2015年11月2日月曜日

★上田駅前アピール集

上田駅前アピール集
2015919日未明、参院で憲法違反の「安保関連」法案がとうとう採択されてしまった。「『対抗する、補完的な民主主義』が立ち現れてきた、そこに希望がある」と人は言う。けれど正直な所、17日の夕方の、参院特別委員会の8分間の強行採決の映像を見せられて、心が折れてしまいそうだ。

「粗末にされ、使い捨てにされる」8月7日)
「嘘。立憲主義」8月14日)
「談話」(8月21日)
「原発再稼働」(8月28日の夕方)
「日本の軍隊は国民を守るのか?」94日)
「ひとりの学会員から」911
「間違ってる915
「大きな声で止めてと言う」(916)
「武器輸出で金儲けを?」 (918)
 「沖縄に聴け925日)
「国民を使い捨てにする国家」(102)
「踏みにじりつづける国家」(1030)
「沖縄の嘆き」12月4日  

2016年

「伊方原発、いますぐ止めよう」8月26日
「日米原子力協定って何だ?」10月7日
「一億まるごと大安売り社会」10月28日
「押しつけ人殺し、絶対反対。」12月9日
                      +駅前マイク活動無期限休止のお詫び





◎上田駅前アピール
「粗末にされ、使い捨てにされる」8月7日)

        上田駅前ロータリーに少数の市民グループが集まって、ビラを配ったり、プラカードを掲げたり、マイクを握ってアピールしたり。戦局が悪化した今は日本中どこでも見られるごく普通の風景になったかも知れない。この上田駅前では、たぶんイラク派兵の頃からずっと、細々ながらつづいている。僕は学生の頃からずっとノンポリ(政治的無関心層)だったけど、4月から上田に転勤になって、なんとなくこの仲間に加えてもらうことになった。毎週金曜日の夕方、5:30から6:00頃まで。

 こんにちは。多少は危なっかしいことも喋りますから、まず自分自身の身元を明らかにしておきます。大手町1丁目の、上田高校に登っていく途中にある、日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。どうぞ中学生も高校生も聞いてください。専門学校生も短大生も大学生のお兄さんお姉さんがたも聞いてください。「♪ずっと嘘だったんだぜ~」と斉藤和義が、あの替え歌をユーチューブ上に公開したのが201147日でした。あれから4年4ヶ月たちました。
♪ この国をゥ歩けば、原発が54基ィ。教科書もCMも言ってたよ「安全ですゥ」。俺たちを騙して、言い訳は「想定外」。なつかしいあの空、くすぐったい黒い雨~。
 「そうそう聞いた話ですけど、『だって戦争に行きたくないじゃん』って若い人たちが口々に言ってるらしいです。なんて自己中心で、極端なワガママ思考でしょう。ワガママですよお こっちだって、『どうしても戦争に行かせたいじゃん』て天下の総理大臣様が仰ってるんですから。総理と政府与党の自己中心とワガママに、ここはどうしても従ってもらわなくちゃ。そうでないと、全体主義のファシスト国家は成り立ちませんよ。ね、誰でもそう思うでしょ。じゃあ考えてみてください。国民のワガママとォ、内閣総理大臣のワガママ勝手好き放題とォ、どっちがワガママですか。権力を握った、強いほうのワガママ勝手が、とおるに決まってます。なにしろオカミの仰ることなんですから。私たちシモジモの者は従うほかないんですから。え、タチの悪い長いものに巻かれるのは嫌だって? そりゃあワガママだ 極端に健康的すぎる。残念なほどに筋も道理も通ってる。ですからァ、お父さんお母さんもお爺ちゃんお婆ちゃんも、学校でもご家庭でも各町内会自治会でも、皆さんどうぞ安心して、大切なかけがえのないお子様たちを、どんどんどんどん戦争に送り出してあげてください。
 しかも皆さん、(これは内緒で、まだここだけの話なんですけど)徴兵制は実施しません。お金がかかりすぎるからです。それよりももっと格安で、もっと便利でお手軽なやり方があるんですよ。非正規雇用でェ、平和貢献開拓団をゥ、満州やモンゴルでもフィリピンでもアラブ中東でも北朝鮮でも、どこにでもどんどんどんどん派遣しちゃうんですヨ。パートタイムの開拓団。ね、イイ話でしょう。前回、満州とモンゴルに派遣するこの平和貢献開拓団を一般募集したときは、なんと、この長野県が全国で第一位 ダントツに応募者が多かったんです()。ブラボー、素晴らしい。民間のォ、下請けの下請けの下請けの派遣会社に斡旋させます。で、旗色が悪くなったらその方々を現地に置き去りにして、知ら~んぷりして、サッサと見捨てて逃げちゃいます。勘違いしちゃダメですよ、国家は皆さんを守りません。今までず~っとやってきたとおりに、ただ利用するだけ利用して、ポイポイ使い捨てにします。皆さんこそが、国家と政治家と資本家たちの利益を守るんです。「国家じゃなくて、下請けの下請けの派遣会社が勝手にやった。開拓団も、自発的に喜んで出かけていった」と言い逃れもできます。ですから今回も安心して、ご家族お揃いで、お友達やご近所さんお誘い合わせのうえ、鉄砲担いで戦争に出かけていってください。殺したり殺されたりして、皆さん自身が自分たちの生命を粗末にすることは有り得ません。粗末に「される」だけです。都合よくただ便利に、使い捨てに「される」だけです。流れ弾がピューンと飛んできてパンパンパンパン当たりますが、それでもなお皆さんは絶対に死にません。今後共戦死者も犠牲者も一人もなく、いささかの変更も断じて、絶対に、ありえません。内閣総理大臣のこのアベが申してるんですから間違いありません。なにしろ安全なんですから。たとえ犬死したり無駄死にすることがあるとしても、皆さんの魂はいつまでも生き続けて、祖国日本と偉大な大アメリカ合衆帝国を守りつづけます。しかも平和貢献です しかも、お金も儲かります。破綻しかけている地方もこれで再生し、活気を取り戻します。しかも絆と団結と愛国心と、美しい国日本です。喜んでください 苦労して苦労して、愛情をたっぷり注いで子供を精一杯に育てあげてきた甲斐があったと、どうぞ大喜びに喜んでください。ええ、手順や段取りがよく分からない。いえいえ安心です。だって70年前と、まったく同じなんですから 今回もまた、『天皇陛下ばんざーい』と晴れ晴れして、ニコニコして死んでいくようにと、学校でもご家庭でも各町内会自治会でも、よくよく教え込んであげてくださ~い。小学校、中学・高校の先生方、地方行政団体の教育委員会の皆さん、おうちのお父さんお母さんたち、町内会自治会の皆さ~ん。よろしくお願いしますよ~」
 ♪ ずっと嘘だったんだぜェ、やっぱバレてしまったな。ほんと嘘だったんだぜ。原子力は安全です。ずっと嘘だったんだぜ、ホーレン草喰いてえなあ。ほんと嘘だったんだぜ。気づいてたろう、この事態。風に舞う放射能はもう止められな~い。何人が戦死すれば気がついてくれるの?() じゃあ、「戦争させるな、わっしょいわっしょい」ってやりましょうか――(I  SAY  わっしょいわっしょい。YOU SAY わっしょいわっしょい。ご唱和よろしくお願いいたします) ♪わっしょいわっしょい、  わっしょいわっしょい わっしょいわっしょい、がんばっていきまっしょい、憲法守れ 憲法守れ 勝手に決めんな 勝手に決めんな 強行するな 強行するな 戦争反対、反対、反対、絶対反対 ぼくらの国なんだぜ。ぼくらの民主主義なんだぜ。 

         ()『滿蒙開拓平和記念館』下伊那郡阿智村駒場711-10,資料参照のこと
       ()斉藤和義「♪ほんと嘘だった」 




上田駅前アピール「嘘。立憲主義」8月14日)
                                                  
 こんにちは。まず自分自身の身元を明らかにしておきます。大手町1丁目の、上田高校に登っていく途中にある、日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。どうぞ中学生も高校生も聞いてください。専門学校生も短大生も大学生のお兄さんお姉さんがたも聞いてください。「♪ずっと嘘だったんだぜ~」と斉藤和義が、あの替え歌をユーチューブ上に公開してから4年4ヶ月たちました。一旦止まった原発もまた1つまた1つと全部再稼働し、まるで何事もなかったような顔をして「安全安全、商売繁盛」と言い立て、そうこうするうちに福島以上の壊滅的な原子力発電所事故が九州でも北海道でも静岡でも北陸でも、すぐに何度も何度も起こります。必ず、もうすぐそうなります。この国全体が焼け野原になって、誰も住めない毒にまみれた土地に成り果てます。♪ この国をゥ歩けば、原発が54基ィ。教科書もCMも言ってたよ「安全ですゥ」。俺たちを騙して、言い訳は「想定外」。なつかしいあの空、くすぐったい黒い雨~(*)
 「憲法守れ、9条守れ、勝手に決めんな」など私たちは叫び続けています。憲法9条の中身をもう一度、ご紹介します;「第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。どうしてこういうことが大事なのかと申しますと、どの国の政府も国家も総理大臣も良いこともするし、それだけじゃなく、してはいけない悪いこともついついしてしまうからです。だって人間だもの 憲法の一番大事な役割は、国家権力にタガをはめておくことです。国家権力という大きな力を握る者たちが、けれど憲法の範囲内でしかその権力を使うことができないようにしておくこと。それを『立憲主義』と言います()。国家権力にはめてきたその大事なタガが戦後70年たって、ついに外されようとしています。これまでは憲法に従って、そこで許されている範囲内でだけ政府は力を振るってきました。けれど今、不都合な部分は無視する。閣議決定でどんどん変える。政府と国家と総理大臣が好き勝手に自分勝手に振舞いはじめようとしています。憲法に従っていようが違反していようが、「それは間違っている」と多くの人々が言い立てても耳も貸さない。とても恐ろしいことです。618日、国会議事堂前で女性の坊さんのお婆さんの瀬戸内寂聴さん ()が死にそうな体を引きずってきて、必死に語りかけました;「このままではダメです。どうせ死ぬなら、日本は本当に恐ろしいことになってしまうと話してから私は死にます。『この戦争は天皇陛下のため。日本の将来のため、東洋平和のため』などと教えられていたが、戦争に良い戦争なんて絶対にない。戦争は人殺しです。殺さなければ殺される。こんなことは人間の一番悪いことです。二度としてはならない」と。それでも総理大臣と政府与党が「戦争を出来る国にぜひしたい。どうしても戦争をしたい」と言い張るとき、この私たちはオカミが仰るなら仕方がないと嫌々渋々でも従うんですか。70年前と、まったく同じに。今回もまた、『天皇陛下ばんざーい』と晴れ晴れして死んでいくようにと、学校でもご家庭でも各町内会自治会でも、よくよく教え込むつもりですか。小学校、中学・高校の先生方、地方行政団体の教育委員会の皆さん、おうちのお父さんお母さんたち、町内会自治会の皆さん。大切な子供たちや若者やあなたの大切な教え子たちを、再び人殺しの戦場に送り込むつもりですか。そのとき私たちはただの被害者ではありません。悪事の片棒を担ぐ加害者であり、極悪非道な悪者達の一人です。私たち大人には、大きな責任があります」
 ♪わっしょいわっしょい、  わっしょいわっしょい わっしょいわっしょい、がんばっていきまっしょい、憲法守れ 憲法守れ 勝手に決めんな 勝手に決めんな 強行するな 強行するな 戦争反対、反対、反対、絶対反対 ぼくらの国なんだぜ。ぼくらの民主主義なんだぜ。 

            ()牧師も一人のクリスチャンも このように語り行動する責任を委ねられている。神の名を口にしてもしなくても、「何をするにも神の栄光のためにせよ」「そこでそのように、主キリストに仕えている。天に主人がいると知っているのだから」と(コリント手紙(1)10:31,コロサイ手紙3:22-4:1,ローマ手紙12:1-2)
        ()斉藤和義「♪ほんと嘘だった」    
           ()「立憲主義」;国家権力を憲法の下に置き、権力を握る者らがその役割を乱用しないように、権力者が暴走しないように、その行使を制限することを目的とする。ただし第二次大戦中のナチス・ドイツ政権のように、かつてと今現在のわが国のように、この仕組みを形骸化・無力化することは可能であり、その危険はいつもある。
            ()小説家、天台宗の尼僧、平和活動家。93歳。





