2018年12月28日金曜日

12/16「家畜小屋のエサ箱の中に」ルカ2:1-7


        みことば/2018,12,16(待降節第3主日の礼拝)  193
◎礼拝説教 ルカ福音書 2:1-7                    日本キリスト教会 上田教会
『家畜小屋のエサ箱の中に』


牧師 金田聖治(かねだ・せいじ) (ksmksk2496@muse.ocn.ne.jp 自宅PC


 2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 (ルカ福音書 2:1-7)


  今から2000年も前のことです。遠い外国の片田舎の家畜小屋のエサ箱の中に、人の赤ちゃんが生まれました。クリスマスの季節だけではなく、私たちが生きる毎日の普通の生活の只中に、この方こそが格別な平和をもたらします。この方こそが、私たちが幸いに生きるための飛びっきりの格別な王様になってくださった、と聖書は語りつづけます。
  まず1-3節。「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った」。そもそも、このイスラエルのとても小さな国は、アフリカ、アジア、ヨーロッパ世界を結ぶ交通の要所にあり、中心点にありました。アッシリヤ、バビロニヤ、ペルシャ、ローマといった世界を支配した超大国が次々にこの地域に襲いかかり、入れ替わり立ち代り支配したのは、この地域を手に入れることができれば、世界支配を揺るぎないものとすることができたからです。そうした支配者たちが自分たちのものとしたすべての植民地の人口調査を命令するのは、彼らの利益のためであり、権力と支配を確かなものとするためであり、具体的には自分たちの国を豊かにするための税金をそれらの植民地から集めるためです。時にはその名簿をもとに、強制的に兵隊たちをかき集めたりします。もちろん人口調査は社会のため人々のために、良いことに使われる場合もあります。どれくらいの数のどんな人々がどういう暮らしをしているのかとつぶさに調べて、その人々が健康で文化的な最低限度の生活を保障され、人権と人格を重んじられて、安全に幸いに暮らしているのかどうかと心を配り、配慮し、必要なだけ十分に手を差し伸べて、共々に幸いに生きるためにその調査が用いられるなら、そうであるならば、それはとても良い人口調査だと言えるでしょう。けれども、そうではない場合も多いでしょう。大きな権力を握った支配者たちは、ただ自分たちの利益と好都合のために、彼らの労働力を安く便利に利用し、人手不足の現場でただモノや道具のように使い捨てにし、無責任に無慈悲に踏みつけつづけるかも知れません。例えば日本の、とても評判の悪い外国人技能実習制度、それに伴う出入国管理法改正のようにです。恥ずかしいことですが、わが国の外国人技能実習制度は、長時間労働や賃金の不払い、雇用主による暴力など、数々の人権侵害の温床となってきました。国際貢献、実習生の技能習得と、そのふるさとの国々の発展のためなどと聞き心地のよい美しい看板を掲げながら、この国の政府と私たちの多くは、使い勝手の良い、安い労働力としか見なしていません。「そんなひどい仕打ちは止めなさい。好き勝手にコキ使い、搾り取りつづけるだけの奴隷扱いは止めなさい。彼らもあなたがたと同じ人間なんですよ。心が少しも痛まないんですか。目を覚ましなさい」と国連人権理事会、国際労働機関、日本弁護士連合会などからも度々きびしい勧告と指摘を受けています(本文末尾に注)状況はますます悪化してゆきます。もし見過ごしにしつづけるならば、この私たちにも大きな責任があります。しかも外国人労働者とその家族ばかりではなく、多くの日本人もまた過酷な労働条件、不安定で心細い生活環境の中に据え置かれつづけています。さて、ここでも、超大国のきびしい支配が及ぼうとするとき、そこに神さまからの憐れみと救いの手が差し伸べられます。喜びの知らせを最初に告げ知らされたのは、羊飼いたちでした。しかも、その彼らは社会の片隅の、もっとも低い底辺に心細く暮らす人々でした。
  やがて主の御使いたちが羊飼いたちに語りかけます、12節、「あなたがたは幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」と。それが私たちのための救い主であり、幸いな暮らしのためのしるしだというのです。今日は、この一人の赤ちゃんについて思い巡らせるための日です。神さまは、私たちのことが大好きです。あなたのこともとても大好きなのです。だから、どんどんどんどん近づいてきてくださった。分かりますか。夫婦や親子、また友だち同士も同じでしょ。もし、仲良しで大好きなら、いっしょにいることができればどんなに嬉しいでしょうか。神さまは私たちに近づいてきて、一緒にいようと願ってくださった。ぜひ一緒にいたいと。それで低くくだって、生身の赤ちゃんの姿で来てくださったのです。例えば一人の小さな人はつぶやきます、「私には価値がない。なんの取り柄もなく、特別何かの役に立つというわけでもなく、目を引くような長所もない」と。淋しい一人の人は言います、「ほかの人が何を考えているのか、さっぱり分からない。私の思いを誰も分かってくれない。誰も私のそばにいてくれず、支えてくれず、私は独りぼっちだ」と。貧しい一人の人は言います、「私は嫌われてしまいそうだ。居場所をなくし、みんなから見捨てられるかもしれない。それが恐ろしくて仕方がない私だ。それで、うわべを必死に取り繕い、愛想笑いを浮かべ、自分を隠してビクビクして生きている」と。けれど主はおっしゃるのです、「あなたは大切な人だ。あなたの価値に私は気づいている。ちゃんと認めている。他の誰も気づかなくても、誰一人として認めてくれなくたって、私こそがあなたに目を留めている。大事に思っている。でも、あなたはそれでは不服か? 物足りないのか?」。「誰にも理解されず、誰もそばにいてくれず何の支えも見出せない孤独は、確かにある。これまでにもあったし、今もこれからもある。その通りだ。けれども私はあなたを理解し、あなたのすぐ傍らに立ち、あなたを支える。あなたがどんなに遠くに離れていっても、見なさい、そこに私はいる」。「あなたを見放すことも見捨てることも、この私はしない」と主はおっしゃいます。
 もうずいぶん昔のことです。遠い外国に住む誰かが、こういう詩を書いて、子供や大人たちに読んで聞かせました。『子どもは習い覚える』という詩です――

