2016年5月9日月曜日

5/8こども説教「とても怒って、皆が救い主を殺そうとした」ルカ4:18-30

5/8 こども説教 ルカ4:18-30
 『とても怒って、皆が救い主を殺そうとした』
+駅前アピール『日本の軍隊は国民を守るのか?』

4:21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。22 すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。23 そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。・・・・・・27 また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。28 会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、29 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。30 しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。 
 (ルカ福音書 4:21-30)

 救い主イエスは自分の故郷であるナザレ村でも同じように、安息日に礼拝堂に入って聖書を朗読し、その説き明かしをしました。読み上げられたのは18-19節に記されていて、イザヤ書61章のはじめの部分です。主イエスは聖書に書いてある事実をそのまま語り聞かせただけなのに、礼拝堂でそれを聞いていた故郷の人々は全員がひどく腹を立てました。あまり腹が立って憎らしくて仕方がなかったので、町外れの崖っぷちまで無理矢理に主イエスを引きずっていき、突き落として殺してしまおうとしたほどです28-29節を参照)。どうして殺したいほどにも腹を立てたのか、何がそんなに気に入らなかったのか。
 18-19節で神さまからの恵みを差し出されていた相手は、「貧しい人。狭い場所に無理矢理に閉じ込められている人。見るべきものが少しも見えていない、分かっていない人。へこたれている人」たちでした。ワア嬉しいと大喜びするためには、「この自分はとても貧しい」と分かる必要がありました。「狭い場所に無理矢理に閉じ込められている私だ。見るべきものが少しも見えていないし、分かっていない私だ。へこたれている私だ」と知る必要がありました。これが、誰にとっても案外むずかしかった。だって 自分は物事がよく見えているし、豊かだし、困っていないし、狭い場所に無理矢理に閉じ込められているわけでもないと大抵の人は思い込んでいます。それで自惚れたり、心が頑固になります。クリスチャンもそうです。それでたびたび迷子になり、神さまからの恵みや良い贈り物をいただきそびれました。「無学で貧しい大工ヨセフの子にすぎないのに、どうして」22節)と彼らは救い主イエスをバカにしながら驚き、「自分の故郷の私たちには、他の人々に対してよりももっと親切に、もっと沢山の幸いを与えてくれるだろう。自分たちには当然、その権利がある」23節)などと思い上がってもいました。つまり、自分が貧しいなどとは少しも思っていませんでした。物質的にも精神的にも、かなり豊かで、優れていて立派で賢くてモノの道理もよく分かっていてと思い込んでいました。そうではないと突きつけられて、だから、ものすごく腹が立ちました。相手を殺してしまいたいと思うほどにも。あの人たちはとても残念でした。神さまからの恵みの贈り物を受け取る場所に、あともう少しで辿り着けたかも知れなかったのに。
実は今でも、すっかり勘違いしている人たちが沢山います。豊かで大きな人たちのための恵みではなくて、貧しく小さな人々のための恵みです。強くて賢くてよく分かっている人々のための救いなどではなくて、弱くて愚かでちっとも分かっていない人々のための救いだったのです。ずっと語られてきた『罪人を憐れんで救う』とは、そのことでした。この自分こそが「とても貧しい。罪深い。大切なものが見えておらず、ちっとも分かっていない。狭くて小さな場所に閉じ込められている。ああ本当に」と気づくことから、そこからとうとう、『主からの恵みを受け取るとき』19節を参照)が始まってゆくからです。