付録/上田駅前アピール「談話」(8月21日)

   毎週金曜日の夕方、数名の市民運動の仲間たちが駅前ロータリーに集まって、
通りかかる人々に呼びかけつづけている。ぼくも、少し喋った。

 こんにちは。大手町1丁目の、日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。どうぞ中学生も高校生も聞いてください。2人か3人くらいは、何の話だろうって耳を澄ませている人もいるでしょう。この814日に、戦後70年の「安倍談話」が閣議決定されて公表されました。「ヨーロッパ諸国やロシアやどこかヨソの国がアジア諸国を侵略し、植民地支配し、人権やその尊厳を踏みにじった。その侵略者に日本が抵抗した日露戦争はアジア諸国の人々を大いに励まし、勇気づけた」などとあの彼は語ろうとしていました。彼の談話に、ほんの少しの道理もあるかもしれません。けれど彼がわざと語らなかった真実が残されます。そんな美談ではなくて 「この日本という国が確かに侵略し、アジア諸国と沖縄を植民地支配したし、この日本という国が今なお女性や子供や他の民族や、それどころか同胞である多くの日本人の人権やその尊厳をさえ踏みにじりつづけている」と心底から告白せねばなりません。私たちの国は、どこかヨソの悪者のためにひどい目にあったかわいそうな被害者や犠牲者ではありません。例えば豊臣秀吉の1592年からの朝鮮出兵も、1894年からの日清戦争も、1904年からの日露戦争も、1931年からの日中戦争も、1941年からのアジア太平洋戦争も皆すべて日本の領土を広げ、ヨソの国の資源を奪おうとする侵略戦争でありつづけました。当時は琉球王国と呼ばれ、元々他の国だった沖縄を1609年以降にまず薩摩藩が、続いて明治政府が日本の領土としたのも、「向こうからぜひそうして欲しい」と頼まれたわけでもなく、力づくでわが国の領土とし、植民地としたのです。先祖と私たちは当の侵略者自身であり、加害者であり、人権と尊厳を踏みにじりつづける張本人です。今も現に沖縄とその人々を植民地扱いしつづけています。歴史を学ぶとはそのことです。その歴史からほんの少しも学ぼうとしないからこそ、再び70年前とまったく同じことを私たちの日本国はいま直ちに繰り返そうとしています。国家の指導者だけではなく、私たちのキリスト教会もまったく同じでした。戦中戦後の日本のキリスト教会も、この同じ悪事に加担しつづけました。申し訳ありません。お詫びのしようもありません。「皇運を扶翼する(=こううん・ふよく。天皇陛下をお助けし、陛下のものである国を強く豊かにするため励むこと)ため、わが国とアジア諸国の平和貢献のため、大東亜共栄圏建設のため」と言いながら、私たちキリスト教会もまた率先して、植民地支配や侵略や、女性や子供や他の民族や、同胞である多くの日本人の人権やその尊厳をさえ踏みにじってきました。本当に恥かしいことです。しかも 少しも反省できない私たちの国は再び70年前とまったく同じことをいま直ちに繰り返そうとしています。それでも総理大臣と政府与党が「戦争を出来る国にぜひしたい。どうしても戦争をしたい」と言い張るとき、この私たち自身は、オカミが仰るなら仕方がないと嫌々渋々でも従うんですか。70年前と、まったく同じに。今回もまた、『天皇陛下ばんざーい』と晴れ晴れして死んでいくようにと、学校でもご家庭でも各町内会自治会でも、よくよく教え込むつもりですか。小学校、中学・高校の先生方、おうちのお父さんお母さんたち、大切な子供たちや若者やあなたの大切な教え子たちを、再び人殺しの戦場に送り込むつもりですか。そのとき私たちは、もうただの被害者ではありません。悪事の片棒を担ぐ加害者であり、極悪非道な悪者達の一人です。私たち大人には、子供たちや孫、後につづく世代の方々に対して大きな責任があります。
 ♪わっしょいわっしょい、  わっしょいわっしょい わっしょいわっしょい、がんばっていきまっしょい、憲法守れ 憲法守れ 勝手に決めんな 勝手に決めんな 強行するな 強行するな 戦争反対、反対、反対、絶対反対 ぼくらの国なんだぜ。ぼくらの民主主義なんだぜ。 




 付録/上田駅前アピール「原発再稼働」
(8月28日の夕方) 

 こんにちは。危なっかしいことも喋りますから、まず自分自身の身元を明らかにしておきます。大手町1丁目の、上田高校に登っていく途中にある日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。「好き勝手に戦争できる国にする」ことも、沖縄を植民地扱いしつづけることも、原発を次々と再稼働していくことも皆よく似ています。数珠つなぎになって、国家の1つの政策であり、1つの活動だからです。「♪ずっと嘘だったんだぜ~。やっぱバレてしまったな。みんな嘘だったんだぜ」と斉藤和義が、あの素敵な替え歌をユーチューブ上に公開してから4年4ヶ月たちました。一旦すべて止まった原発もまた1つまた1つと次々再稼働し、まるで何事もなかったような顔をして「安全安全、商売繁盛」と言い立て、そうこうするうちにこの国全体が焼け野原になって、誰も住めない、毒にまみれた土地に成り果てます。どうしてそう言えるのか、その理由と根拠を説明しなければなりません。説明します;(1)いまだに「安全だ安全だ」と言い立てているし、多くの人々が本気で安全だと思っている。だからまともな避難計画もなしに原子力発電所の再稼働が次々と許可され、とても危ない発電所が動きつづけるからです。(2)「再稼働を認めるのは間違いだ。原発は安くて安全どころか、高くてあまりに危険だ」と人々が必死に訴えても、政府も電力会社も、また国民の多くも耳を貸さないからです。しかもこの8月に、「再稼働を判断し、責任を負うのは、国家ではなく電力会社と規制委員会だ」と政府は知らんぷりする本音を正式に白状したからです()。もし国家が責任を負わないとするならば、もちろん委員会も電力会社も責任を負うはずがありません。原発を設置しているそれぞれの都道府県も市町村も、再稼働に賛成した住民たち一人一人も、誰一人も責任を負わないでしょう。(3)201112月に当時の内閣総理大臣、野田佳彦(のだ・よしひこ)は「今回の原発事故は収束した」と公けに宣言し、その1年半後の20133月に安倍晋三総理大臣は「やっぱり収束していない」と収束宣言を撤回しました。その通りです。今後共、福島第一原子力発電所事故は収束する見込みもメドもまったく何も立っていない現状です。水をジャブジャブジャブジャブかけて冷やしつづけるしかできません。お手上げです。その結果、大量に生み出される高濃度の放射能汚染水を太平洋の海に垂れ流しつづけています。これからもそうです。「除染、除染」と言っていました。あの汚染された膨大な量の土も同じ扱いを受けています。町外れの大きな空き地のあちこちに、黒っぽいシートを被せて積み上げています。それで除染したことになるのかどうか。多分、除染ではなくて偽善です。高濃度の放射性汚染水を海にジャブジャブ垂れ流すことも、除染ではなくただの「垂れ流し」です。目をつぶり耳を塞ぎ口も塞いで知らんぷりすることも、除染ではなく収束でもなく安全でもありません。が、他にどうしようもありません()(4)地質学者や専門家たちの多くもずいぶん前から、この国が地震や火山のとても多い国であり、その地質も、まるで豆腐やプリンのようにプルプル震える柔らかくて崩れやすい土地だとよくよく分かっていました。「豆腐やプリンのようにプルプル震える柔らかくて崩れやすい土地の上に原子力発電所を次々建てて、一体どうするんだ。危ないじゃないか、困ったじゃないか」と、誰にも聞こえない小さな声でブツブツつぶやきつづけています。あのとき以上の地震がいつ起こるのか、いつ壊滅的な事故が発生するのか、誰にも予測がつきません。そうだとしても、もし仮に3040年の猶予があったとして、それがいったい何の役に立つでしょう。あっという間です。だって 安全だと決めつけていて、ろくな避難計画も立てず、本気の防止策もなく、誰一人も責任を負おうとしないからです。そのとき多くの人々がまた、「またまた想定外だった。想定していなかった」などと驚いたふりをするでしょう。福島以上の壊滅的な原子力発電所事故が九州でも北海道でも静岡でも北陸でも、すぐに何度でも何度でも起こりえます。この国全体が焼け野原になって、毒にまみれた誰も住めない土地に成り果てます。子供や孫や、あとから来る世代の方々に対して、皆さん方もこの私自身も申し訳が立ちません。詫びのしようもありません。恐ろしくて恐ろしくて、言わずにはおられません。
  わっしょいわっしょい、わっしょいわっしょいがんばっていきまっしょい。憲法守れ、憲法守れ。勝手に決めんな、勝手に決めんな。強行するな、強行するな。戦争反対、原発反対、反対反対、絶対反対。戦争反対、原発反対、反対反対、絶対反対。ぼくらの国なんだぜ、ぼくらの民主主義なんだぜ。

      ()2015810日,「第一義的には稼働の責任は事業者」菅義偉(すが・よしひで)内閣官房長官の記者会見。 同日、安倍晋三首相、参議委員予算委員会での発言をも参照。
      ()インターネット[You Tube]『小出裕章ジャーナル・シリーズ』;問題は悪化している。「汚染水」「地下水流入を防ぐ手段」「膨大な被爆作業労働者の確保」「高まる再稼働の気運」「核のゴミをどうするか」「使用済み核燃料の取出し」「事故から4年」「石棺で封じ込めるしかない(2015,4,25)」「避難指示解除は妥当か(2015,7,11)」「廃炉工程表見直しについて(2015,7,25)」「川内原発再稼働(2015,8,8)」、参照。






◎付録/上田駅前アピール
 「日本の軍隊は国民を守るのか?」9/4
                        

 こんにちは。少しは危なっかしいことも語りますから、まず自分自身の身元を明らかにします。大手町1丁目の、日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。「安保法案に賛成」という人々もいます。ある40代後半のお母さんは、「私たちの家族を守るため、平和安全法制に賛成します」と訴えていました。でもお母さん、平和安全のためだというこの法案は、本当に、私たちの大切な家族を守ってくれるでしょうか? アメリカと一緒になってどこへでも出かけていって、好き勝手に戦争できる国になることは、本当に、私たち自身や家族や子供や孫たちの平和と安全と生命を守ってくれるでしょうか。私たちの軍隊は、自分の国の国民を本当に守るでしょうか?
  一般市民がいつもの生活の只中で戦争の現実と生々しく直面させられたことが、この国では2回ありました。70年前です。1つは、日本の領土で唯一の地上戦がなされた沖縄戦。もう1つは、満州の奥地に大勢で出かけていった満蒙開拓団の場合。「私たちの家族が、具体的にはどういう目にあうのか」ということを、そこではっきりと体験しました。日本の軍隊は、私たちを守りませんでした。例えば沖縄では、守りきれないし足手まといになるし、かえって軍事情報が漏れたり不都合があるからと、もしかしたら裏切ってスパイ行為を働くかも知れないしと、「自分たちをきっと必ず守ってくれる」と信じていた自分たちの軍隊の手によって、多くの国民が殺されてしまいました。あるいは手榴弾を手渡されて、「天皇陛下に迷惑をかけないように自分たちで死になさい」と指導され「ハイ分かりました」と、そのとおりのことが置きました。多くの沖縄県民の集団自決です。本当のことです()。例えば満州の奥地に出かけていった満蒙開拓団でも、同じことが起きました()。知ってますか? 開拓団の応募者数はこの長野県が第1位で、ダントツに多かったのです。とても貧乏だったし、うまいことを言われてうっかり鵜呑みにして信じてしまったからです。戦局が悪化し旗色が悪くなると、私たちの軍隊は、入植した日本人を置き去りにして、スタコラサッサと逃げ去りました。爺さん婆さんも病気の人もケガした人も、お母さんも子供も小さな赤ちゃんもみな見捨ててです。あとになってから、「ああ騙されていた。みんな嘘だった」と気づいても手遅れです。私たちの軍隊は、私たちを守りません。ただただ国の利益を守るための軍隊だからです。国の利益には、私たち一人一人が安心して平和に暮らすことなど入っていません。最初からそうだったし、ずっとそうでした。歴史をちゃんと学んで、軍隊がどういうことをするのか、世界と国民に対して今まで何をしてきたのか、その現実を私たちははっきりと知らねばなりません。戦争に、良い戦争も正しい戦争もありません。それはいつも、利益と金儲けのための侵略戦争でありつづけました。私たちの軍隊は私たちを守りません。私たちの生命も安全も、また兵隊たち自身の生命も粗末に扱われ、使い捨てにされつづけます。本当のことなんですよ。それでも総理大臣と政府与党が「戦争を出来る国にぜひしたい。どうしても戦争をしたい」と言い張るとき、私たちシモジモの者はオカミが仰るなら仕方がないと従うんですか。70年前とまったく同じに。今回もまた、『天皇陛下ばんざーい』と晴れ晴れして死んでいくようにと、学校でもご家庭でも各町内会自治会でも教え込むつもりですか。小学校、中学・高校の先生方、おうちのお父さんお母さんたち。お願いします。本気で、よくよく考えてみてください。あなたの大切な子供たちや教え子たちを、再び人殺しの戦場に送り込むつもりですか。そのとき私たちは、ただの被害者ではありません。悪事の片棒を担ぐ加害者であり、極悪非道な悪者達の一人です。私たち大人には、大きな責任があります」
 ♪わっしょいわっしょい、 わっしょいわっしょい、がんばっていきまっしょい、憲法守れ 憲法守れ 勝手に決めんな 勝手に決めんな 強行するな 強行するな 戦争反対、反対、反対、絶対反対 ぼくらの国なんだぜ。ぼくらの民主主義なんだぜ。


