2016年6月29日水曜日

6/26こども説教「医者である神さま」ルカ5:27‐32

 6/26 こども説教 ルカ5:27-32
 『医者である神さま』

5:31 イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。32 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。   (ルカ福音書 5:31-32

  最初には、無学な貧しいごく普通の漁師たちが招かれ、つづいて、人々から毛嫌いされバカにされていた取税人(*)の一人が主イエスの弟子とされました。たまたま偶然にではなく、特にわざわざ選んで、見下げられている人々や除け者扱いされている惨めな人々を弟子としているらしいのです(ルカ1:46-55,同1:68-79,コリント手紙(1)1:26-31を参照)。不思議なことです。取税人の一人だけを招いたのではなく、救い主は、嫌われたり除け者扱いされている者たち全員を招きたかったのです。そのしるしに、弟子にしたレビの仲間たちと愉快なお食事パーティを開いて、皆と仲良しになりました。このルカ福音書の15章のはじめ1-2節)でも、同じ仲間たちと同じような愉快な食事会をしていますね。つまりその一回だけじゃなく、何度も何度も取税人や『他人から罪人だと思われている人々』と楽しく愉快に過ごして、仲良しになったのです。そういう親しい付き合いの中から、「ああ、こういう救い主だったのか。こういう神さまか」と分かって、一人また一人と主イエスの弟子になる者たちが生まれていったでしょう。けれど正反対に、その様子を見てあの15章でもここでも、プンプン腹を立てる人々がいます。「もし本当に救い主だというなら、私のようなご立派で偉い、皆から尊敬されている素敵な人間をこそ弟子としたらいいのに」と自惚れていた人々は、なんだか嫌~な気がしました。それで陰に隠れて、悪口や文句を言いつづけました。そういう人たちって、どこにでもいるのです。30節「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか。仲間だと思われて、彼らと一緒になって嫌われたり除け者にされてもいいのか」。
  ここで一番大切なのは、31-32節です。主イエスがはっきりと言いました。「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。よくよく覚えておきましょう。よい医者である神さまです。病気の人を見つけると、その人を元気に健康にしてあげたくてたまりません。「はい、いらっしゃいいらっしゃい」と毎日毎日、病気の人を招きつづけています。するとキリストの教会は、キリストが経営しておられる病院や診療所のようなものです。ねえ 毎週毎週、あちこちに建てられている神さまの診療所で、診察したり、薬を飲ませたり、軟膏を塗ってあげたりリハビリ体操をさせたりしています。しかも世界中どこもかしこも病人だらけで、中にはとても重い病気にかかって苦しんだり困ったりしている人々もたくさんいます。なんの病気が一番苦しくて辛いか分かりますか? 『神さまについつい逆らってしまう』という病気です。神さまにも人さまにも逆らいつづけて、私が私がと言い張りつづけてどんどん頑固になって、それで周りの人々をとても困らせたり、苦しめたりするばかりではなく、自分自身もかえってますます苦しく惨めな嫌~な気持ちになってしまいます。放っておくと、嫌~な顔をしたまま、ブツブツ文句や誰かの悪口を言いつづけたまま死んでしまいます。ああ、なんてかわいそうでしょう。聖書は、この『神さまについつい逆らってしまう』病気を『罪』と言いました。そういう病人を『罪人』と言いました。もし、自分がとても重い病気だとわかれば、その人は医者を探してその医者のところにやってきます。神さまは格別によい医者なので、そのかわいそうな病人を治してあげることができます。自分が重い病気にかかっている、このまま放っておくと症状がどんどん悪化してついには死んでしまう、とまだ気づいていない人々もたくさんいます。それどころか、「とても健康だ」と思い込んでいるので、「いらっしゃい」といくら呼んでも医者のところに寄り付きもしません。大丈夫かなあ。心配だなあ。手遅れになる前に、間に合ううちに来ればいいのに。


    【割愛した部分の補足】
    (*)「取税人」。いまの税務署職員とは全然違います。この当時、ユダヤの国はローマ帝国の植民地にされていて、集めた税金はもっぱらローマの皇帝やローマ人のために使われました。自分たちの国の道路や橋や学校を建てるためには使われずに。ユダヤ人たちはローマの植民地にされて言いなりに従わせられることも、ローマ人のための税金を払い続けることも嫌だったし、腹がたちました。けれど面と向かっては、ローマの役人にそんなことを言えません。それで、税金を集める取税人をバカにしたり、悪口を言ったり憎んだり、除け者扱いしたりしました。そうすると、少しは気分がス~ッとしました。八つ当たりをしていたのです。
     神さまはまず、バカにされ、除け者扱いされていた人々を招きました。あわれみ深い恵みの神であり、かわいそうに思って助けてくれる神さまだと、皆に知らせたかったからです。ただ恵みによって救う神です(ルカ1:46-55,1:68-79,ヨナ書4:2,ローマ手紙3:21-28,テモテ手紙(1)1:15-16)。
         

 ◎とりなしの祈り
 天におられます私たちの父よ。あなたをこそ崇め、あなたに十分な信頼をよせ、心から感謝し、それゆえあなたにこそ一途に聴き従って生きる私たちであらせてください。
 この国もまた不平等で、格差が広がっていく一方だからです。日本で暮らす外国人労働者とその家族の生活と生きるための当然の権利が十分に守られず、尊ばれもせず、彼らを憎んで押しのけようとする人々が声高に叫びつづけているからです。大切な同胞であるはずの沖縄がないがしろにされつづけています。被災地の復旧がとどこおり、放射能に汚染された危険な土地に、無理矢理に縛りつけられて暮らす人々が大勢います。心細く貧しく惨めに暮らし、そのあまりに希望を失いかけ心を挫けさせている者たちが大勢います。ほんのひと握りの人々が裕福で快適な生活をむさぼっている傍らで、経済的に追い詰められ、貧しく困窮しつづける多くの人々が取り残されつづけます。経済的に貧しい親に育てられた子供たちは貧しいままで、十分な教育を受ける希望をさえ諦めさせられています。毎日の三度三度の食事にも困る子供たちが数多くいます。
 あなたから憐れみを受け、罪をゆるされた私どもですから、互いに対して、また隣人に対して温かく憐れみ深くあることができますように。ゆるすべきことをゆるし、ゆるすべきではない悪と不正とに抵抗し、精一杯に立ち向かう良い心と勇気を恵み与えてください。若者たちも、親たちも年配の者たちも、この国とここで暮らすすべての人々の幸いな生活に対して果たすべき大きな責任があります。思いやり深く温かな社会を築いてゆくことを、この私たちにも強く願い求めさせてください。心を新たにされ造りかえられて、何が良いことであなたに喜ばれることなのか、何が悪いことなのかを弁え知って、そのようにして、あなたの御心にかなって生きる私たちにならせてください(ローマ手紙12:1-2を参照)。支配と権力と栄光とはかぎりなく、天の御父よ、ただあなたのものでありつづけるからです。
 主イエスのお名前によって祈ります。アーメン