2020年12月21日月曜日

12/20こども説教「わたしが迫害者だったころ」使徒22:1-5

 12/20 こども説教 使徒行伝22:1-5

 『わたしが迫害者だったころ』

 

22:1 「兄弟たち、父たちよ、い ま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。2 パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。3 そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。4 そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。5 このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った。         (使徒行伝22:1-5

 

 この1節から21節までパウロからの語りかけがつづきます。でも途中でほかの人々の邪魔が入って、途中なのに話は打ち切りにされます。その21節までの中身を4回に分けて味わい始めます。今日は、まず5節までです。

 神ご自身の救いのお働きを受けた自分自身の事情について、パウロは打ち明け始めます。1節。集まっているユダヤ人たちに対しては「兄弟たち」と親しみを込めて呼びかけ、その指導者たちに対しては「父たちよ」と相手を尊ぶ礼儀正しい語りかけで。ヘブル語で語りかけたことには理由があります。ヘブル語は先祖たちが長く使いつづけた、自分たちの国の、昔からの古い言葉です。(ユダヤの国は他の国々に何度も滅ぼされて、人々は散り散りバラバラに世界中に追い散らされて長いあいだ暮らしてきたこともあって、昔からの古い言葉を話すことも読むこともできなくなった人たちが大勢います。だから)その古い言葉をよく使えるのは、昔からのユダヤ人の信仰の教えをよく受けてきたしるしでもあります。3節の途中で「先祖伝来の律法」とあるのも、神からの教えであり、神から与えられた律法です。神を信じて生きるその信仰に自分を導いてくれた先生の名前を明かし、教えられたとおりに、その教えを正しく熱心に受けてきた自分だと説明しています。さて4節で「この道を迫害し」と恐ろしいことを言い始めます。この道とは、いま彼自身が信じているキリスト教の信仰のこと。「自分は初めにはキリスト教の邪魔をする者になり、クリスチャンたちをいじめたり、困らせたり、叩いたり蹴ったり、縛って牢獄に閉じ込めたり、殺したりしてきたとても悪い人間だった」と。つまり、「自分から進んでこの信仰を信じはじめたのではなく、自分で選んだのでもなく、ただ神さまに無理矢理に捕まえられた。神を本気で信じる私に変えられていったのは神ご自身の御心とお力による」と彼は語り始めようとしています(使徒8:1,9:1-2「主の弟子たちに対する脅迫、殺害~」,ピリピ3:5-6「熱心の点では教会の迫害者」,1テモテ1:1:13「迫害する者」を参照)