       ()1945~島は戦場だった。オキナワ365日~」(2010年,琉球朝日放送)、「沖縄戦よみがえる戦場~読谷村民2500人が語る地上戦~」(2005年,NHK沖縄)、「むかしむかしこの島で」(2005年,沖縄テレビ)、「枯葉剤を浴びた島~ベトナムと沖縄、元軍人の証言~」(2012年,琉球朝日放送)、「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~』(2015,8,11放送,NHKアニメ・ドキュメント)
    「よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について……」(Oストーン, Pカズニック, 乗松聡子,金曜日出版),「わたしの沖縄戦①~④」行田稔彦、新日本出版社。
      ()「満蒙開拓平和記念館」(長野県下伊那郡阿智村駒場711-10);開拓民が入植した土地はその6割が漢人や朝鮮人の耕作していた既耕地を強制的に買収した農地であり、開拓地とは名ばかりだった。194589日ソ連軍が満州に侵攻すると、関東軍は開拓移民を置き去りにして逃亡した。ソ連参戦時の「満蒙開拓団」在籍者は約27万人であり、そのうち「根こそぎ動員」者47000人を除くと開拓団員の実数は223000人、その大半が老人、女性、子供だった。男手を欠いた開拓移民は逃避行に向かい、その過程と難民生活で約8万人が死亡。主に収容所における伝染病感染を含む病死、戦闘、さらには移民用地を強制的に取り上げられ生活の基盤を喪っていた地元民からの襲撃、前途を悲観しての集団自決などが理由。敗戦時に旧満州にいた日本人は約155万人といわれるが、その死者20万人の4割を開拓団員が占める。満州での民間人犠牲者の数は、東京大空襲や広島への原爆投下、沖縄戦を凌ぐ。
   (映画)「望郷の鐘。満蒙開拓団の落日」(監督、山田火砂子)(アニメ映画)「蒼い記憶。満蒙開拓と少年たち」(監督、井崎哲)




上田駅前アピール
「ひとりの学会員から」9/11

 こんにちは。まず自分自身の身元を明らかにしておきます。大手町1丁目の、日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。創価学会のひとりの会員で、愛知県で農業やってる天野達志さん51歳は、『安全保障関連法案に反対する9,143人の署名』を抱えて今週8日()に上京し、公明党本部を訪れました。党代表の国会議員、山口那津男に、約2カ月がかりで自分で集めたその9,143人分の署名を手渡すために。けれど山口代表も議員も党職員も対応せず、ただ「警備員に渡してください。それが嫌なら持ち帰ってください」と言われ、4時間40分、雨の中を待たされた挙句に署名を持ち帰りました。次の日も次の日も同じ対応をされ、今日11日午後3時にようやく職員に手渡すことができました。天野さんは、「武力で平和を築こうとするのは学会の教えに反する」と今年6月末、ツイッターに「ひとりの学会員」というアカウントをつくり、本名と住所を明かしたウェブサイトも設けて、「法案の白紙撤回」と「公明党が平和の党に立ち返ること」を求める署名を集めはじめました()。連日の各地の安保法案反対の抗議デモや集会で、「バイバイ、公明党」「人間革命、読み直せ」というプラカードと、創価学会のシンボル「三色旗」の旗を掲げた同志たちが「ひとりの学会員」の心に連帯し、その輪を広げつづけています。
 ひとりの学会員、天野さんは語りかけます、「私は、創価学会員です。私の父母は若いころ入信をし、私は生まれて間もなく入信した、いわゆる学会2世です。……私は、公明党の支援活動にも積極的に参加していました。公明党は、仏法の生命尊厳の思想に根差した、平和主義・人間主義の政党です。私は、この社会を『誰もが安心して暮すことができる平和な社会』にしてほしいがために、公明党を応援してきました。しかし、今回の安保法案に関しては承服できません。この法案は、『武力による抑止力を高める』ことを目指しています。それは同時に、相手国との間に緊張感を高めます。国家間の思惑により、お互い人間同士の生命を危険にさらそうとするものです。この法案は、憲法違反の疑いが持たれており、多くの憲法学者や識者、文化人らが声をあげています。『国民の理解がすすんでいない』のではありません。政府の説明を聞けば聞くほど、この法案の不安定性、危険性を知り、まさに『戦争法案』であるとの理解を深めているのです。国会前や全国各地でのデモが行われ、多くの国民が『法案は廃案に』と叫んでいます。議員が、その声に耳を傾けないのは慢心であり、『大衆とともに』歩む公明党の党是に反します。常に民衆の側に立ち、権力と対峙する創価学会の誇り高き歴史です。この法案を成立させることは『民衆を押さえつける権力を監視し、縛り付ける』という立憲主義の精神に反します。以上の理由から、私は、ひとりの学会員として、安保法案の白紙撤回を求めます。白紙撤回を求めるひとりの学会員。公明党代表、山口那津男様」。
  しかも創価学会員の方々もそうでない人たちも、ひとりの学会員は一人ではありません ひとりの主婦がここにつづき、一人のごく普通の会社員が彼と方を並べて立ち、一人の小学生中学生、高校生がつづき、政治家たちさえ4、5、6人と心を動かされて続き、爺さん婆さんたちもこれにつづきます。ひとりの学会員は一人ではありません! 安倍晋三と政府与党と金と権力に膝を屈めない9,143人が彼らに続くからです。日本の全人口12500万人のうち、たとえ安倍晋三が5000万人いるとしても、それでもなお、ひとりの学会員と9,143人と私たちは安倍晋三に負けません。絶対に負けません。  ♪ひとりの学会員。ひとりの学会員。カッコイイんだよ、ひとりの学会員。ひとりの学会員。ひとりの学会員。子供を殺すな、若者殺すな。自衛隊員と国民を殺すな。憲法守れ、生命を守れ。戦争反対反対反対、絶対反対。


    (*)ツイッター『ひとりの学会員』;「(当人)今日の新宿デモ。終了後、年配のご夫婦が近づいてきて『私たちも創価学会なんです。公明党の政策に納得いかなくて組織の人に聞くんですが、誰一人説明してくれない。公明新聞を読めば分かる、こればっかりなんです』今日だけで同じ様な話をいっぱい聞いた」「安保法制反対運動をしているのは『未活動、退転者、反逆者』だという批判封じのレッテル貼りが行われているところもあるらしい。なら宣言しておくが、私は俗にいう現役のバリ活、今でも毎日『聖教』配達し今年で10年目に突入。でも昔から、党も組織も、是々非々で批判している」「もう旗(=創価学会の三色旗)はウザったいからやめろという人もいる。でもあれは外向けのアピールであるのと同時に、沈黙するだけの『内』に対するデモでもあるわけで、どうか大目に見てくださいな」「(当人)組織が嫌になって、学会から離れてしまう方が簡単なのかもしれない。でも、それは大切なものを、おいてきてしまう気がする。大変だけど、ここにとどまって、為すべき事があるのだと思いたい。この信仰と出会った意味は、そこにあるのかも。『自分の好きな学会』にすれば、次の新しい人も喜ぶと思う」「(当人。署名を持参した9/8の夕方)これまで、人と人とが『対話』する事で、乗り越え、創造できる道がある、と教わりました。『対話拒否』は、価値創造を否定する行為ですよね。党の人は、電話で『これ以上、対話しても無駄です』と言い放った。明日も参ります。皆様からお預かりした『9,143筆』の署名簿を抱えて」「(当人。二日目、9/10の夕方)先日の記者会見で山口代表は、『私が請願書を直接受け取る事はありません、別のシステムがあります』と言われたようだ。コジマさん電話で、『対応は、昨日と変わりません』と。昨日より更に頑なになる。雨宿りもさせてもらえず、追いやられ。バリケードと警備員」「(9/10、別の人。党は電話口の私に)『天野さんが山口代表への手渡しを強く主張し、党職員の直接対応を拒まれている、だから代表のいる国会に直接行け、迷惑だ』と言われていました。(天野さんが)直接対応を拒まれているというのは本当でしょうか?」「違います。署名は職員がもらうなら撮影なしでという(党側の)対応。職員が議員に渡すかは未定、誰に渡したかも教えられないという対応です。署名を闇に葬る時に使うやり方です」「(ママデモ隊)17時まで天野さんと公明党本部前にいましたが、(職員は)写真を撮らないなら党内に天野さんだけか二人までは入れる。署名は議員に渡すかどうかの保証はなく、手渡しの証拠写真もNG。嫌なら持ち帰るように、という結論。署名を闇に葬ってはいけない」「(9/11)取り急ぎ。本日15時、公明党本部に私とオールズの方とで入館。職員の「山口」氏に、署名簿「9,177筆」と代表への「親展書簡」を手渡しました。動画あり。山口代表に届けます、と。応援して頂いた皆様、大変にありがとうございました」。よっしゃあ天野さん、やったあ!!
      ネット『田中龍作ジャーナル』(8/21);「(本人談話)730日から署名活動を始めた。『安保おかしいね』などと口にすると、地域の学会員から『反逆者』『信心が足りない』などと罵倒される。学会員であるなら公明党を支援して当たり前という同調圧力がある、やりきれない。心の中では疑問を感じていても、村八分を恐れて声を上げることができない。安保反対への賛同が広がらないのはこのためだ。内部から声をあげることに意味がある。学会員が勇気を持って公明党にモノを言う。これを形に示したかった」。