 とりなしの祈り
 主よ。救い主イエスが墓からよみがえり、新しい生き方と生命を私たちに差し出しています。どうか、この私たちにも主イエスからの恵みを受け止めさせ、古い罪の自分と在り方を脱ぎ捨てさせてください。
 主なる神さま。苦しみと困難の中に置かれつづける九州の地震被災者たちと東日本震災被災者たちとを顧みてください。彼らの毎日の暮らしを支え、支援する人たちの働きを助けてください。この国はとうとう軍隊をもち、ただただお金儲けと自分たちの利益のために、世界中どこにでも出かけていって思いのままに武力を用いる国になろうとしています。そのために自衛隊員たちと家族と、海外で暮らす同胞たちの安全と生命が脅かされ、粗末に扱われようとしています。主よ、私たちを憐れんでください。米軍基地を押し付けられ、ないがしろにされつづける沖縄の同胞たちの怒りと苦しみに、私たちも目と心を向けることができますように。自分の国と自分の民族と同胞を愛するのと同じに、それと負けず劣らず、日本で暮らす外国人労働者とその家族を愛し尊ぶ私たちとならせてください。彼らの生活と権利が十分に守られ、尊ばれる社会に、この国をならせてください。貧富の差が広がりつづけ、多くの人々が貧しさと心細さにあえいでいます。富と豊かさと、目の前の自分たち自身の損得にばかり執着し、そのことに目も心も奪われつづけることから、私たちをすっかり解き放ってください。年老いた人々にも子供にも若い者たちにも、どうか神さま、生きる喜びと確かな希望を見出させてください。ですから今こそ、この世界のはなはだしい不平等と差別と悪に対して、私たちを地の塩、世の光として用いてください。この世と妥協せず、神さまの御力によって造り変えられ、心を新たにされ、何が神さまに喜ばれる善いことで、何が悪いことなのかを弁え知る者たちとならせてください(マタイ5:13-16,ローマ12:2参照)。あなたの御心にかなって生きることを、私たちに願い求めさせてください。
 主イエスのお名前によって祈ります。アーメン




(付録)駅前アピール(5/2
「日本の軍隊は国民を守るのか?」

  ♪ (シュプレヒコール)安全を保障しない法律を廃止しよう。安全を保障しない法律を廃止しよう。憲法違反の法律いらない。要らない要らない要らない!!
 大手町1丁目の、日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。「安全保障関連法案に賛成だ」という人々もいます。ある40代後半のお母さんは、「私たちの家族を守るため、平和安全法制に賛成します」と話していました。でもお母さん、平和と安全のためだというこの法律は、本当に、私たちの大切な家族を守ってくれるでしょうか。アメリカと一緒になってどこへでも出かけていって、好き勝手に戦争できる国になることは、本当に、私たち自身や家族や子供や孫たちの平和と安全と生命を守ってくれるでしょうか。戦争をしないはずの、軍隊を持たないはずのこの国で、自衛隊はとうとう軍隊にされてしまいました。私たちの軍隊は、自分の国の国民を本当に守るでしょうか? 本当に?
  一般市民がいつもの生活の只中で戦争の現実と直面させられたことが、この国では2回ありました。70年前です。1つは、日本の領土に敵の軍隊が上陸した沖縄戦。もう1つは、満州の奥地に大勢で出かけていった満蒙開拓団の場合。「私たちの家族が、具体的にはどういう目にあうのか」ということを、そこではっきりと体験しました。日本の軍隊は、私たちを守りませんでした。例えば沖縄では、「自分たちをきっと必ず守ってくれる」と信じていた自分たちの軍隊の手によって、多くの国民が殺されてしまいました。あるいは手榴弾を手渡されて、「天皇陛下に迷惑をかけないように自分たちで死になさい」と指導され「ハイ分かりました」と、そのとおりのことが起きました。多くの沖縄県民の集団自決です。守りきれないし足手まといになるし、もしかしたら裏切ってスパイ行為を働くかも知れないしと()。例えば満州の奥地に出かけていった満蒙開拓団でも、同じことが起きました()。知ってますか。開拓団の応募者数はこの長野県が日本全国第一位で、ダントツに多かったのです。とても貧乏だったし、うまいことを言われてうっかり鵜呑みにして信じたからです。戦局が悪化し旗色が悪くなると、私たちの軍隊は、入植した日本人を置き去りにして、スタコラサッサと逃げ去りました。爺さん婆さんも病気の人もケガした人も、お母さんも子供も小さな赤ちゃんもみな見捨ててです。同じく集団自決が無理強いされました。あとになってから、「ああ騙されていた。みんな嘘だった」と気づいても手遅れです。それでは後の祭りです。私たちの軍隊は、私たちを守りません。ただただ国と大手企業の利益を守るための軍隊だからです。国の利益には、私たち一人一人が安心して平和に暮らすことなど入っていません。戦争に、良い戦争も正しい戦争もありません。それはいつでもどこでも、利益と金儲けのための侵略戦争でありつづけました。これからもそうです。私たちの軍隊は私たちを守りません。私たちの生命も安全も、また兵隊たち自身の生命も粗末に扱われ、使い捨てにされつづけます。本当のことなんですよ。それでも総理大臣と政府与党が「戦争を出来る国にぜひしたい。どうしても戦争をしたい」と言い張るとき、私たちシモジモの者は オカミが仰るなら仕方がないと言うんですか。70年前とまったく同じに。今回もまた、『天皇陛下ばんざーい』と晴れ晴れして死んでいくようにと、学校でもご家庭でも各町内会自治会でも教え込むつもりですか。小学校、中学・高校の先生方、おうちのお父さんお母さんたち。お願いします。本気で、よくよく考えてみてください。あなたの大切な子供たちや教え子たちを、無駄に人を殺したり誰かに殺されたりする戦場に、あなたは 送り込むつもりですか。そのとき私たちは、ただの被害者ではありません。悪事の片棒を担ぐ加害者であり、極悪非道な悪者達の一人です。私たち大人には大きな責任があります。
 ♪ (シュプレヒコール)安全を保障しない法律を廃止しよう。安全を保障しない法律を廃止しよう。憲法違反の法律いらない。要らない要らない要らない!! 子供を殺すな、自衛隊員をむだ死にさせるな。沖縄を粗末にするな。憲法違反の法律いらない。憲法違反の内閣いらない、憲法違反の国会議員もいらない。戦争反対、反対反対、絶対反対!!  2016,5,2 憲法のつどいin上田駅前)

