2020年10月19日月曜日

10/18こども説教「何が待ち受けていても」使徒20:17-24

10/18 こども説教 使徒行伝20:17-24

 『何が待ち受けていても』

 

20:17 そこでパウロは、ミレトからエペソに使をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。18 そして、彼のところに寄り集まってきた時、彼らに言った。「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。……20 また、あなたがたの益になることは、公衆の前でも、また家々でも、すべてあますところなく話して聞かせ、また教え、21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのである。22 今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。23 ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

(使徒行伝20:17-24

 

 大急ぎの旅なので、エペソの町に立ち寄ることができませんでした。それで、そこの教会の長老たちを呼び寄せて、彼らを励まします。パウロ自身もその長老たちも、「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」を堅く持ちつづけることと、「神のめぐみの福音をあかしする」という働きを神から贈り与えられているからです。さて、エルサレムの都に急ぐ理由がここではっきりと打ち明けられます。22-24節、「今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない」。都で牢獄に閉じ込められることも、苦しみにあうことも、神のめぐみの福音をあかしするためです。そういう仕方で役割を果たすようにと、神さまがあのパウロのために決めておられました。その御計画と指図に従って、彼は自分の役割を担って働きます。神の御心に従って生きることが自分自身のための幸いでもあるからです。