上田駅前アピール
「間違ってる9/15

 ♪子供を殺すな、若者を殺すな。自衛隊員をむだ死にさせるな。憲法9条を守れ。勝手に決めんな。強行採決、絶対反対。戦争反対、反対、反対、絶対反対 ぼくらの国なんだぜ。ぼくらの民主主義なんだぜ。
 こんにちは。大手町1丁目の日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。「憲法守れ、9条守れ、勝手に決めんな」など私たちは叫び続けています。憲法9条の中身をもう一度、自分自身の心で味わいましょう;「第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。これは単なるきれいごとで、現実に根ざしていない理想で、中身の伴わない建前にすぎないんでしょうか。「ご近所の乱暴で強い国が攻めてきたら、どうやって自分たちの身を守るんだ」と彼らは言います。「たとえ誰も攻めて来なくたって、仲間の強くて大きい国が一緒に戦争やろうよ、やろうよ、仲間なんだから。友だちなんだからと勧める。一緒に戦争しないで、嫌われたり仲間外れにされたら困るじゃないか」と彼らは言います。公明党代表の山口那津男議員は、「基本的な論理は一貫していて、法案は憲法の枠内におさまる」と14日の参院特別委員会議場で発言しました。論理はちっとも一貫しておらず、あっちへフラフラこっちへフラフラしつづけてすっかり破綻しています。憲法の枠内からも立憲主義の枠内からも、すっかりはみ出ています。国民の理解も得られず、署名をした9,143人の学会員がガッカリしつづけても、無理矢理に決めちゃうつもりですか()。山口那津男代表、そんなの間違っています。それは、ものすごくおかしい。「そうかあ、がっかりだなあ」と『そうかガッカリ員』の同志たちが腸煮えくり返させて、涙を流しています。連日の各地の安保法案反対の抗議デモや集会で、「バイバイ、公明党」「人間革命、読み直せ」というプラカードと、創価学会のシンボル「三色旗」の旗を掲げた同志たちが「ひとりの学会員」の心に連帯し、その輪を広げつづけています。正しい戦争も立派な良い戦争もありません。「正しい正しい、安全のため平和のため皆のためだ」と嘘をつきながら、やってきたのは侵略戦争でした。金儲けの戦争だったし、国の利益の中には、私たち国民が平和に安心して暮らすことなど入っていませんでした。だからこそこの日本が侵略戦争を起こす度毎に、国民も兵隊の生命も安全も踏みつけにされ、ただただ都合がいいように利用され、好きなように使い捨てにされつづけました。
 『立憲主義』の大事なタガが戦後70年たって、ついに外されようとしています。これまでは憲法に従って、そこで許されている範囲内でだけ政府は力を振るってきました。けれど今、不都合な部分は無視する。閣議決定でどんどん変える。政府と国家と総理大臣が好き勝手に自分勝手に振舞いはじめようとしています。憲法に従っていようが違反していようが、「それは間違っている」と多くの人々が言い立てても耳も貸さない。とても恐ろしいことです。それでも総理大臣と政府与党は、自分たちがしたいようにするんだと決めている。彼らが「戦争を出来る国にぜひしたい」と言い張るとき、この私たちはオカミが仰るなら仕方がないと嫌々渋々でも従うんですか(*)70年前と、まったく同じに。子供や若者たちや、自衛隊員の大切な1つ1つの生命を「はいどうぞ」と、言われるままに差し出すつもりですか。私たち大人には責任があります。酒を飲みタバコを吸えるからって大人であるわけじゃありません。私たち大人には、家族に対しても仲間たちに対しても、自分の国家に対しても大きな責任があります。今回もまた、『天皇陛下ばんざーい』と晴れ晴れして死んでいくようにと、学校でもご家庭でもよくよく教え込むつもりですか。おうちのお父さんお母さんたち。あなたの大切な子供たちや若者を、再び人殺しの戦場に送り込むつもりですか。あの自衛隊員たちを、殺したり殺されたりする戦場に無理矢理にも送り込んで犬死させるつもりですか。70年前とそっくり同じに。そのとき私たちは、ただの被害者ではありません。悪事の片棒を担ぐ加害者であり、極悪非道な悪者達の一人です。私たち大人には、大きな責任があります」
  

(*)ツイッター「ひとりの学会員」「安保関連法案の白紙撤回を求める署名」;天野達志。愛知県在住、農業、51歳。創価学会会員。自分で2ヶ月がかりで署名を集め、この911日、署名と親書を公明党代表に手渡してくれるようにと党職員にあずけた。
(*)『自由と平和を守る京大有志の会』声明書(2015,7,14)。
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。
精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

(上記内容の「こどものための翻訳」。訳、山岡信幸)「わたしの『やめて』」
くにと くにの けんかを せんそうと いいます。
せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります。
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます。
せんそうは はじまると だれにも とめられません。
せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい。
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます。
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます。
わたしの こころは わたしのもの、
だれかに あやつられたくない。
わたしの いのちは わたしのもの、
だれかの どうぐに なりたくない。
うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない。
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない。
げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも、
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい。
がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない。
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない。
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない。
じぶんや みんなの いのちを だいじにして、
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい。
でも せんそうは それを じゃまするんだ。
だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに、
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ。




付録/上田駅前アピール
「大きな声で止めてと言う」 916)

 ♪ アベはやめろ、アベはやめろ、アベはやめろ、アベはやめろ。子供を殺すな、若者を殺すな。自衛隊員をむだ死にさせるな。憲法9条を守れ。勝手に決めんな。憲法違反の法案やめろ。強行採決、絶対反対。戦争反対、反対、反対、絶対反対! ぼくらの国なんだぜ。ぼくらの民主主義なんだぜ。
 こんにちは。大手町1丁目の日本キリスト教会 上田教会の牧師、金田です。昨日915日の参院、特別委員会の「安全保障法案」中央公聴会で、参考人6名の1人として奥田愛基さん(おくだ・あき。SEALDsメンバー,大学生)()が意見を述べました。NHKも含めてTV各局の報道はごく小さな断片的な取り扱いだったのが、本当に残念です。TVと新聞しか持っていない人には、彼が本当には何を語ったのか、どんな心を伝えようとしたのかがあまりよく分かりません。ただ、インターネット上では、その奥田さんの15分間の発言のすべての動画と発言全文が公開されています。一部分を紹介しまします。奥田さんは語りかけました;「……各世論調査の平均値を見たとき、始めから過半数近い人々は反対していました。そして月日を追うごと、反対世論は拡大しています。『理解してもらうためにきちんと説明していく』と、現政府の方はおっしゃられていました。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成意見は減りました。『選挙のときに集団的自衛権に関して既に説明した』とおっしゃる方々もいます。しかしながら、自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行しか書かれていません。昨年の選挙でも、菅官房長官は「集団的自衛権は争点ではない」と言っています。さらに言えば、選挙のときに、国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案をつくるなど、私たちは聞かされていません。私には、政府は法的安定性の説明をすることを、途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは、国民を無視するのと同義です。……たくさんの集会があの町でもこの町でも行われています。まさに全国各地で声が上がり、人々が立ち上がっているのです。また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。強調しておきたいことがあります。それは私たちを含め、これまで政治的無関心といわれてきた若い世代が動き始めているということです。これは誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。私たちはこの国の民主主義のあり方について、この国の未来について、主体的にひとりひとり個人として考え、立ち上がっていったものです。SEALDsとして行動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。たとえば「騒ぎたいだけ」だとか、「若気の至り」だとか、そういった声があります。他にも、「一般市民のくせして、お前は何を一生懸命になっているのか」というものもあります。つまり、お前は専門家でもなく、学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのかということです。しかし、さきほどもご説明させていただきました通り、私たちはひとりひとり個人として、声を上げています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。「政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけば良い」。この国には、どこかそのような空気感があったように思います。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだということ。そう考えています。その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。20159月現在、いまや、デモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々が、この社会の空気を変えていったのです。デモや、至るところで行われた集会こそが、不断の努力です。そうした行動の積み重ねが、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと、私は信じています。私は、私たちひとりひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。……いまこそ政治の力が必要なのです。どうかこれ以上、政治に対して絶望してしまうような仕方で、議会を運営するのはやめてください。指摘されたこともまともに答えることができない、その態度に強い不信感を抱いているのです。『政治生命をかけた争いだ』とおっしゃいますが、政治生命と国民ひとりひとりの生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与えるような政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、「義を見てせざるは勇なきなり」です。政治のことをまともに考えることが、馬鹿らしいことだと、思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。世論の過半数を超える意見は、明確に、この法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度、考え直してはいただけないでしょうか。……参考にしてほしいことがあります。ひとつ。仮にこの法案が強行採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人であふれかえるでしょう。次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。当然、この法案に関する、野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか。私たちは決して、いまの政治家の方の発言や態度を忘れません。『3連休を挟めば忘れる』だなんて、国民をバカにしないでください。むしろそこからまた始まっていくのです。新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。私たちは、学び、働き、食べて、寝て、そしてまた、路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。私にとって政治のことを考えるのは、仕事ではありません。この国に生きる個人としての、不断の、そして当たり前の努力です。私はこの困難なカ月の中で、そのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。
 最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員としてではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。どうかどうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。政治家になった動機は人それぞれ、さまざまあるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。勇気を振り絞り、ある種の賭けかもしれない、あなたにしかできない、その尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私は、そのことを支持します。困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します」。SEALDsメンバー、奥田愛基さんの発言です。
(*)奥田愛基(SEALDsメンバー,大学生)。ユーチューブとネット上に、公聴会陳述のこの全動画、全文が公開されている。
(*)『自由と平和を守る京大有志の会』声明書(2015,7,14。ネット上に全文掲載)。
「戦争は、防衛を名目に始まる。戦争は、兵器産業に富をもたらす。戦争は、すぐに制御が効かなくなる。戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。……生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない」。

(上記内容の「こどものための翻訳」。訳、山岡信幸。絵本あり;朝日新聞出版)
「わたしの 『やめて』 」

くにと くにの けんかを せんそうと いいます。
せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」という だれかの いいわけで はじまります。せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます。せんそうは はじまると だれにも とめられません。せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい。せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます。せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます。

わたしの こころは わたしのもの、だれかに あやつられたくない。わたしの いのちは わたしのもの、だれかの どうぐに なりたくない。うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない。そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない。げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも、
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい。

がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない。がっこうで まなぶのは 
おかねもうけの ためじゃない。がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない。じぶんや みんなの いのちを だいじにして、
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい。でも せんそうは それを じゃまするんだ。
だから せんそうを はじめようとする ひとたちに、わたしは おおきなこえで
「やめて」 というんだ。




付録/上田駅前アピール (2)
「武器輸出で金儲けを?」 (918)

19日未明、参院で憲法違反の「安保関連」法案がとうとう採択されてしまった。『対抗する、補完的な民主主義』が立ち現れてきた、そこに希望がある、と人は言う。けれど正直な所、17日の夕方の、参院特別委員会の8分間の強行採決の映像を見せられて、心が折れてしまいそうだ。SEALDs奥田さんは昨夜も雨の国会前でコールしていた。ひとりの学会員の天野さんも必死に訴えかけていた。『勉強して、働いて、食べて眠って起きて、また路上で声をあげる』ことを、この僕たち自身は、このさき4年も5年もつづけられるだろうか。諦めないで、踏みとどまっていられるだろうか? わからない。

 ♪子供を殺すな、若者を殺すな。自衛隊員をむだ死にさせるな。憲法9条を守ろう。憲法違反の法案いらない。戦争反対反対、絶対反対
 こんにちは。大手町1丁目の日本キリスト教会、上田教会の牧師、金田です。15()、経団連(=日本経済団体連合会)の幹事会が武器輸出の推進を提言することを決めました。「戦争と人殺しの道具をどんどん造って、外国にどんどん売って金儲けをしようじゃないか。それを国家戦略として推進しなくちゃならない」とする提言です。自衛隊員が世界中どこへでも出かけて行って戦争をできる。それなら武器やその部品や爆弾をどんどん造って、世界中あちこちに売りさばけるようにしよう。それで金儲けをしようと。昨日の参院特別委員会での強行採決の直前、山本太郎議員はこのことを語ろうとしていました。彼はNHKの『日曜討論』で719日にも、913日にも同じことを訴えていました;「この法案の真の目的は安全保障ではなく、経団連の金儲けなんです。国内には武器を製造する企業がたくさん存在しています。武器輸出の解禁と拡大は経団連のリクエスト、要望です。これを実現させたのが安倍総理。選挙のときの組織票、日頃の資金提供へのご恩返しなんですね」と。うっかりして僕は知りませんでしたが、10月から「防衛装備庁」()というのが発足するらしいです。武器やその部品や爆弾、ミサイル、戦闘機などの戦争と人殺しの道具を、これからは『防衛装備品』と呼ぶんだそうです。武器弾薬を造って売って金儲けをする人殺し商売のことを、今風の現代的な言い方では『防衛産業』と呼ぶんだそうです。防衛装備品、防衛産業。さすがは安倍首相、美しい国の、美しい言葉ですね。うわべをきれいに塗り固めて、けれど『防衛装備品』の中身は人殺しの道具です。『防衛産業』の意味は、人を殺したり殺されたりさせてお金を儲ける、あまりに邪悪な薄汚い商売です。人間の皮をかぶった獣のすることです。世界平和にも積極的に貢献できる上にお金も儲かる。武器輸出の制限も、ほぼすっかり取り払われました(武器輸出三原則の撤廃。20144)。三菱重工や三菱電機、川崎重工、NECIHI、富士通、コマツ、東芝、日立製作所、ダイキン工業などで造られた『防衛装備品』の数々が紛争地域でもどんどん使われ、過激派組織の手にも、ほぼ無制限にどんどん渡されていきます。なにしろ一旦アメリカに部品を供給すれば、その先、どこの誰に武器弾薬を輸出されるかを調べる方法はないんですから。日本は国をあげて 125,000,000人総動員で『死の商人』に成り上がろうとしています。妻や子供が頼んでも、老いた母がやめろと言っても「いいや、使命だから仕方がない」と自衛隊員は青ざめて戦場へ出かけていきます。自衛隊員のかけがえのない尊い命も、外国で暮らす商社マンとその家族の生命も安全も、金儲けのための便利で都合のいい人質にされ、使い捨てにされつづけます。これでいいんでしょうか? そんなのは、絶対に間違っています。それで軍需産業の大手企業も政治家もとてもお金が儲かって、都合がいい。でも、だからといって、人間の生命や安全をそのための生贄(いけにえ)にするのは絶対に間違っています。決してしてはいけない、ものすご~く悪いことです。
♪ 憲法違反の法案いらない。憲法違反の法案いらない。憲法違反の法案いらない。子供を殺すな、若者を殺すな。自衛隊員をむだ死にさせるな。民主主義は負けない。お金儲けの道具にもされない。長いものにも巻かれない。オカミやお偉い方々の言いなりにもされない。子供を殺すな、若者を殺すな。自衛隊員をむだ死にさせるな。憲法9条を守ろう。戦争反対反対、反対、絶対反対