 子どもは、批判ばかりされて育つと人をけなす者になる。
いがみあいの中で育つと力づくで奪い取る者になる。
からかわれて育つとオドオドする者になる。
馬鹿にされて育つと卑屈にいじけるようになる。
ねたみに囲まれて育つと人をねたむようになる。
けれども子どもは、支えと励ましを与えられて育つと満ち足りて喜ぶ者になる。
正直さと公平さを見て育つと真実と正義を愛する者になる。
励まされて育つと自信を持つ者になる。
ほめられて育つと人に感謝する者になる。
存在を認められて育つと自分が好きになる。
努力を認められて育つと目標をもって生きる者になる。
気前よく分け与えられて育つと、同じように、気前よく分け与える者になる。
静かな落ち着きの中で育つと平和な心を持つ者になる。
守られて安心して育つと、自分自身を信じ、他の人のことも信じられる者になる。
まわりから受け入れられて育つと世界中が愛であふれていることを知る者になる。
                    (『子どもは習い覚える』ドロシー・L・ノルテ)

  そうそう、せっかくだから、一つ質問しましょう。素敵な良い贈り物を誰かにあげるのと、素敵な良い贈り物を誰かから貰うのと、どっちが好きですか? 素敵な良い贈り物を誰かにあげるのも、素敵な良い贈り物を誰かから貰うのも、どっちも、とても嬉しいですね。誰かに贈り物をして、すごく喜んでもらったことがありますか。じゃあ、誰かから素敵な贈り物をもらって、すごく嬉しくて、わーいって大喜びに喜んだことがありますか。聖書は証言します、もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか(ローマ手紙8:31-32。「ああ本当に、聖書に書かれていたとおりだなあ。嬉しい、嬉しい」とつくづく喜んだときがぼくにもありました。ええと、あった、あった。あのときと、あのときと、あのときと。
 ・・・・・・思い浮かべてみてください。家畜小屋のエサ箱の中に寝かされた一人の赤ちゃんをごらんなさい。あの、最初のクリスマスの夜の一人の格別な赤ちゃんを。弱い人が強い人を恐れるように、その弱い人は強い神をも恐れるのです。小さな人が大きく豊かな人の前で惨めさを味わうように、その小さな貧しい人は大きく豊かな神様の前でも、惨めに身をかがめるかも知れません。周りにいる強くて豊かでご立派そうに見える人々によって打ち砕かれ、身を屈めさせられてきた人は、神の威厳やその力強さや輝くほどの栄光によっても、打ち砕かれてしまうかも知れません。「人様の前でも神さまの前でも、こんな私なんかはとてもとても恐れ多くて」などと。いいえ そんなことがあってはなりません。だからこそ、この救い主は小さな一人の赤ちゃんの姿で、ただ布切れ一枚にくるまれただけの裸の姿で来てくださったのです。わざわざ家畜小屋の惨めなエサ箱の中に、だからこそ安心してニッコリして身を置いてくださったのです。裸の小さな赤ちゃんを見て、恐ろしくてビクビク震える人はいません。そのニッコリ笑ったり泣いたりスヤスヤ眠っている寝顔を見て、いじけたりすねたりする人はいませんね。やわらかい頬っぺたやその小さな指に思わずそっと触れてみたくなるかも知れません。そうです。慈しみ深い神は、私たちを打ち砕きたくはないのです。私たちに惨めな思いをさせたり、恐れおののかせたくはないのです。むしろ、愛と恵みによって慰めてあげたいと願っておられます。ぜひ力づけてあげたいと願って、そのために、一人の赤ちゃんの姿で来られました。家畜小屋の貧しいエサ箱の中に、わざわざ身を置いてくださった。ですから、もしそうしたいと願うならば、あなたもこの私も、この方を信じて生きることができます。どんなに貧しく淋しい人とも喜びを分かち合おうとし、一緒に生きようとし、そのあまりに救い主イエス・キリストは神である身分を捨て去りました。神であることの華やかな栄光も尊厳も力も、そんなものはもうどうでもいい、要らないと、ポイと投げ捨ててくださいました。ごらんください。それが、馬小屋のエサ箱の中に寝かされた一人の赤ちゃんです。あなたを慰めようとして。
 救い主イエス・キリストがこの地上に降りてきてくださいました。神ご自身の栄光が、いよいよ私たちの目の前に突きつけられました。それはもちろん、神さまの栄光、神様ご自身の素晴らしさのことです。それらは、あの最初のクリスマスの夜の出来事が起こる以前には、私たち人間には思いも浮かばないことでした。だって、それまでは、自分がどれだけ素晴らしいか。周りにいる誰彼が、自分と比べてどれだけ素晴らしいか、そうでもないかと、自分自身と人間たちのことばかりを朝から晩まで考えめぐらせて暮らしていたんですから。なんとつまらない、なんと愚かで惨めな生き様でしょう。けれども、神の正しさや素晴らしさ、それはあの家畜小屋のエサ箱の中にあったのです。神の慈しみ深さ、神の知恵と賢さ、それはあの家畜小屋のエサ箱の中にあったのです。つまらない小さな奴だと人から思われているような人を、それから自分勝手で我がままで、偏屈で意固地で、意地悪な一人の人を晴れ晴れとした救いの中へと導き入れることができるほどの、神の素晴らしさです。神さまからも一緒に生きるはずの人々からもはぐれ、戻るに戻れないと呻いていた一人の小さな人を、神の恵みとゆるしのもとへと再び連れ戻すことができるほどの、神の素晴らしさ。神の慈しみ深さ。私たち人間のちっぽけな知恵や賢さ、独りよがりな正しさを軽々と飛び越えていく神の賢さと知恵です。それは、あの家畜小屋のエサ箱の中にありました。


