2017年9月26日火曜日

9/24こども説教「塩気がなくなったら」ルカ14:34-35

 9/24 こども説教 ルカ14:34-35
 『塩気がなくなったら』

14:34 塩は良いものだ。しかし、 塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか。35 土にも肥料にも役立たず、外に投げ捨てられてしまう。聞く耳のあるものは聞くがよい」。
(ルカ福音書 14:34-35

  ケンちゃん。「あなたがたは世の光であり、地の塩である」(マタイ5:13-16と主イエスから教えられている私たちです。光には、自分自身やまわりを照らし出して明るくし、よく見えるようにする役割があります。塩にもいくつか大切な役割があります。食べ物を良い味にしあげますし、食べ物が悪くなって腐ってしまわないように、長持ちさせます。私たちがこの世界のための塩だとしたら、とても優しい良い神さまが私たち皆を大切に思い、可哀想におもってくださって、助けてくださろうとしていることを知っているからです。だから私たちは塩ですし、それが私たちの塩気です。けれど、とても優しい良い神さまが私たち皆を大切に思い、可哀想におもってくださって、助けてくださろうとしていることを、もし、すっかり忘れて、分からなくなってしまったら、その人は塩気がなくなって、もう塩でもなんでもありません。それでは困ります。とても優しい良い神さまがこんな私のことも大切に思い、可哀想に思って、何度も何度も助けてくださったし、これからも助けてくださる。他の人たちに対しても同じくそうだ。もし、その大切なことを思い出すことができさえすれば、ただそれだけで またその人は光の子供に戻り、塩気のある子供に戻っています。ああ、よかった。


      【補足/塩で味付けられている】
塩をかけるとおいしくなるだけでなく、その食べ物は腐らないで長持ちします。塩辛とか、塩魚とか。聖書は勧めます「いつも、塩で味付けられた、やさしい言葉を使いなさい」(コロサイ手紙4:6)私たちは漬物のようです。聖書の言葉を自分の体にふりかけられて、頭の上に重い重い大きな石を乗っけられて、しばら~くするとおいしい漬物になります。しんなり柔らかくなるし、ワガママ勝手で頑固なトゲトゲしいところがだんだんと少なくなっていって、やさしく親切な、思いやり深い人間にされていきます。
      地の塩だし、世のための光だと言われています。それはなにしろ、救い主イエス・キリストこそがこの世界を照らす、明るく輝く光だからです(ヨハネ1:9,8:12,テサロニケ(1)5:5,イザヤ60:1)。主イエスから教えていただいて、主イエスに聴き従って生きているので、私たちも、主イエスの光を鏡のように反射して、その明るい光で自分自身や周りを明るく照らすようになります。これが神さまからの約束です。主イエスからの明るい光に照らされて、するとまず、自分自身が何をしているのか、どんな態度で人と付き合っているかがよく分かるようになります。自分がしている良いことも、悪いことも (ヨハネ手紙(1)2:9-11)。ああ、そうだったのか。「私が私が」と強情を張るのを止めて、やさしい素直な心を取り戻しとき、やっと、神さまのもとに戻ってくることができました。ああ、よかった。