    (*)防衛省の外局として設置される予定の日本の行政機関。201510月発足予定。防衛装備品(武器、ミサイル、戦車、爆撃機、弾薬など)の開発・取得・輸出を一元的に担う機関として構想されている。この意味では、太平洋戦争中に設けられた軍需省に通じる。現在、国際的にみて調達コストが高いことから、防衛装備庁を設置することで、装備品の開発や管理を一元管理を行い、防衛装備移転三原則(=旧・武器輸出三原則)に基づく防衛装備の輸出による生産規模を確保することや国際共同開発を行うことでコスト削減を図ることを目的とする。
     NHKスペシャル『ドキュメント。「武器輸出」防衛装備移転の現場から』(2014105日放送)参照。




付録/上田駅前アピール (925日)  
 「沖縄に聴け


  ♪憲法違反の法案いらない。いらない、いらない、いらない。

  大手町1丁目の日本キリスト教会、上田教会の牧師、金田です。どうぞ聴いてください。翁長雄志(おながたけし)、沖縄県知事は921()、国連人権理事会で2分間にわたって演説し、アメリカ軍普天間基地の移設計画について訴えました()。翁長知事は語りかけます;「第二次大戦のあと、アメリカ軍は私たちの土地を力によって接収し、そして沖縄にアメリカ軍基地を作りました。私たちが自ら望んで土地を提供したことは一切ありません。沖縄は、日本の国土の0,6パーセントの面積しかありません。しかしながら在日アメリカ軍専用施設の73,8%が沖縄に存在しています。私たちは自己決定権や人権をないがしろにされています。自国民の自由、平等、人権、民主主義すら守れない国がどうして世界の国々とそれらの価値観を共有することなどできるでしょうか」。自衛隊員を世界中どこにでも送り出して殺したり殺されたりさせることと、この沖縄の米軍基地問題と、原発再稼働とはよく似ています。そして、アジア諸国の貧しい人々を連れてきて「農業研修生・職業実習生」()などと称して安い賃金で働かせつづけることも、そっくり同じです。「私たちの家族の平和と安全を守るためだ」と人々は言います。平和と安全を保証されて安心してニッコリ暮らすはずの人たちの中に、けれど自衛隊員とその家族のことは入っていません。沖縄の人々の自由、平等、人権、民主主義も入っていません。いつ大事故が起こっても不思議ではない、汚染水を垂れ流しつづける、とても危ない原発のもとで暮らす人々の安全も安心も「私たちの安全」には入っていません。「私たちの家族の平和と安全を守るため」「世界平和への積極的な貢献」と美しい言葉で飾り立てながら、片隅に押しのけられ、けれどその一方で、貧乏くじを引かされつづける人々がいます。沖縄の人々は、必ずしも安全保障に反対しているわけじゃないと訴え続けてきました。「けれど、どうして私たちだけに重い荷物を背負わせつづけるのか」と怒っているのです。あなたがもし安全保障に賛成なら、「この長野県上田に米軍基地をぜひ作ってもらおう。東京に、千葉や神奈川にもジャンジャン米軍基地を作ってもらおう」と言わねばなりません。原発が必要だとおっしゃるなら、東京、大阪、名古屋、この上田市にも、原子力発電施設や核のゴミ捨て場をぜひとも作ってもらおうと。「それじゃあ世界平和のために、まず、この私自身と息子と娘達が鉄砲担いで出て行って、世界中で人殺しをしたりされたりしてきま~す」と手を挙げねばなりません。きれいごとを並べ立てて、あの彼らだけに重い荷物を背負わせつづけ、知らんぷりしつづけ、彼らの苦しみと痛みをほんの少しも聞こうともしない。総理大臣と政府与党だけが自分勝手なんじゃなくて、この私たち自身が 目の前の自分のことしか考えないからです。沖縄の人々の自己決定権も人権も平和も、ないがしろにされ、粗末に扱われつづけています。自衛隊員とその家族の生命も安全も金儲けのための都合のいい人質にされ、使い捨てにされつづけます。アジア諸国からの農業研修生、職業訓練生もまったく同じです。原子力発電施設で働く、下請けの下請けの、下請けの下請けの労働者たちも。彼らはその人権も平和も生命さえ粗末に扱われ、むさぼり取られ、使い捨てにされつづけます。これでいいんでしょうか? そんなのは絶対に間違っています。それで大手企業も政治家もお金が儲かる。自分たちにも都合がいい。だからといって、人間の生命や安全をそのための生贄(いけにえ)にするのは間違っています。あまりに自分勝手で生狡いやり方です。
♪ 子供を殺すな、自衛隊員をむだ死にさせるな。沖縄を粗末にするな。私たちも大きな声で叫ぶ。やめてと叫ぶ。やめてと叫ぶ。やめてと叫ぶ。


         ()彼らはこの70年間、同じことを繰り返し、ずっと訴え続けていた。本土の日本人の大多数は、「沖縄県と政府の問題だろう」と聞き流してきた。米国民も、「日本の内政問題だろう」と聞き流してきた。誰も聞く耳を持たなかったし上の空で聞き流し続けて、心はほんの少しも痛まなかった。けれどとうとう「日本人も米国民も、沖縄のこの訴えを聞いた」ということを、世界中が知ってしまった。彼らの悲しみと怒りを聞いた上で、私たちがなお知らんぷりしつづけるのかどうかを、なおざりにしつづけるのかどうかを、世界中が厳しく監視しはじめる。

       ()2010723 AFP】外国人研修生問題弁護士連絡会(Lawyers' Network for Trainees)事務局長の安孫子理良(Lila Abiko)弁護士は22日、外国人技能実習・研修制度で来日し過労死したと思われる実習生が数十人に上ると訴え、同制度は「人身売買の一種」だと強く非難した。日本政府は非熟練労働者の入国をほとんど認めないが、バブル崩壊後の1993年に開始した外国人研修制度の下、技能研修の名目で、低賃金で働く何万人もの外国人研修生を受け入れてきた。多くは中国、インドネシア、フィリピンなどからの研修生だ。日本外国特派員協会Foreign Correspondents' Club of JapanFCCJで記者会見した安孫子弁護士は、研修制度は発展途上国出身の研修生への技術移転を通じた国際貢献を目的に掲げているが、実態とは大きな差があると指摘し、「制度は安い労働力を提供するシステムにすぎない」と糾弾した。同制度をめぐっては訓練生の虐待などが取りざたされているが、安孫子弁護士によると、2008年度だけで過去最高の35人のアジア人研修生が死亡した。同制度を監督する国際研修協力機構(Japan International Training Cooperation OrganizationJITCO)による前年の発表では、この35人のうち16人が脳・心臓疾患、5人が労務事故で死亡、1人が自殺となっている。
        【外国人は安い労働力として搾取】20131011日、石川県白山市の婦人服製造会社「カメダ」で技能実習生として働いていた中国人女性3人が、同社と実習先をあっせんした県輸出縫製品工業協同組合を相手取り、金沢地裁に提訴した。「3人は200911月に来日。制度上、研修期間は実務作業に従事せず業務研修を受ける時期だが、実際に作業に従事した上、研修生としての手当しか支払われなかった。また、月平均155時間の残業があったが、最低賃金以下の残業代しか支払われなかった。2011年の就業記録によると、3人は116時間、週6日働き、昼休みは15分しか取らなかったにもかかわらず、給料は時給4ドルに過ぎなかった」と、ロイターは報道している。現在、日本には約155千人の技能実習生がいる。「2012年の労働監督署の調査によると、技能実習生を受け入れている企業の内、79%は労働法に違反している」と同紙は指摘している。中国人女性3人の提訴内容によると、来日後間もなく、協同組合は3人のパスポートを取り上げた。実習生の行動の自由を制限し、辞職の際に厳しい罰金を課すなどの慣行に関し、海外でも批判が強まっている。アメリカ国務省は、『2013年度、人身売買報告』の中で、日本の「外国人技能実習制度」を「搾取的」と批判した。安倍晋三内閣は「外国人技能実習制度」のさらなる拡大を目指しているが、国内からも反対の声が上がっている。日本弁護士連合会は、「人権問題の観点から、研修生制度は廃止すべきである」と主張している。




付録/上田駅前アピール
「国民を使い捨てにする国家」(10/2)

毎週金曜日の夕方5:30-6:00、上田駅前のロータリー。市民グループのだいたい7、8名の仲間たちと一緒に、プラカードを掲げ、ビラを配り、マイクで通りすがりの人々に語りかける。だいたいは60、70代のお爺さんお婆さんたちだ。ぼくも、ほぼその年齢層になってしまった。ビラを差し出した手を払いのけられることもある、渋い顔をして睨まれることもある。ときどきニッコリしてビラを受け取ってもらえると、それだけでとても嬉しい。SEALDsの奥田愛基さんは「私たちは、学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げる」と語った。そうだけど、5年も6年も、あるいはもっと、そんなことを僕にも続けられるだろうか。分からないなあ……。

  ♪憲法違反の法案いらない。戦争反対反対、絶対反対。子供を殺すな、若者を殺すな、自衛隊員の生命を守れ。戦争反対、反対反対、絶対反対~っ。
 大手町1丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。「一億総活躍社会」()だそうです。アベノミクス第二ステージで、一人ひとりの日本人誰もが、家庭で、職場で、地域で、もっと活躍できる社会を創る。「女性が輝く社会を作る」ともあの彼は仰っていた。お年寄りも輝いて活躍し、若者も中高年労働者も輝いて活躍し、子供たちも輝いて国家に貢献し、そうしたら鉄砲担いで海外派兵されて殺したり殺されたりする自衛隊員たちも国際平和に貢献し、軍需産業がお金儲けをするために命懸けで活躍する、と彼らは言いたいのです。とても美しく寒々しい言葉が語られる一方で、この国の現実はどうなっているんですか?     
「職業訓練生」「農業実習生」などと称して、アジア諸国からの労働者たちが搾取され、安く便利に使い捨てにされつづけています。また、この国では格差と貧困がどんどん急激に広がっており、いったん貧困に陥ってしまった人々はそこから抜け出ることがとても難しいのです。彼らは深く絶望しています()しかもご存知でしょうか。国と福島県は、応急仮設住宅の提供を2017年3月末で打ち切る方針を示しました。応急仮設住宅は無償で提供される避難用住宅であり、避難区域以外からの避難者一般に対するほぼ唯一の支援策となっています。失業や賠償打ち切り等のため避難世帯の困窮は深刻化しています。応急仮設住宅が打ち切られれば、多くの避難者が経済的な理由で避難を諦めねばならず、本人たちが望まないのに仕方なしに放射能汚染地区に帰って生活させられます。しかも福島原発事故はいまだに収束していません。「大丈夫、大丈夫。もう安全」と彼らは言います。けれど放射能被爆から子供や家族の生命を守らねばなりません。避難者家族の意思に反した帰還を強制してはなりません。この私たちがそうであるだけでなく、同じくあの彼らにも 安全に安心して生きる権利があります()自衛隊員とその家族の平和と安全が使い捨てにされ、福島原発事故がまだまだ収束しておらず、その見通しさえ立っていないのに 避難家族もその子供たちも見殺しにされるのですか。原子力発電所を次々と再稼働させ、けれど政府は責任を持ちません。電力会社と地方自治体の責任と判断で好きなようにやれというのです。国家に貢献することを政府は私たちに求めます。けれど、国家も政府も軍隊も経団連も電力会社も、私たちを守りません。ただただ安く便利に利用して、使い捨てにしつづけます。そんなことを許していいんでしょうか。いいえ、そんなのは絶対に間違っています。


