2022年4月4日月曜日

4/3こども説教「ヨセフが売られたとき」創世記37:18-28

 4/3 こども説教 創世記 37:18-28

 ヨセフが売られたとき

 

37:18 ヨセフが彼らに近づかないうちに、彼らははるかにヨセフを見て、これを殺そうと計り、19 互に言った、「あの夢見る者がやって来る。20 さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう。そして彼の夢がどうなるか見よう」。21 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、「われわれは彼の命を取ってはならない」。22 ルベンはまた彼らに言った、「血を流してはいけない。彼を荒野のこの穴に投げ入れよう。彼に手をくだしてはならない」。これはヨセフを彼らの手から救いだして父に返すためであった。23 さて、ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの着物をはぎとり、24 彼を捕えて穴に投げ入れた。……時に彼らが目をあげて見ると、イシマエルびとの隊商が、らくだに香料と、乳香と、もつやくとを負わせてエジプトへ下り行こうとギレアデからやってきた。26 そこでユダは兄弟たちに言った、「われわれが弟を殺し、その血を隠して何の益があろう。27 さあ、われわれは彼をイシマエルびとに売ろう。彼はわれわれの兄弟、われわれの肉身だから、彼に手を下してはならない」。兄弟たちはこれを聞き入れた。28 時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので、彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った。               (創世記 37:18-28

 

 

【こども説教】

イスラエルと呼ばれるようになったヤコブと、その12人の息子たちの物語。「神によって子供たちとすべての富を得た」と喜び、神に感謝していたヤコブでしたが、子供たちの育て方を間違えてしまいました。末の息子ヨセフだけを特別に愛し、えこひいきをし、そのあまりに他の兄弟たちが弟ヨセフを憎んで、殺そうとするまでに彼を甘やかしつづけてしまいました。父ヤコブもまた、なお心を鈍くされつづけてしまったからです。神の恵みに答え、神に感謝する生き方をしようとして、けれどもなおこの私たち自身もまた、子供たちの育て方を間違え、家族に対してしてはいけない悪いことをしてしまうこともあるでしょう。そのために兄弟同士や、慈しみ労わり、許し合うはずの夫と妻が、また実の親子が、激しく憎み合うこともありえます。申し訳ないことです。罪を犯さない者など1人もいません。しかもなお、その間違った悪い心や行いを用いても、神が救いの御業を成し遂げていかれます。私たちのねじ曲がった悪い心や行いを、神が捻じ曲げ、良いものへと変えてくださいます。兄たちが弟ヨセフを殺そうとしたとき、ルベンとユダがヨセフの命を救うためにそれぞれに心を砕き、努力をしました。そのおかげでヨセフは殺されず、エジプトに売られて生き延びました。ルベンとユダを用いて、ここでも、神こそが生きて働いておられます。

兄たちはヨセフに対して悪いことを思い図り、たくらみ、ヨセフを殺そうとさえしましたが、神はそれを良いものに変えてくださいました(創世記50:20参照)

 

 

【大人のための留意点】

 神を信じていながら不従順になった兄たち徹底した悪魔性を用いて、悪の勢力はそれほどに勝利を収めるのです。それでもなお、そこに神がおられます。ここではサタンが操縦席に座っているのではありません。神の保護の御手はルベンとユダの行動と努力の中にあらわれます。「神がすべ治め、すべてをよきに導き給う」。

 ヨセフが飢えて衰弱している穴のそばで、兄たちが陽気に「たらふく食べて」いる情景25節を参照)。彼らは、その兄弟たちがひもじい思いをしている穴のそばに座って、一日に三度も五度も「たらふく食べて」いる。けれども、そこには神が居られます。われわれ人間が悲哀この上もないヨセフ物語に描かれているような者であればこそ、神が御業をなさるのです。そして、それは救いの御業であり、神が御業をなさるのです。われわれが井戸のそばにたむろする人々のような者たちであればこそ、救いが必要なのです。われわれには井戸の中に投げ込まれたヨセフ以上に、エジプトに売られたヨセフ以上に、救い主が必要です。審き主であって救い主であるかたが、当時も今も、御業をなさっておられます(ヴァルター・リュティ『ヤコブ 創世記連続講解説教集』該当箇所、新教出版社)