2019年3月18日月曜日

3/17こども説教「アブラハムへの招き」


 3/17 こども説教 使徒行伝7:1-8
  『アブラハムへの招き』
~ステパノの証言②~

7:1 大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。2 そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて3 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。4 そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、5 そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。6 神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。7 それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。         
(使徒行伝7:1-8

  3節で「あなたに指し示す地に行きなさい」と神さまから命じられてアブラハムとサラ夫婦は旅立ちました。それにつづけて実は、「あなたによって地上の生き物たちは神の祝福に入れられるのだから」(創世記12:3と約束されました。つまり、アブラハムとその家族親戚、仲良しの友だちのためだけの祝福ではなくて、神によって造られたすべての生き物たちのための祝福であり、彼らをその出発点としようというとても素敵な大きな目標があるということ。また6節で、「エジプトで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受ける」(創世記15:13-15という予告にもつづきがあって、その後、神さまが可哀想に思ってくださり救われて、幸せになることです。ちょっと考えてみてください。辛い嫌な思いをしただけなら、その嫌な思い出はその人たちの役に立ちません。けれどもし、そこから助け出されて、だから神に感謝し、信頼し、神さまにこそ聴き従って生きるようになったのなら、それはその人たちを支え、生き方を導く大きな背骨になります。さあ、いいですか。特に旧約時代には、(1)奴隷の家エジプトから助け出されたことと、(2)遠いバビロンの土地に連れ去られて、けれど神さまが可哀想に思って下さり、故郷へ連れ戻してくださったこと。この2つをよくよく覚えているようにと教えられつづけました。神さまに感謝し、信頼し、よくよく聴き従って生きるようにと。そうしたら、次々と困ったことや心細い恐ろしいことが起こっても大丈夫で、いつ、どんなに困ったことが起こっても、それでもいつも嬉しい気持ちで、安心していられるからです。