           ()『一億総活躍社会』;安倍晋三内閣総理大臣の記者会見。2015924日、両院議員総会の後。
           ()一世帯で年収122万円以下が貧困層で、6世帯に1世帯ほどが貧困層に属するそうだ。また独身女性の3分の1が年収114万円未満、母子家庭の生活も追い詰められている。「下流老人」「一億総老後崩壊」などと言われる。老後破産は誰にでも起こりえる。親が子供の生活を支えることができず、子供が老いた親を支えることも難しい。若い親たちの労働状況の悪化に伴い、子供たちの6人に1人が貧困の連鎖の中で見捨てられつづけている。また例えば、日本学生支援機構の遠藤勝裕理事長は201583日の参議院安保特別委員会に参考人として出席し、奨学金返納延滞者の約半数が「低所得」を理由に延滞していると報告した。26年度末の奨学金延滞者は25才未満で6200件、25歳以上35歳未満が214751件、35歳以上45歳未満が57176件、45歳以上が17848件である。
          (*)2014年版の自殺対策白書によると、日本の自殺者数は2年連続で3万人を切り、減少傾向が続いているという。それでも、15歳から34歳の若い世代では、男女ともに死因のトップが自殺。若い世代で死因のトップが自殺なのは、アメリカやドイツなど先進7カ国のなかで日本だけ。さらに、「自殺者の実数は毎年3万人前後などではなく、10万人を超えている」とする説もある。いわく、「日本には年間15万人ほどの変死者がいてWHOではその半分を自殺者としてカウントする。(もしWHO判断に従うなら)公表すべき自殺者の実数は本当は毎年10万人以上となり、実に他の先進諸国の10倍である」。日本の法的判断では、「医師の管理下でない死亡であり、遺書なども残されず、死亡原因が明白に特定できないない場合」に『変死者』という。確かに、変死者のかなりの割合を自殺者と推定する道理はある。非正規雇用が常態化し拡大し、先の見えない不安定で心細い生活を強いられ、公共福祉はどんどん削減され、生活困窮者は「自己責任」と切り捨てられる中で貧困と格差がますます広がる社会だ。労働条件は劣悪化し、しかも懸命に働いても生活保護並かそれ以下の収入しか得られない人々が増え続ける。生きてゆく意味を見失ってしまうほどにも、多くの人々は深く絶望している。この日本国では これで「一億総活躍」「国家への貢献」「夢をつむいで、安心で安全で平和で、希望にあふれて誰もが輝く社会」だのと言われると、正直な所、ハラワタが煮えくり返る。悔しくて涙が出る。
         ()『避難用住宅の提供打ち切り撤回と、避難用住宅の長期無償提供を求める署名』集約団体;マザーシップ司法書士法人内「ひなん生活を守る会」(東京都北区赤羽2-62-3),『福島原発かながわ訴訟団資料集Ⅰ』(2014年9月,福島原発かながわ訴訟原告団)




  付録/上田駅前アピール
「踏みにじりつづける国家」(10/30)

  大手町1丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。
 安全保障関連法案が実施されても、私たちの安全は少しも保証されません。むしろ逆です。ますます脅かされ、どんどんどん踏みにじられつづけます。平和と安全を保証されて安心してニッコリ暮らすはずの人たちの中に、けれど自衛隊員たちとその家族の平和と安全は入っていません。沖縄の人々の自由、平等、人権、民主主義も入っていません。まるで植民地のように、まるで支配される奴隷のように、彼らは力づくで言いなりにされつづけています。かつて琉球王国と呼ばれていた頃、薩摩藩に力づくで占領された1609年から今日まで、316年もの間ずっとです。1972年に米国統治下から日本領土に変更された後でも、力づくで言いなりにされつづける中身はほとんどまったく変わっていません。「自分たちだけに、戦争の基地や爆弾や外国の兵隊たちを押し付けられるのは嫌だ。朝から晩まで耳も心も壊れてしまうほどのジェット機の爆音にさらされ、ビクビクしながら暮らすのはもう嫌だ」といくら訴えても、聴いてもらえません。「普通に生きる最低限の権利があるはずだ」と訴えても、「いいや、権利はない。憲法が保証する権利も人権も、そこでは適用されない」と撥ね退けられます。例えば沖縄の人々は、必ずしも安全保障に反対しているわけじゃないと訴え続けてきました。「けれど どうして私たちだけに重い荷物を背負わせつづけるのか」と怒っています。「なぜ 私たちだけがいつもいつも貧乏くじを引かされつづけるのか」とガッカリしています。
自分たちさえ安全で安心で快適なら、それでいいんですか? あなたがもし安全保障に賛成なら、「この長野県上田に米軍基地をぜひ作ってもらおう。東京に、千葉や神奈川にもジャンジャン米軍基地を作ってもらおう」と言わねばなりません。原子力発電所がどうしても必要だとおっしゃるなら、東京、大阪、名古屋、この上田市にも、原子力発電施設や核のゴミ捨て場をぜひとも作ってもらおうと。「それじゃあ世界平和と安全のために、まず、この私自身と息子と娘達が鉄砲担いで出て行って、世界中で人殺しをしたりされたりしてきま~す」と手を挙げねばなりません。そうしますか、あなた自身は? きれいごとを並べ立てて、あの彼らだけに重い荷物を背負わせつづけ、知らんぷりしつづけ、彼らのその苦しみと痛みをほんの少しも聞こうともしない。総理大臣と政府与党だけが自分勝手なんじゃなくて、この私たち自身が、目の前の自分のことしか考えないからです。自己決定権も人権も平和もないがしろにされ、粗末に扱われつづける人々がいます。自衛隊員とその家族の生命も安全も、金儲けのための都合のいい人質にされ、使い捨てにされつづけます。アジア諸国からの農業研修生、職業訓練生も。原子力発電施設で働く下請けの下請けの下請けの下請けの労働者たちも。彼らは生命さえ粗末に扱われ、ただただ安く便利に使い捨てにされつづけます。それで大手企業も政治家もお金が儲かる。自分たちにも都合がいい。だからといって、人間の生命や安全をそのための生贄(いけにえ)にするのは間違っています。
  ♪ 子供を殺すな、自衛隊員をむだ死にさせるな。沖縄を粗末にするな。日本に住む外国人を粗末にするな。邪魔者扱いするな。戦争反対、反対反対、絶対反対。憲法違反の法案いならい。要らない要らない、要らない。私たちも大きな声で叫ぶ。やめてと叫ぶ。やめてと叫ぶ。やめてと叫ぶ。

              ()【共同声明】20151013日。内閣総理大臣 安倍晋三様、防衛大臣 中谷元様。『私たちは、翁長沖縄県知事の辺野古・大浦湾海域の埋立承認取り消しを支持します~政府は、沖縄の民意を受け止めるべき~』。本日、沖縄県の翁長雄志知事が、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設(新基地建設)について、公有水面埋立法に基づく辺野古・大浦湾海域の埋立承認を取り消しました。私たちは、この決断を支持し、日本政府はこの承認取り消しに従い、辺野古・大浦湾海上での工事作業を中止するように求めます。翁長沖縄県知事は、昨年11月、辺野古基地建設反対を公約にかかげ、仲井真氏に10万票もの大差をつけて当選しました。これだけでなく、これまで何度も、選挙で、県議会で、市議会で、市民の行動で、「辺野古基地建設ノー」という沖縄の民意は明らかにされてきました(別紙参照)。日本政府はこの圧倒的な民意を無視するべきではありません。また、翁長県知事は、承認取り消しにあたり、きわめて慎重な検討を行ってきました。翁長県知事の指示により設置された第三者委員会は、法的な検証を行った結果、4つの瑕疵(かし=不十分な点)をあげています。すなわち、①「埋め立ての必要性」が立証されていない、②「国土利用上、適正かつ合理的」という要件を満たしていない、すなわち利益が不利益を上回っているということが立証されていない、③環境影響評価がずさんであり環境保全措置が不十分、④「生物多様性おきなわ戦略」、「琉球諸島沿岸海岸保全基本計画」など法律に基づく地域の計画に反している――の4点です。
 生態系や生物多様性の価値は、人類共有の財産です。地域コミュニティにとっては、その未来を築いていくための礎でもあります。自然のめぐみをどのように使っていくか、開発と保全の調和をどのように保っていくかの意思決定に参加することは、そこに暮らす人々の当然の権利ではないでしょうか? また、日本が加盟する生物多様性条約の第10回締約国会議で採択された愛知ターゲットにおいても、とりわけサンゴ礁のような脆弱な生態系や絶滅危惧種の保全は重要な目標となっています。辺野古・大浦湾は、確認されているだけでも、絶滅危惧種262種を含む5,300種以上の海洋生物の生息地ともなっており、世界に誇る豊かな海です。国際的にみても「保護価値の高い」生態系なのです。知事の承認取り消しに対し、国は、地方自治法第255条の2に基づき、行政不服審査請求を行う公算が強いとみられています。しかし、行政不服審査請求は、行政の不当な権力の行使にあたり国民の権利を守るための制度です。国自体が不服申立てを行い、弱い立場にある県を屈服させるのは、法や民主主義の精神にもとるでしょう。私たちは、辺野古・大浦湾のかけがえのない生物多様性を守るため、また沖縄で示された民意を踏まえ、日本政府に対して、翁長県知事の埋立承認取り消しに従い、新基地建設に伴う作業を中止すること、また、行政不服審査請求などの対抗措置を取らないことを強く求めます。賛同団体:194団体  賛同署名(個人):6423筆。
 ――それでもなお1029()に、政府は本格工事に着手した。
力づくで押し通すのか、人間を踏みにじりつづけるのか、この国の政府は。





