2022年4月25日月曜日

4/24こども説教「神に代わることができようか」創世記50:15-21

4/24 こども説教 創世記 50:15-21

 神に代わることができようか

 

50:15 ヨセフの兄弟たちは父の死んだのを見て言った、「ヨセフはことによるとわれわれを憎んで、われわれが彼にしたすべての悪に、仕返しするに違いない」。16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った、「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました、17 『おまえたちはヨセフに言いなさい、「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。18 やがて兄弟たちもきて、彼の前に伏して言った、「このとおり、わたしたちはあなたのしもべです」。19 ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。21 それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。             (創世記 50:15-21

 

 

 【こども説教】

 22年ぶりの、兄弟たちの仲直りです。しかも兄たちは弟ヨセフを殺そうとしたほどに悪いことをしました。その弟は、今では、エジプト王の次に大きな権威と力と身分を手に入れています。もし、あの弟の機嫌を損ねたら、嫌われたら弟に何をされるか分からないと兄たちは恐れました。19-21節、「ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。恐れなくても良いと、2回もつづけて語りかけています。兄たちも、ここに集まった私たちも、自分や家族が安心して暮らしていける理由をはっきり分かっていましょう。「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか」。エジプト王の次に偉く、力のある私でさえ、神に代わることは出来ない。つまり、神にだけ十分に信頼を寄せて、神以外の何者をも恐れないでいられるなら、何が起きてもどこの誰が脅かしても、いつでもどこでも何の心配もない。もし、「偉くなったヨセフが私たちの味方だから安心だ」と勘違いしてしまうなら、その安心は当てにならず、長続きもしません。なぜなら、その頼りになりそう、とてもしっかりしているように見えるヨセフさえ、ただの人間にすぎないからです。神にこそ十分に信頼できてこそ、その人は、いつでも安心して、恐れなく希望をもって生きることができます。

 

 

 【大人のための留意点】

 愛する兄弟姉妹よ。神が人間の過失、罪、咎をその全能の御手におとりになり、悪しき状態を良きに変わらせることは、明るく輝かしい秘義です。ヨセフの兄たちの咎を、神はイスラエルの救いに転化なさいます。キリストの処刑を、神は世の救いへとお変えになります。聖金曜日を、神は復活へとお変えになります。昇天の日に、神はその苦難のしもべ(救い主イエス)に天と地のあらゆる権威を授けて支配者となさいます。それゆえに、このようになぜ悪が栄えるのかという、古来の難問に、神は答えをお与えになります。悪の繁栄は決して最後的のものではありません。それは、いつの場合にも、一時的のものです。神が最後の断をお下しになります。神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、悪しき状態を良きに変わらせられます。この信仰を、かの言葉によってヨセフは言い表すのです。「あなたがたは悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせられた」と(ヴァルター・リュティ『ヤコブ 創世記連続講解説教集』該当箇所、新教出版社)