2018年7月10日火曜日

7/8こども説教「ペテロのつまずき」ルカ22:54-62


 7/8 こども説教 ルカ22:54-62
 『ペテロのつまずき』

22:54 それから人々はイエスを捕 え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。55 人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。56 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。57 ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。58 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。59 約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。60 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。61 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。62 そして外へ出て、激しく泣いた。     (ルカ福音書 22:54-62

 ほんの数時間前に、主イエスとともに最後の食事を皆でたべていたとき、主イエスから「弟子たち皆がつまずく。私を信じて従うことができなくなる」と告げられて、このペテロは「いいえ。主よ、わたしは牢獄にでも、たとえ殺されても、きっと最後の最後まで、あなたの後についてゆきます。覚悟はちゃんとできています」(ルカ22:33参照)と胸を張って、きっぱりと言い張りました。主イエスが捕まえられたとき、ペテロは遠くからこっそりとついていきました。大祭司の家の中庭にも他の人々の間に紛れ込んで、座っていました。でも怖くなりました。「わたしはその人を知らない。いや、それはちがう。あなたの言っていることは、わたしにわからない。イエスなどという人とは何の関係もない、知らない知らない」。そうそう、あのガリラヤの湖の上で、主イエスが湖を歩いてきてくれたときにも、同じことが起こりました。主イエスを信じて生きていこうと決めて、よくよく覚悟をしていたはずだったのに、風がビュービュー吹いて、大きな荒々しい波がザブザブ~ンと打ち寄せて、それを見たらとてもとても怖くなって、ペテロは水の中にブクブクと沈みはじめました。あのときと、そっくり同じです。周りにいる人間たちや風や波ばかりが気にかかって気にかかって、そればかりが心の中にいっぱいになって、主イエスを信じる心がすっかり吹き飛ばされてしまいそうでした。けれどあのときも ペテロは沈んでしまいませんでした。どうしてでしょう? 「主よ、お助けください」と叫ぶことができたし、差し出されていた主イエスの手に気づいて、その手を本気になって掴むことができたからです(マタイ14:22-33参照)