2018年3月19日月曜日

3/18こども説教「盗賊の巣にした」ルカ19:45-48


 3/18 こども説教 ルカ19:45-48
 『盗賊の巣にした』

19:45 それから宮にはいり、商売 人たちを追い出しはじめて、46 彼らに言われた、「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」。47 イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者また民衆の重立った者たちはイエスを殺そうと思っていたが、48 民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった。 (ルカ福音書 19:45-48)

  神殿の境内で、そこから商売人たちを追い払った。主イエスがエルサレムの都に入ってまず最初になさったのは、このことです。そのころ、商売人たちはそこで神さまへの献げものにするためのハトや家畜などの生き物たちを売ったり、またイスラエルの古いお金を献げものにすることが決められていたのでそのための両替をする商売人たちが境内で商売をしていました。しかも、主イエスの追い払い方はとても乱暴でした。モノを売るテーブルやイスなどをひっくり返したり、放り投げたりして。しかもモノを売っている商売人たちばかりでなく、彼らから品物を買っている人たちまでも皆、境内から追い払って(マタイ21:12参照)。パリサイ人たちはカンカンに腹を立てていました。それなのに、民衆はみな熱心に主イエスの言葉に耳を傾けていました。このあと、毎日毎日です。46節、「わたしの家は祈りの家であるべきだと聖書に書いていあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」。それはいったいどういうことだろう。この方は、いったい何を知らせようとしているのだろうかと。神さまのものであるはずの祈りの家が、神さまの御心に反して、神さまの御心を台無しにして好き勝手に使われている。もちろんすべてのキリスト教会が神さまのものである祈りの家です。いいえ それだけではなく、神を信じて生きるクリスチャン一人一人も、神さまのものである祈りの家とされて、神さまがその中に住んでくださる神殿とされているのです(コリント(1)3:16-17,6:15-20,ハイデルベルグ信仰問答 問1「生きるにも死ぬにも、わたしは体も魂もわたしのものではなく、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであるということです」参照)私たちのことです。教会の建物を盗賊の巣にしてはいけないだけではなく、一人一人の体も毎日の暮らしも盗賊の巣にしてはいけません。あなたも私も神さまの祈りの家とされて、私たち一人一人はもう自分自身のものではなく神さまのものとされているからです。胸に手を当てて、「どういうことだろうか? どういうふうに毎日を暮らしていこうか」とよくよく考えてみましょうか。