2020年3月2日月曜日

3/1こども説教「古い考えのユダヤ人たちのために」使徒16:1-5


 3/1 こども説教 使徒行伝16:1-5

16:1 それから、彼はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、2 ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。3 パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。4 それから彼らは通る町々で、エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと、人々にそれを渡した。5 こうして、諸教会はその信仰を強められ、日ごとに数を増していった。        (使徒行伝16:1-5

 福音を知らせて歩く旅に、テモテという1人の若者を連れて行きたいと主の弟子パウロは願いました。けれど、そのためにパウロはその若者にまず割礼を受けさせました。3節、「パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである」。神を信じる者とされるしるしは「割礼」から「洗礼」へと取り換えられました。神がそう決めたので、人々はそれに従いました。また神を信じることはユダヤ人だけではなく、外国人にも誰にでもゆるされることが知られ始めました。けれども、そのことをまだよく分からないし、なかなか受け入れられないユダヤ人たちも大勢います。さあ、どうしましょうか。「割礼」は神に対しては取り止めになり、もうしなくてよいものになっています。けれど、それを知らないユダヤ人には困ったり、悩んだりするつまずきになるかも知れませんでした。そこで、周りにいるまだまだ古い考えのままでいるユダヤ人たちが困らないようにと、その人たちのために、あの若者に割礼を授けさせました。なぜならそのユダヤ人たちも、神を信じて心安く生きるはずの大切な人たちだからです(*)

     (*)【重荷を負わせないため、他者の重荷を背負ってあげるため】
     「テモテの割礼」についてのこの判断は、なかなか微妙で難しいと思います。直前の15章で、「異邦人に不要な重荷を背負わせないため、洗礼のみで、割礼を受けさせないで良い」と決議したばかりです。古い考えに囚われているユダヤ人たちのための配慮として、今回は例外的に暫定的に、「テモテへの割礼」を受け入れました。パウロとテモテが彼らの重荷を代わりに担ってあげたということも出来るでしょう。そこに隣人を愛する道理があります。ただ、これが慣例となって長期間にわたってつづくようなら、キリスト教会にとって大きな災いとなり、多くの外国人キリスト者たちに不要な重荷を背負わせ続けることになります。それでは、せっかくの決議が台無しです。つまりこの配慮は、ごく短期間ゆるされるだけの応急手当に過ぎません。「まず第一に神を愛すること、第二に自分自身と隣人を愛すること」と福音の明白な優先順位があります。そうでなければ、神を少しも思わず、自分自身と周囲の人間たちのことばかり思い煩って、単なる人間集団に成り下がってしまうかも知れません(マタイ16:23,22:34-40,使徒4:17,5:29)。自分自身の思いや他の人間たちにではなく、神にこそ聴き従う私たちです。ですから、割礼と洗礼についての新しいルールを出来るだけ早くこのユダヤ人たちにも丁寧に伝えてあげる努力が必要です。大きな緊急の宿題が残されました。