(注)(①国際連合人権理事会の専門家による訪日調査では制度を廃止し、雇用制度に変更すべきと報告された。2009,7,12-17 ②2010,3,31。国際労働機関のフィラデルフィア宣言や総会で採択されている184条約に反している部分がある。アムネスティ・インターナショナル日本支部は技能実習制度を労働力補充の「入口」として、労働者の普遍的権利あるいは基本的人権さえをも制限した使い勝手のいい労働者を受け入れるシステムとして固定化するものとした。「国際規約にもとづく自由権規約委員会、最終見解発表2008,10,31。③「改定入管法・入管特例法、住基法の成立に対する抗議声明 2009,7,8。④日本弁護士連合会は、201210月に東京弁護士会に送付を受けた投書を契機として調査を行い、201411月に、長野県南佐久郡川上村で農業技能実習の監理業務をおこなっていた川上村農林業振興事業協同組合・厚生労働大臣・法務大臣に対して、技能実習生に対する人権侵害があったとして、改善を求める勧告書を提出している。「技能実習生に対する人権侵害についての勧告書(2014,11,28
 ⑤≪緊急声明≫外国人の人権をふみにじる「新たな受け入れ」改定法案を廃廃案とし、包括的な移民政策・人権政策への転換を求める。20181127日 日本政府は「新たな外国人材受け入れ」のため、在留資格「特定技能」の新設と、法務省外局としての「出入国在留管理庁」の設置を図る「出入国管理及び難民認定法」と「法務省設置法」の改定案を閣議決定し、国会に提出した。きわめてずさんな制度設計であるこの改定案に対しては、国会内外で批判されている。問題の核心は、とりあえず受け皿を設けて、外国人を新たに何万人受け入れるかではない。また、その受け皿を精緻なものにするかどうか、ではない。日本国家および日本社会はこれまで外国人をどう受け入れてきたのか、そして今後、どのような多民族・多文化共生社会を構想し具体化するのか、それが問われなければならない。その検証がなされなければ、立法措置ではなく政令・省令によって政府(および経済界)が伸縮自在に受け入れ拡大/縮小・停止できる「新たな入管体制」の下で、外国人に対する人権侵害が続くことになり、日本は国際人権機関からも国際社会からも「人権後進国」として指弾され続けるであろう。それは日本にとって不名誉であるばかりか、これからの日本社会を担う、日本および外国にルーツをもつ青年たちの夢と可能性を阻むことになる。政府は、こうした市民社会のさまざまな取り組みと外国人の声、国際人権機関の勧告を無視して、この30年間近く「外国人管理」を強化する法改悪を重ねてきた。そして今回出された改定案は、その是正と改善ではなく、さらなる管理強化のもとでの「新たな外国人労働者受け入れ」であり、ひいては「新たな入管体制」であるが故に、私たちはその廃案を求めざるをえない。
1.まず、外国人の権利を保障する基本的な法制度を構築しなければならない
そもそも日本が国際人権規約(自由権規約・社会権規約)に加入する際(1979年)に外国人人権基本法と国内人権機関が、人種差別撤廃条約に加入する際(1995年)に人種差別撤廃法が立法化されなければならなかった。それにもかかわらず、政府および国会はそれを怠った。法務省が2017年3月に公表した『外国人住民調査報告書』に見る過酷な人種差別の実態を踏まえ、また自由権規約委員会や社会権規約委員会、人種差別撤廃委員会など国際人権機関からの度重なる勧告に基づいて、日本はまず基本的な人権法制度を整えなければならない。すなわち、➀外国人住民基本法を制定すること、➁人種差別撤廃基本法を制定すること、➂パリ原則に基づく国内人権機関を設置すること、➃移住労働者権利条約をはじめ未批准の国際人権条約に加入することである。