上田駅前アピール「沖縄の嘆き」12/4              

 ♪ 子供を殺すな、自衛隊員をむだ死にさせるな。自衛隊員の家族を泣かすな。沖縄を粗末にするな。憲法違反の法案いらない。要らない要らない要らない。憲法違反の内閣いらない、憲法違反の与党もいらない。憲法違反の国会議員もいらない。戦争反対、反対反対、絶対反対
  大手町1丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。もうご存知でしょうけれども、今週2日()に、沖縄の基地移設問題がとうとう法廷闘争の場に持ち込まれました。国家と、国の一つの地方とが、沖縄で争っています。国家権力が命じるなら、地方自治体も国民も、どこまでも言いなりにされ、屈服し、ただただ従い続けなければならないのでしょうか。この日本という国に地方自治はあるのか、ないのか。この日本という国に民主主義はあるのか、ないのか、と問いかけられています。「沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされて参りました」と沖縄県知事は法廷で訴えていました。琉球王国と呼ばれていた頃のそもそもの初めから、ずっとそうだった。踏みにじられ、ないがしろにされつづけてきたと。県知事と沖縄に住む私たちの同胞たちは涙を流し、嘆きながら訴えつづけています。「沖縄が米軍に自ら土地を提供したことは一度もありません。そして戦後70年、あろうことか今度は日本政府によって、海上での『銃剣とブルドーザー』をほうふつさせる行為で美しい海を埋め立て、私たちの自己決定権の及ばない国有地となり、そして、普天間基地にはない軍港機能や弾薬庫が加わり、機能強化をされ、耐用年数200年ともいわれる基地が造られようとしております。今沖縄には日本国憲法が適用され、昨年のすべての選挙で辺野古新基地反対の民意が出たにもかかわらず、政府は建設を強行しようとしております。・・・・・・沖縄が日本に甘えているのでしょうか。日本が沖縄に甘えているのでしょうか。戦後70年を経たにもかかわらず、国土面積のわずか0.6%しかない沖縄県に、73.8%もの米軍専用施設を集中させ続け、今また22世紀まで利用可能な基地建設が強行されようとしております。日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるのでしょうか。国民のみなさますべてに問いかけたいと思います。沖縄、そして日本の未来を切りひらく判断をお願い致します」(翁長雄志(おなが・たけし)知事の意見陳述から抜粋。12月2日、福岡高裁那覇支部)もし彼らが私たちの親兄弟だったら、もし私たちの父さん母さんだったら、もし自分の家族、子供たちだったら、私たちはこんな扱いは決してしないでしょう。なぜ、見て見ぬふりができるのでしょうか。自分とは関係ない他人事だと思っているから、彼らの嘆きが耳に入りません。聞いても、ほんの少しも心が痛みません(沖縄県民の嘆きが耳に入らないことと、他すべての人々の嘆きや悲しみや心細さや惨めさが耳に入らず、心がほんの少しも痛まないこととは同一であるだろう。それらは数珠つながりに、一つに繋がっている。日本の軍需産業資本と米国の利益のために、自衛隊員が世界中どこへでも出かけていって人を殺したり殺されたりすること。原発事故がまったく収束していない危険な土と空気と水の中で暮らすことを強いられる福島の人々。下請けの下請けの下請けの、使い捨てにされつづける原発作業員。アジア諸国からの、搾取されつづける研修生・職業訓練生たち。シリアやアフリカ諸国からの難民たちや、部落の人々やアイヌ人たちや、日本で肩身の狭い思いをしながら暮らす外国人の家族ら、そのほか様々な差別と抑圧と排除と搾取と暴力にさらされつづけるおびただしい数の人々。彼らの嘆きと怒りと悲しみは、耳に届かない。私たちの心はほんの少しも痛まない。他人事でありつづけ、私たちの心が鈍くなってしまったからだ)。私たちには自分の目の前のことしか目に入りません。お金が儲かるかどうか、自分たちの毎日の暮らしがどうなるかということしか考えません。今、自分さえよければそれでいいと、目も耳も塞ぎつづけています。それはなんと貧しい、なんと身勝手な、なんと惨めな魂でしょうか。いつまで、私たちはあの彼らを踏みにじりつづけるのでしょうか。いつまで、この私たち自身は、彼らをないがしろにしつづけるのでしょうか。


         ()この半年あまり、駅前で、ほぼ毎週毎週マイクをもって語りかけつづけてきました。実は、本業の牧師としての説教職とこの活動とは、内容としても表現形式としてもあまりに似通っていて近かったのです。それで、ぼくの精神にこの活動は大きな影響を及ぼし、礼拝説教の内容も語り口もこの駅前スピーチにどんどん引きずられ、やや危機的な(?)状況に立ち至りました。自分でこの二つの行為のバランスを取ることが難しいのです。困りました。駅前活動にはひきつづき参加しつづけますが、けれどマイクをもって語ったり、シュプレヒコールをするのはしばらく休止します。ごめんなさい。そして改めて、よろしくお願いします。




2016年


上田駅前アピール(8/26
『伊方原発、いますぐ止めよう』

  大手町一丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。先日の熊本大地震のとき、大規模な地震がずっと続いて、震源地のすぐ傍らにあった川内原発(せんだい・げんぱつ。鹿児島県薩摩川内市)を「危ないから地震が収まるまででいいから、止めてくれ」と大勢で頼んでも、知らんぷりされました。四国、愛媛県の伊方原発(いかた・げんぱつ。愛媛県西宇和郡伊方町)は細長~い半島の付け根から5kmに建てられていて、その先っぽの、原子炉までわずか1kmそこそこに5000人の住民が暮らしています。ことが起きれば、放射能はすぐにも彼らに襲いかかるでしょう。この5000人の住民は逃げることも隠れることもできません。「事故が起きたら私たちは死ぬしかない」と彼らは言い、「大丈夫大丈夫。何の心配もしていませんよ」と言いながら、真っ青な顔をしてガタガタブルブル震えて暮らしています。置き去りにされる予定のその5000人の中には、私たちと同じように小さな子供や小中学生、高校生も、赤ちゃんを抱えた若い家族も大勢含まれています。そんなこと、わたしには関係ないんですか。どうでもいいんですか。住民たちは必死に抗議をしましたが、涼しい顔で、その伊方原発もこの8月12日に再稼働されてしまいました。どんな避難計画があるのかも聞いておられますか。愛媛県がバスを手配するそうです。県は今年の4月にバス組合などと原発災害時の救助協力に関して覚書を交わしました。もし放射能漏れがとても少なければ、運転手は協力するそうです。けれど放射能漏れが危険な程度になればもちろん運転手は協力できず、救助のバスも走りません。原子力発電所より奥の方に住んでいる5000人は原発のすぐ近くを通って避難する計画ですが、「もし大急ぎですぐに避難すれば避難が終わるまで放射能はすぐには漏れ出さないらしいから、多分、大丈夫らしい」と言っています。福島第一のとき、翌朝になっても事故が起こったことを知らない住民がたくさんいました。福島ではメルトダウンまで約2時間でした。もっと早くそれが起こるかも知れません。そのとき、もし津波で港が使えず、土砂災害で半島の付け根が通行止めになれば、住民の大半が逃げ場のない缶詰状態になります。そんなこと、わたしには関係ないんですか。どうでもいいんですか。事故が起きても、「想定外。想定外」と口ずさみながら、その5000人の人々を見殺しにするほかないのに。「公益」にも「自分の損得」にも、彼らの人権も安全も生命も勘定に入っていません。小さな子供も赤ちゃんも、中学生、高校生も大人も年寄りもたくさん暮らしていますが、彼らの安全も生命もどうでもいいと思っているのです。国家も都道府県も、原子力規制委員会も、電力会社も、そして危ない場所から遠く離れて安全に暮らしている私たち長野県民も。
  ♪ 伊方原発、今すぐ止めよう。川内原発も今すぐ止めよう。再稼働反対。再稼働反対。再稼働、犯罪。再稼働、犯罪 伊方町の5000人を見殺しにするな。伊方原発、今すぐ止めよう。川内原発も今すぐ止めよう。再稼働、犯罪~っ。再稼働、犯罪


      【参考資料・解説】
       (1)you tube 2016,7,31公開) NNNドキュメント 『避難計画で原発やめました』 ;必見 廃炉になった米・ショアハム原発と愛媛県伊方原発の対照。同じような細長い地形に立地するのに、なぜ真逆の結果に。
       (2) 元の民主党の最後の総理大臣、野田佳彦(のだ・よしひこ)さんは、福島第一原発事故から9ヶ月後の201112月に「今回の原発事故は収束しました。皆さん安心してください」とTVで喋りました。嘘っぱちでした。あの原発事故はいまだに収束していません。今後共、50年たっても60年たっても収束する見込みもメドもまったく立っていませんから、決して安心しないでください。溶け出た危ない燃料棒がどこに落ちているかのか捜すことも拾い集めることもできず、収束する見込みもメドもまったく何も立っていない現状です。水をジャブジャブジャブジャブかけて冷やしつづけるしかできません。お手上げです。その結果、大量に生み出される高濃度の放射能汚染水を太平洋の海に垂れ流しつづけています。政府も電力会社も原子力規制委員会も誰一人も責任を負おうとしない無責任でいい加減で自分勝手な原子力発電所を、次々と再稼働させ、小さな子供や大勢の家族をそのまま危ない場所で暮らさせつづけていいのかどうか。しかも、私たちのこの国は小さな島国。愛媛県西宇和町伊方町の、あの細長い佐田岬半島そのままです。逃げることも隠れることもできず、置き去りにされ缶詰状態にされる彼ら5000人は、明日の私たち自身の姿です。自分の息子や娘や孫に対しても、後から来る新しい世代に対しても、この私たちには、担うべき大きな責任があります。大人としての私たちの責任です。

  (3)他の人々もほぼ同様ですが、とくに、すべてのキリスト教会と一人一人のクリスチャンは、この世界で起こるすべての領域のすべての出来事に対して果たすべき責任があります。もちろん、政治や社会状況なども含めてです。この世界を造った、生きて働いておられる神が、上に立つすべての大小様々な『権威』をお立てになりました(ローマ手紙13:1-2。この世界をより良くし、支え、保つためにです。けれど、『神によって配置されたはずの権威者たち』は、しばしば暴君と成り下がり、責任と義務を果たさず、その力を私物化して、はなはだしい悪事を働くこともあります。小さく弱い者たちをないがしろに扱い、搾取し、押しのけることもあります。多くの国の国家権力も、私たちの国でも同様です。主イエスご自身が、容赦なく警告しています。主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。・・・・・・もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう」。そのときキリスト教会とクリスチャンとは、救い主イエスに率いられて、『王。祭司。預言者』の職務を帯びて彼らに立ち向かいます。『神によって配置されたはずの権威者たち』が正しく健全に務めを果たすように、彼らを諭すこともします。預言者ナタンがとんでもない悪事を働いたダビデ王の前に立ち塞がったように。洗礼者ヨハネが領主ヘロデを諭したように(マタイ福音書24:45-51,サムエル記下12:1-15,ルカ福音書3:19-20)。この私たちも。






上田駅前アピール(10/7
『日米原子力協定って何だ?』  

  こんにちは。大手町一丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。よく分からないんですけど、日本にはどうして66基ものたくさんの原子力発電所があり、しばらく休んでいた発電所もなんだかウヤムヤなまま次々と再稼働し、賞味期限切れの痛んで腐ってお腹も体も壊しそうな、もう使いつづけてはいけないはずの、いつ壊れても不思議ではないポンコツの原子力発電所までも運転しつづけるんですか? しかも電力が足りないわけでもなく、内緒にしてましたけど、この国には電力がたっぷりあって、本当は余って余ってしかたがないほどなのに、どうして目の色を変えて、次々と再稼働するんですか。
 『日米原子力協定』ってものがあるからです。およそ60年前の1955年からです。戦争に負けて講和条約を結んで、日米安全保障条約と日米地位協定と結んで、これから親分のアメリカ様に子分の日本は何でも言う通りにご無理ごもっともと従う手下になる約束をして、その約束の一部が『日米原子力協定』です。その協定のおかげで、わが日本は核燃料サイクルをもち、自力で核兵器を作れる力と技術をもってる。すごいでしよう、自分たちで核兵器を作れるし、それを使ったり売りさばいて大儲けもできます。核保有国以外で原子力燃料の再処理工場をもってるのは日本だけです。ただし 日本が親分アメリカ様の言いなりに従う手下である限り認めてくださるんですって。親分の言いなりの使いっ走りさせられつづける、この日本ていう子分は。政府と電力会社にまんまと言いくるめられて、札束を山ほど握らされて、「原発がなければこの過疎の、田舎の、貧乏な地区はただちに破産して潰れてしまうぞ~、人っこ一人いなくなったらどうするんだあ~」なんて脅かされて、「ああ。そりゃあ大変だ。原発さまさま、電力会社さまさま、政府のお役人と与党の国会議員さまさま。どうぞよろしく」と、すっかり丸めこまれちゃって。それを私たちも「しょうがないや。おカミの仰ることだから」と見て見ぬふり聞いても聞かなかったふりして涼しい顔をして通り過ぎていくんですね。薄情だなあ 福島や愛媛や静岡の子供たちの甲状腺が腫れても、癌になってやがてバタバタと倒れて死んでいっても関係ないんでしょ。自分たちのいま目の前にある生活がほどほど豊かならそれでいいんですか。自分たちの近所には危なくて恐ろしい原発が一つもないらしいから、いくら原子力発電所の大事故があちこちで起きて、大勢の人々が放射能の毒をたくさん浴びて被曝しても、他人事だから関係ないんですね。知ってますか。ここの中部電力が運転している静岡県御前崎市の浜岡原発はものすごく危ないですよお。ヨソさんのことですけど、四国電力が運転している愛媛県西宇和郡にある伊方(いかた)原発もすごく危ない上に、その細長い半島の先っぽに住む住民たちは、おじいちゃんお婆ちゃん父さん母さんも子供も赤ちゃんも大爆発が起こったら逃げ場も逃げ道も避難場所も何もないんですヨオ。震源地のすぐ脇にある、九州電力の鹿児島県薩摩川内市にある川内(せんだい)原発もいつ何が起こってもおかしくないし、「せめて地震がだいたい収まるまででいいから発電所の運転を止めてくれないか、お願いだから。恐くて恐くて夜も眠れない」と住民が必死に訴えつづけても「大丈夫大丈夫。安全安心」と涼し~い顔をしつづけます、この国の政府与党も電力会社も原子力規制委員会も。そして私たち国民の大多数も。なんて無責任で薄情で自分勝手な人間でしょうか、この私たち全員は。ほんの少しは胸が痛みませんか? もし知らんぷりしているなら、あなたは 妻や子供たちに顔向けできますか。子供や孫や、後から来る新しい世代の人々にお詫びのしようもありません。
  ♪ 浜岡原発、再稼働反対。伊方原発再稼働反対。原発なくてもちっとも困らない。大事故起きたら、とっても困る。日米原子力協定って何だ。日米原子力協定って何だ。住民が被ばくしてもいいのか、お金が儲かってアメリカさまが喜べばそれでいいのか。薄情者め~! 薄情者め~


