2018年9月18日火曜日

9/16こども説教「目が開けて分かった」ルカ24:29-32


 9/16 こども説教 ルカ24:29-32
 『目が開けて分かった』

24:29 そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。30 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、31 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。                      (ルカ福音書24:29-32

  愚かにされ心が鈍くされて、神さまのお働きも救いの約束もなにもかも分からなくなってしまいそうだった二人の弟子のために、そしてこの私たちのためにも、救い主イエスはいっしょに道を歩いて、聖書を説き明かしてくださいました。28節で、村についてなお先へ進んで行こうとするそぶりをわざわざ見せた。それは、「ぜひ一緒に泊まってください。まだまだ教えてください」とあの彼らに引き止めさせるためです(注意深く読まなければ、だれでも簡単に見過ごしてしまうでしょう。先へ進もうとする様子が、わざと目の前に見せられました。「しいて引き止めるか」、あるいは、「それじゃあ、さようなら」と別れるか。私たちの心にあることがあらわになるために、わざわざ救い主が私たちを試みてくださっています。主を知ることを心から願い求める私たちなのかどうかと。例えば荒野で飢えさせられた日々のように。申命記8:1-5参照)。「ぜひ欲しい」と求めて捜す者たちにしか、良いものを贈り与えることができないからです(ルカ11:9-13参照)30節以下。一緒に食卓についてパンを取り、祝福して裂き、手渡されるとき、とうとう彼らの目と心が開かれて、それがイエスだと分かりました。(聖晩餐の)パンと杯を受け取るときにも、聖書を説き明かされるときにも、私たちの目と心がそのようにはっきりと開かれて、神さまのお働きも自分と家族のための救いの約束も、受け取ってきたすべての恵みも、神さまへの信頼も希望も喜びもなにもかも、いつも、よくよく分かるようにしていただけると嬉しいですね。ぜひ、そうしていただきたい。