            
   【資料】
       ()1945~島は戦場だった。オキナワ365日~」(2010年,琉球朝日放送)、「沖縄戦よみがえる戦場~読谷村民2500人が語る地上戦~」(2005年,NHK沖縄)、「むかしむかしこの島で」(2005年,沖縄テレビ)、「枯葉剤を浴びた島~ベトナムと沖縄、元軍人の証言~」(2012年,琉球朝日放送)、「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~』(2015,8,11放送,NHKアニメ・ドキュメント)「よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について……」(Oストーン, Pカズニック, 乗松聡子,金曜日出版),「わたしの沖縄戦①~④」行田稔彦、新日本出版社。
      ()「満蒙開拓平和記念館」(長野県下伊那郡阿智村駒場711-10);開拓民が入植した土地はその6割が漢人や朝鮮人の耕作していた既耕地を強制的に買収した農地であり、開拓地とは名ばかりだった。194589日ソ連軍が満州に侵攻すると、関東軍は開拓移民を置き去りにして逃亡した。ソ連参戦時の「満蒙開拓団」在籍者は約27万人であり、そのうち「根こそぎ動員」者47000人を除くと開拓団員の実数は223000人、その大半が老人、女性、子供だった。男手を欠いた開拓移民は逃避行に向かい、その過程と難民生活で約8万人が死亡。主に収容所における伝染病感染を含む病死、戦闘、さらには移民用地を強制的に取り上げられ生活の基盤を喪っていた地元民からの襲撃、前途を悲観しての集団自決などが理由。敗戦時に旧満州にいた日本人は約155万人といわれるが、その死者20万人の4割を開拓団員が占める。満州での民間人犠牲者の数は、東京大空襲や広島への原爆投下、沖縄戦を凌ぐ。
   (映画)「望郷の鐘。満蒙開拓団の落日」(監督、山田火砂子)(アニメ映画)「蒼い記憶。満蒙開拓と少年たち」(監督、井崎哲)