、主イエスの統治がつづきます。そのことを、わたしどもはよくよく覚え、魂に深く刻み込んでいなければなりません。主イエスが洗礼を受けたときと、山の上で姿が変わったときと、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなうものである。だから、これに聞け」(ルカ3:22,9:35を参照)と二回もつづけて念を押されました。キリスト教の信仰とは、主イエスにこそ聞き従って生きることであり、そこから格別な生命と幸いを受け取りつづけることです。






 ◎とりなしの祈り

 教会と全世界のかしらであられます主イエスの父なる神さま。罪と肉の思いから私たちを日毎に救い出し、主イエスの復活の命にあずかって新しく生きる私たちとならせてください。
 主よ。この国の政治家たちのせいばかりではなく、私たち自身に大きな責任があります。神さま、申し訳ありません。3月末に施行されてしまった安全保障関連法は、誰の平和も安全もほんの少しも保障せず、かえって脅かしつづけます。自衛隊を、思いのままにどこででも戦争できる軍隊に変えてしまいました。この国と私たち自身が深く悔い改めて、自衛隊員たちが無駄に人を殺したり殺されたりし始める前に、とても悪い法律をなんとかして廃止することができますように。また、日本中が人の住めない荒れ果てた不毛の土地になってしまう前に、手遅れになってしまう前に、すべての原子力発電所を止めて、新しく歩みはじめさせてください。なぜなら福島原子力発電所事故はまったく収束しておらず、収束する見込みもなく、いまだに壊れた原子炉の中で何が起こっているのかほとんど分かっておらず、高濃度の放射能汚染水を毎日大量に海に垂れ流しつづけ、誰一人もそれをコントロールできずにいるからです。しかも「収束した、コントロールできて安全だ」と言い張り続けるだけで、電力会社も原子力管理委員会も国家も、誰も責任を負おうとしないからです。また、米軍基地を押し付けられ、ないがしろにされつづける沖縄の同胞たちの怒りと苦しみに、私たちも目と心を向けることができますように。日本で暮らす外国人労働者とその家族の生活と権利が十分に守られ、尊ばれる社会に、この国をならせてください。貧しく暮らし、身を屈めさせられている多くの人々がいます。年老いた人々にも子供にも若い者たちにも、どうか神さま、生きる喜びと確かな希望を見出させてください。彼らの喜びと悲しみを、どうか、私たち自身の喜びと悲しみとさせてください。
  主なる神さま。ですから。私たちを今こそ地の塩、世の光として用いてください。互いの愛と慈しみを育み合い、子供を精一杯に養い育て、互いによい友人同士であらせてください。富と豊かさと、目の前の損得にばかり執着し、そのことに目も心も奪われつづけることから、私たちをすっかり解き放ってください。エゴが支配する世界ではなく、エゴと自己中心の思いを捨てた世界を、この私たちに造り上げさせてください。あなたの御心にかなって生きることを、この私たちにも本気で願い求めさせてください。

 主イエスのお名前によって祈ります。アーメン