2018年11月27日火曜日

11/25こども説教「神がイエスを救い主として立てた」使徒行伝2:29-36


 11/25 こども説教 使徒行伝2:29-36
 『神がイエスを救い主として立てた』

     2:29 兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。30 彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、31 キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。32 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。34 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、35 あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい』。36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。    
(使徒行伝2:29-36

  36節。「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」と語りかけられました。「イスラエルのすべての家の家族たちは」。つまり、救われて神の子供たちとして祝福と幸いに招き入れられるはずの者たちは皆と。そして、私たちがしてしまったことと、神が私たちの救いのために成し遂げてくださったことの二つが並べて語られました。まず、「神ご自身である救い主イエスを十字架につけて殺してしまったのは、そのとんでもない極悪人は他の誰でもなく、この自分たち自身だ。この私のことだと」。次に、「けれどなお、神に逆らうその私たちをゆるして救いへと招き入れるために、神は救い主イエスを死なせ、墓に葬らせ、さらに墓からよみがえらせて、私たちのための主、また救い主として立ててくださった」ということ。なんということでしょう。これを聞いて強く心を刺された人々がいました。「私たちはどうしたらいいのか」と問いかけながら、あの彼らは、神によって救われることをついにとうとう心底から激しく願い求めはじめたのです。

    【補足/救われることの入口】
    誰もが救われるわけではありません。救い主イエスを信じて、この方によって救われたいと願う者たちは、救いとい祝福の入口に立っています。すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ手紙10:9,ヨハネ福音書3:16)と聖書は証言します。