2018年7月3日火曜日

7/1こども説教「剣や棒をもって」ルカ22:47-53


 7/1 こども説教 ルカ22:47-53
 『剣や棒をもって』

22:47 イエスがまだそう言ってお られるうちに、そこに群衆が現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。48 そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」。49 イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」と言って、50 そのうちのひとりが、祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落した。51 イエスはこれに対して言われた、「それだけでやめなさい」。そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。52 それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。53 毎日あなたがたと一緒に宮にいた時には、わたしに手をかけなかった。だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」。    
(ルカ福音書 22:47-53

  前の前の週にすっかり説明したことですが、弟子たちが二人ずつ組にして町や村に遣わされていったとき、ほとんど何一つも持たず手ぶらで出かけていって、けれど何も困りませんでした(ルカ9:1-6,10:1-20。それを思い出させた上で、「しかし今は財布も袋も持て。剣も、自分の上着を売ってでも手に入れて持て」(ルカ22:36-38と主イエスは弟子たちに指図しました。何も困らなかったあのときと、きっと困るはずの『今』と、何がどう同じで、どう違うのかを立ち止まってよくよく考えてみる必要があります。主イエスが十字架につけられ、殺され、葬られ、まだ墓からよみがえらないうちは、そのほんの数日間の緊急事態の間だけは、この主に守っていただくことが出来ません。主イエスが墓からよみがえった後でなら、それまでと同じで、主イエスの弟子たちは手ぶらでどこへでも安心して出かけてゆくことができます。主イエスがいつでもどんな時にも、何が起こっても必ず守ってくださるからです。だからこそ49-51節、剣や棒をもった恐ろしい人々に取り囲まれても、主イエスはご自分の弟子に、「止めなさい止めなさい」とせっかくの剣をほとんど使わせません。剣や棒やお金の力によってではなく、人間のどんな力によってでもなく(使徒4:10-12,19、ただただ主イエスにこそ必要なだけ十分に守っていただける。何があっても大丈夫。なぜならこの私たちも主イエスの弟子なので。分かりますか? 今もこれからも、同じ一つの心得です。

     【補足/剣や棒か? 別の権威か?】
この世界は、実は《剣や棒を握るものたちの王国》でありつづけています。強さや羽振りのよさや多数であることや、自慢できる得意な何かをもっていることや他人様より一歩でも二歩でも優れていることが、その王国で勝ち抜いていくためのルールでありつづけます。それとも、別の《強さ,権威》のもとに立つか。むしろ、剣や棒や強さや数の多さ、富や力や品格や良い評判などに目が眩んだままでは、この方の《強さ,権威》に気づくことができません。この方に信頼を寄せ始めることができません。