2017年12月27日水曜日

12/24こども説教「神の国は私たちの只中にある」ルカ17:20-21

 12/24 こども説教 ルカ17:20-21
 『神の国は私たちの只中にある』

17:20 神の国はいつ来るのかと、 パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。 (ルカ福音書 17:20-21

  ケンちゃん。『神の国』の中身は、神さまが王さまとしてご自分の国を守って、しっかり働いておられる場所ということです。ですから、その国に住んでいる者が安心して嬉しく毎日毎日を暮らしていけるかどうかは、もっぱら王様である神さまにかかっています。その国に住む誰かがなにかで困っている。すると、神さまが、その人たちの一つ一つの困ったことや心配事を取り除いてくださる。「もし神さまがいるとしてもどこか、ず~っと遠いところにいて、誰か他の人たちの世話をしたり面倒をみているんだろう。私のことなんか見向きもしてくれない」とガッカリしている人たちがたくさんいました。それで救い主イエスが来てくださって、「いいえ。そうではありません」と教えてくださり、「もし、そうしたいと願うのなら、この私も神の国に住むことができる」と人々に分からせてくださいました。「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコ1:15と。でもね、目に見えない神さまです。そのお働きも分かりにくい。神の声も、よく聞き分けにくい。だから、自分のすぐ目の前で神さまが一生懸命にたくさん働いてくださっても気づかない人たちがほとんどです。ず~っと長い間、神を信じて生きてきたはずの人々も、うっかりして度々そのことが分からなくなります。それではとても困ります。だから、主イエスは神を信じる人々に、「神の国はあなたがたの只中にある。神は、あなたがたの只中で生きて働いています」と仰った。それからずっと、「神は生きて働いておられます」と神を信じる人たちが口癖のように、自分自身に言い聞かせるように言い続けているのはそのためです。


   【補足/なぜ、そうなのか?】
   『神の国』とは、やや遠まわしな言い方です。「神は生きて働いておられる」と言いたいのです。救い主イエスが「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコ1:15)と仰った意味と中身は、神である救い主イエスご自身が地上で救いのお働きをしはじめたこと。イエスご自身こそが『神の国は近づいた』ことの中身です。神が地上に降り立ち、救いの御業をなさり、その幸いの中へと人々を招きつづけています。それに先立って、最初のクリスマスの夜に、神の御使いたちが歌いました、いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2:14)と。主イエスが教えてくださった『主の祈り』の中の第二の願いは、『御父よ、あなたの国をこの地上に来らせてください』です。「神は生きて働いておられ、その働きはこの地上に、私たちの生活の只中にまで及んでいる」と受け止めながら、なお「ますます、そうであらせてください」と願い求めています。神が生きて働いておられる。それこそが、いつでもどんな時にも、私たちの希望と慰めの核心だからです。