2017年10月16日月曜日

10/15こども説教「一匹の羊を」ルカ15:1-7

 10/15 こども説教 ルカ15:1-7
 『一匹の羊を』

15: 4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、6 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。                     
(ルカ福音書15:3-7
                             
 ケンちゃん。「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか」と質問されています。99匹を野原にそのまま残してですよ。「もし自分がその羊飼いだったらどうするだろうかな?」と考えてみましょう。(挙手させる)「きっと同じようにする」という人は? 「いいや、私はそんなことはしない」という人は? もし捜すのに手間取ったりして、5、6時間か、一週間か10日間くらいも留守にする場合もあるでしょう。そしたら、野原にそのまま残してきた99匹の羊はどうなっているでしょうね。散り散りになって、ほとんどいなくなってしまうでしょう。大損害で、羊飼いの仕事をクビにされてしまうかも。それでも一匹の羊を捜して、大慌てでそのまま出かけ、見つけるまで、何日でも何ヶ月、何十年でも、ずっと諦めないで必死に捜しつづける。そんな人間はいません。
私たち人間のことではないんです。「ああ、この羊飼いは神さまのことを言っているのか」と気づくことが第一歩です。私たちはみんな、こういうふうに神さまからはぐれて迷子になりました。人間のことではないと言いましたが、よく似たことを一つ思い出しました。この中に、自分の子供が迷子になって慌てたり困ったことがある父さん母さんはいますか? 自分が迷子になって捜してもらった子供は? その人たちなら分かります。もし、自分の大切な息子や娘がある日、迷子になった。5、6日か、一週間くらい探してみて、みつからなかったら「じゃあ、しょうがないや残念だけど」とその子のことを諦めてしまいますか? いいえ。そんな親はめったにいません。何年でも何十年かけてでも、見つけ出すまで捜しつづけるでしょう。昼も夜も忘れず、この子のことを心配しつづけるでしょう。とても愛して、大事に思っているからです。子供の父さん母さんのような神さまです。神の子供たちとされている私たちです。「ああ、こういう神さまなんだなあ」と、よくよく覚えておきましょう。

     【補足/悔い改める】
7,10節『悔い改める』。この聖書独特の言葉の意味は、『神さまのほうへ、グルリと向き直る』ことです。ソワソワキョロキョロし、あっちへフラフラこっちへフラフラしていた者が、『神さまのほうへ、グルリと向き直る』こと。まっすぐに見据えて、そこで、『どんな神さまか。神さまがどんなふうに働いておられるのか。何を願って、どうしようとしておられるのか』と目を凝らしつつ生きること。ですからそれは第一に、神のあわれみと真実とを受け取ること。第二に、受け取ること。第三にも四にも五にも、がっちりと受け取り手放さずにいることです。1人の罪人が悔い改める。神様のほうへとグルリと向き直った。自分自身と人間のことばかり思い煩っていた1人の人が、ついにとうとう神を思いながら、神へと思いを凝らしながら生きることをし始めること。