2.外国人技能実習制度をただちに廃止しなければならない
今回の入管法改定案における「特定技能」という新たな在留資格は、現行の「技能実習」制度を前提として、それを補完・拡充するものとしてある。しかし外国人技能実習制度は、「人材育成を通じた開発途上地域への技能の移転による国際協力を推進する」という目的とは裏腹に、実際には技能実習生は低賃金労働者として搾取・抑圧されている。法務省が調査した『失踪技能実習生の現状』の集計によっても、「低賃金」「低賃金(契約賃金以下)」「低賃金(最低賃金以下)」と回答した技能実習生が67.2%となっており、また彼ら彼女らの回答の中には、89%が本国では送り出し機関に支払う資金(保証金や手数料、不当に高額な渡航費用)を「借金」して渡日していること、さらに日本の職場では日常的に暴力を受けたり帰国を強制されるなど、人権侵害の明らかな事例が散見される。このように、建前と実態とが乖離する一方の外国人技能実習生制度は、ただちに廃止すべきである。
3.在留資格「特定技能」を新設するという入管法改定案を廃案としなければならな
入管法改定案における「特定技能1号」は、現行の技能実習生と同様、家族の帯同を認めないとしている。特定技能1号も2号も、法務省の説明では「入国・在留を認めた分野での転職可」としているが、法案には明記されていない。また、直接雇用の他、派遣労働もあり得るとしている。さらに、技能実習生制度と同様に、本国での送り出し機関/日本での受け入れ機関から、悪質な仲介業者を排除する法文上の規定はない。賃金については、技能実習制度では(実態と乖離しているとはいえ)「日本人が従事する場合の報酬の額と同等以上」と定められているが、特定技能については法務省令で定める、としているだけである。その上、受け入れ機関のパスポートの取り上げや強制帰国を禁止する規定もない。
4.「出入国在留管理庁」を設置するという法務省設置法の改定案を廃案としなければならない
これまで法務省入管局は、外国人に対する管理を強化し続けてきた。さらに今回の改定案は、在留管理を強化すると共に、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を実施していく関係省庁間の「総合的調整機能を持つ司令塔的役割を果たす」ために、法務省の外局に「出入国在留管理庁」を設置するとしている。いま法務省が主導して作成中の「総合的対応策」には、「意見聴取・啓発活動、生活者としての外国人に対する支援、外国人材の円滑な受入れの促進に向けた取組、新たな在留管理体制の構築」という4本柱を立てているが、もっぱらに注力しようとしているのは明らかである。
そもそも法令において「管理」という言葉は、「公権力が、人の生活関係に介入して、その意思にかかわりなく、又はその意思を排除して、外部的にこれを規律する措置を意味する」(林修三・高辻雅己ら編纂『法令用語辞典』学陽書房)というものである。人間を直接対象として「管理する」ことを法目的として掲げている法律は、入管法とこの法務省設置法だけである。そのような意味でも、「管理」をかかげる官署が、「共生のための総合的対応策」を策定し運用することなどできるはずはない。
5.包括的な移民政策・人権政策へと転換しなければならない
すでに日本で暮らしている外国人住民は270万人以上となり、外国にルーツをもつ日本国籍者は少なくても160万人以上となる。政府がいくら否定しようとも、すでに日本は「移民社会」であり「多民族・多文化社会」なのである。それにふさわしい法制度を早急に整えなければならない