2016年1月11日月曜日

1/10こども説教「主の言葉を信じた者の幸い」ルカ1:39-45

 1/10 こども説教 ルカ1:39-45
 『主の言葉を信じた者の幸い』

1:39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、40 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。43 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。44 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。     (ルカ 1:39-45)

  マリアさんは、神さまご自身のお力によって救い主イエスを産むとされました。はじめは信じられませんでした。「どうしてそんな事がありえましょうか。いいや、あるはずない」と。マリアさんだけではなく、ザカリヤもアブラハムもサラも皆「いいや、あるはずない」と、最初には神さまの言葉を拒んで、跳ね除けようとしました。そう言えば、主イエスの弟子トマスもそうでした。誰もが皆、神さまの言葉よりも自分たちの知恵や賢さを頼りにして、神さまよりも自分たちのほうがよっぽどよく分かっているなどと、うっかり思い込んでしまいます。けれどその疑い深い頑固な人々の頑固な心を、神さまが力づくでねじ伏せて、信じさせてくださいました。どんなに賢い人よりも神さまのほうが断然賢いからです。どんなに強くしっかりした人よりも、神さまのほうがその千倍も万倍も強くしっかりしているからです。その神さまが、マリヤさんの心を打ち砕き、ねじ伏せて、信じる素直な心を彼女の中に造り出してくださいました()。それでとうとう、頑固なマリヤさんも降参して言いました。「今までは私こそが主人でありボスだと思い込んでいました。自分には何でも分かるし何でもできると思い込んでいました。けれど大間違いでした。やっと分かりました。わたしは主の召使ですし、その下っ端の下っ端の下っ端です。神さまこそが私のご主人さまです。お言葉どおりこの身になりますように。どうぞよろしくお願いいたします」(38節参照)。そうやって晴れ晴れして身を屈めて神さまの御前にひれ伏すことができたのは、一から十まで、すべてすっかり神さまご自身のおかげだったのです。分かりますか? 洗礼者ヨハネの父ザカリヤも、アブラハム、サラ夫婦も同じでした。どんなに頑固で、神さまを信じる心の乏しい人であっても、神さまがその頑固な心をねじ伏せてくださるなら、誰でも皆、神さまの言葉を信じる者とされていきます。この私たちもそうでした。
  45節を見てください。「主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんと幸いなことでしょう」。この通りです。この一人の人が幸いである理由は「信じた」という、ただ一点です。マリヤにこう語りかけているエリサベツさんも、同じく信じた一人でした。自分のこととしてよく分かったので、だから、マリヤさんの幸いもはっきりと分かりました。「ああ、私たちと同じだわ」と。この同じ神さまが、ここにいる私たち一人一人のためにも恵みの約束を語りかけつづけておられます。聖書を読んでいて、また聖書の説き明かしを聴いていて、「ああ。これは私のことだ。ぼくのことが語られている」と気づくことがありますね。そこでもし、その主の言葉がきっと必ず成し遂げてもらえると信じることができるなら、その人はとても幸いです。マリアさんやザカリヤやアブラハムとサラ夫婦や疑い深い弟子のトマスに負けず劣らず、その人もまた、飛びっきりの幸いをそこで受け取ります。この同じ一つの幸いを、私たちも、ぜひ何としても贈り与えられ、受け取りつづけたいものです。

     【割愛した部分の補足】
           () コリント手紙(1)1:18-31。私たちは、しばしば神よりも賢いつもりになってしまいました。浅はかで薄っぺらな教養と一般常識と、根拠薄弱なプライドと、いつもの「分かっているつもり」という気分が、神の恵みを跳ね除けさせました。大いに恥をかかされ、辱められるのでなければ、神さまの御前に心安く膝を屈めることのできない私たちです。「誇る者は主をこそ誇れ」という神の真理が、やがてとうとう、この私たちの只中でも確かな現実となりますように。



 ◎とりなしの祈り

 イエス・キリストの父なる神さま。あなたのものであります小さな子供たちをこの礼拝に招き、あなたのそば近くに引き寄せてくださいまして、本当にありがとうございます。「わたしの思いではなく、御心のままになさってください」と主イエスはあなたに向けて祈られました。ですからどうか、救い主イエスのその心を私たちの心とさせてください。世界中で、またこの国の中でも、私たちは大きな苦難の中に据え置かれています。原子力発電所の事故はまったく収束しておらず、震災からの復興は足踏み状態となって仮設住宅に多くの人々が置き去りにされつづけています。ですからどうか、あなたの御心を行うために立てられた、責任あるすべての者たちを正しく導いてください。国家とすべての政治家と官僚職員を、また裁判所裁判官と検察官と警察職員たちを正しく導いてください。社会福祉と医療に携わるすべての職員たち。保育所と幼稚園の職員とすべての学校教師たちと、子供の父親母親たちの働きを健やかに保ってください。18歳以上のすべての大人たちに、健全な判断力と寛容さを与え、他者を思いやる慈しみ深い心を与えてください。この国に暮らす外国人労働者とその家族をお守りください。主よ、私たちを憐れんでください。心と体に痛みをもつ人々のために祈ります。あなたからの慰めと癒しをお与えください。その家族と友人たちを、あなたの慈しみの御手をもって心強くお支えください。また私たち自身の手と心をも、その彼らに向かって差し伸べさせてください。私たちを、すべての生命ある者らを、主よ、どうか憐れんでください。
 主なる神さま、この私たちを世のための光、地上のための塩としてください。すべてのキリスト教会とクリスチャン一人一人を、あなたのご委託とご命令にかなって働く忠実なしもべとなさせてください。そのためまず、この私たち自身の祈りと生活とを十分に整えさせてください。ただ口で美しく祈るだけでなく心でも祈り、毎日の生活や行いや普段の在り方としても、祈るように生きることができますように。礼拝の中でも外でも、一人で祈る時にも仲間たちの間でも、その1つ1つの祈りをただ人間たちに向かってではなく、ただ人間たちに聴かせようとしてでもなく、あなたにこそ向けさせてください。同じ一つの大切な願いにしがみついて2030回祈ったというだけでなく、何年でも何十年でも祈り求めつづけさせてください。あなたに向かう祈りがそうでありますように、朝も昼も晩も、誰とどこにいても、自分自身や周囲の人間たちの心にかなうことなどではなく ただただあなたご自身の御心にかなうことをこそ願って生きる私たちとならせてください。あなたの御言葉と救いの約束とを信じて生きる私たちとならせてください。あなたの御言葉と救いの約束とを信じて生きる私たちとならせてください。
主イエスのお名前によって祈ります。アーメン