     【参照資料】『小出裕章ジャーナル』(第31回 2013810日付)日米原子力協定の真相とは?「日本はなんとしても自力で核兵器をつくる力を身につけておきたいと思ったわけです」~第31回小出裕章ジャーナル2013810
【聞き手】
今日は、ズバリ、「日米原子力協定」についてお伺いします。1955年に(日米原子力研究協定が)結ばれて、68年に旧協定が結ばれて、88年に今の協定(=原子力の平和利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定の効力発生に関する件)が中曽根内閣の時に結ばれました。この協定が今も有効なわけですね?【小出さん】
そうですね。確か、30年だったですかね?【聞き手】
そうです。だから、2018年まで日米原子力協定が今もあるわけですね?【小出さん】
もちろんです。
【聞き手】
この協定は、どんな内容でどんな問題点がありますか?【小出さん】
原子力協定だけを特別、歴史の流れから切り離すというのは、もちろん間違いなのであって、日本というこの国がサンフランシスコ講和条約で一応、米軍から解放された時からの流れの中で理解するべきだと思います。
日本には、日米安全保障条約があるわけですし、日米地位協定というものもあるわけですね。そういうものの基本的な枠組みは何かというと、日本というものが米国の属国になっていく、そういうことなのですね。
原子力協定ももちろんその一部をなしているわけで、米国の指導の下というか、米国の思惑の枠組みの中で原子力をやってきた。米国に付き従っている限りは一定の自由を与えてやろう、そういう協定です。
【聞き手】
例えば、核燃料サイクルですが、日本はやめたいと思っても、この協定がある限りはやめれないでしょ?【小出さん】
もともとは、米国も日本には核燃料サイクルはやらせたくなかったのです。というのは、核燃料サイクルというのは、いわゆる核兵器製造サイクルというべきものでして、原子炉で出来たプルトニウムを取り出すということが一番の眼目なのですね。
でも、日本はなんとしても自力で核兵器をつくる力、技術的な能力を身につけておきたいと思ったわけで、その中心的な技術である再処理ということをやりたかったわけです。やはり、米国としては、日本にそれをやらせるのはまずいと思ったわけで、日本が再処理に手をつけるということに関しては、米国の中で随分反対があったのです。その反対を押し切って、1977年に東海の再処理工場というのが動き出したわけで、ようやく、日本としては、米国から了承を取り付けて、核燃料サイクルに踏み込むことが出来たということなのです。
それをもちろん、簡単に手放すことが出来ないわけですし、世界で唯一なのですね、核保有国以外に再処理工場を認めたというのは日本だけなのであって、日本が属国である限り、認めておいてやろう、というそういう枠組みの中で原子力協定があるのです。
ですから、歴史の流れの中で考える限りは、日本は自分でも抜けたくないだろうし、米国としても今も枠組みが維持できている限りは、日本はその枠組みで利用したいと思っていると思います。
【聞き手】
私は逆に考えてまして、核燃料サイクルというのはアメリカが日本に実験させてそれを見ていると思っていたのですが、日本も核兵器をつくりたいからやりたいのですか?【小出さん】
そうです。
【聞き手】
単刀直入にいうと、野田内閣の時に20万人が官邸を取り囲みました。野田さんは「大きな音だね」と言いましたが、野田内閣が再稼働せざるを得なかったのは、日米原子力協定があるからですか?【小出さん】
先ほどから聞いて頂いているように原子力協定も歴史の枠組みの中で考えるべきだと思っていまして、米国という国は日本が属国である限りは、それなりの自由を与えて、原子力あるいは核という世界に留めておこうと思っているわけですね。
ですから、核燃料サイクルというものもそれなりに認めておいてやろうと思っているわけですし、原子力という、そういう世界につなげとめておくことによって、米国は原子力発電所を売りつけたりすることで、利益、つまり、金が自分の懐に入ってくるというために、日本は逃がさないと思っているのだと思います。
【聞き手】
例えば、日本がアメリカの原子炉を購入することで、ウランやプルトニウムの燃料で儲けていこう、そういう考えもあったんですか?【小出さん】
ウランを売りつける。或いは、原子力発電所というのは、天然のウランでは日本の原子力発電所は動かないわけで、濃縮という大変厄介なことをしなければいけないのですが、米国はウラン濃縮、つまり原爆をつくるためのウラン濃縮工場をたくさん作りすぎてしまって、そこから出てくる濃縮ウランをどこかへ売らなければ儲からないのですね。
【聞き手】
アメリカは余ってたんですか?【小出さん】
そうです。山ほど余ってますので、とにかく原子炉を売りつけて、燃料を売りつけることで金儲けをする、そして、原子炉自身も米国がパテント(特許、特許権)を持っているわけですから、売れば売るほど儲かる。ただし、米国自身はゼネラルエレクトリック(GE)もウエスティングハウスも、すでに生産ラインと失ってしまっていますので。
【聞き手】
スリーマイルの時からですね?【小出さん】
それより前から1974年から米国は原子力から撤退しているのです。生産ラインがないので・・・
【聞き手】
米国の方が賢いのですね?【小出さん】
遥かに賢いです。それで、日本の生産ラインを動かして、それでまた金儲けをしようと企んでいるのです。
【聞き手】
危険は日本任せで、利益はアメリカが取ろうとしているわけですね。
【小出さん】
そうです。
【聞き手】
日本も原子力ムラはそれで儲けたいし、核兵器をつくりたいという思惑もあるので、日米ムラがお互いいいだろうということでつくったような協定ですよね?【小出さん】
まあ、国家としての思惑、企業としての思惑というのが複雑に絡み合って、もちろん米国は利益を求めるわけですし、日本の企業もすでにつくってしまった生産ラインがあるので、もう抜けることができないことで儲けることに走っているわけです。
【聞き手】
日米安保がある限り、沖縄や横須賀に基地があるわけです。だから、沖縄の人が声をあげても基地はなかなか撤去できませんよね?【小出さん】
そうです。
【聞き手】
これと同じ構図が原子力にもあって、結局、日本政府も基地ビジネスで儲けたい人がいて、軍産複合体もそれで儲けたい人がいるし、アメリカだって、日米安保条約の中で沖縄に基地を置きたい、という両者の野合みたいなものが安保条約であって、結局、沖縄の人が苦しんでいるわけですよね?【小出さん】
そうです。
【聞き手】
今回、再稼働を申請している原発というのはほとんどプルサーマルが出来る能力があるものが多いですよね?【小出さん】
はい。それが多いですね。
【聞き手】
日本政府も電力会社も前のめりになっているのは、プルトニウムを回し続けたいという思いがあるのですか?【小出さん】
プルトニウムを回し続けることはもうできません。高速増殖炉が動きませんので。しかし、日本はすでにプルトニウムを分離した形で、45トンも持っていて、それを使うと長崎原爆が4000発も出来てしまうという量なのですね。そんなものを世界が容認してくれるわけはなくて、日本は使い道のないプルトニウムは持たないという国際公約をすでにさせられてしまっているのです。
そうなれば、なんとしても燃やすしかないということで、無理に無理を重ねて、プルサーマルということをやらざるえないところに押し込められてしまっているのです。
【聞き手】
この日米原子力協定は2018年に期限が切れます。
【小出さん】
これは破棄するべきだと思いますし、原子力協定だけでなく、地位協定だって破棄させるべきですし、日米安保条約だって破棄するべきだと思います。
【聞き手】
本当の意味で独立していかなければいけませんね?【小出さん】
そうです。


*『小出裕章ジャーナル・シリーズ』;インターネットで検索し、全文を読むことができます。他にも、「汚染水」「地下水流入を防ぐ手段」「膨大な被爆作業労働者の確保」「高まる再稼働の気運」「核のゴミをどうするか」「使用済み核燃料の取出し」「事故から4年」「石棺で封じ込めるしかない(2015,4,25)」「避難指示解除は妥当か(2015,7,11)」「廃炉工程表見直しについて(2015,7,25)」「川内原発再稼働(2015,8,8)」「浜岡原発再稼働問題」20151120日)参照。





+上田駅前アピール 『一億まるごと大安売り社会』10/28

8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。25 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。(ルカ福音書 8:22-25)

 主イエスと弟子たちはほんの小さな舟に乗って、「向こう岸へ。向こう岸へ」と何度もガリラヤ湖を渡りました。向こう岸には主イエスを待ち望む人々がいたからですし、ほんの小さな舟に乗って湖を渡ることこそがよい勉強になり、主イエスの弟子として日々を生きてゆくことの訓練となったからです。湖を渡ってゆく間に、主イエスはグーグーいびきをかいて眠ってしまいました。すると突風がビュービューと湖に吹き降ろしてきました。バシャアアン、バシャアアンと大きな波が打ち寄せ、なにしろほんの小さな舟でしたから波をかぶってたちまち沈みそうになりました。そこで弟子たちは大慌てで主イエスを起こしました。「先生、先生、わたしたちは死にそうです」24節)。主イエスは起き上がって、風と荒波とを叱りつけました。「静かにしなさい」。すると吹き荒れていた波も風も、しーんと静かになりました。主イエスは彼らに言いました。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」。弟子たちは目をまん丸にして恐れ驚いて、互いに言い合いました。「いったい、このかたは誰だろう? お命じになると、風も波も従うとは」。
 キリストの教会と一人一人のクリスチャンは、昔も今も変わらず ちょうどこの小舟の中の弟子たちそのままです。大事なことを主イエスから教わったので、それをぜひよくよく覚えておくために、例えばこの教会でも、礼拝堂の正面の壁を『舟の形』に造っています。見るたびに、「ああ。あのとき、ああいうことがあった」と思い出すためにです。上田教会でも、またそれぞれの毎日の暮らしの中でも、突風がいきなりビュービューと吹き降ろしてきます。バシャアアン、バシャアアンと大きな波が打ち寄せます。なにしろほんの小さな舟に乗っているのですから、波をかぶってたちまち沈みそうになります。じゃあ、そのとき、私たちはどうしましょう。大慌てで主イエスのところに駆け戻り、必死にしがみついて、「先生、先生、わたしたちは死にそうです。助けてくださ~い」と叫ぶのです。主イエスは起き上がって、風と荒波とを叱りつけ、ザブザブ、バシャバシャと大騒ぎになっている私たちの魂をさえ叱りつけてくださるでしょう。「静かにしなさい」。すると、そこでようやく波も風も、私たちの心も、しーんと静かにしていただけるでしょう。遠い昔、預言者は言いました。「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザヤ書30:15と。アタフタオロオロする日々に、「わたしの信仰はどこにあるだろう?」と胸に手を当てて考えてみましょう。あのとき、弟子たちは案外ちゃんとしていましたよ。初めにアタフタしかけて、けれども主イエスがいっしょにいてくださると思い出しました。それで大慌てで主イエスのところに駆け戻って、主イエスにしがみつきました。本気で、必死になって、助けを主イエスにこそ求めました。「あなたがたの信仰はどこにあるか」。ありましたよ 彼らの信仰は、ちゃんとそこにあったじゃないですか。主イエスのところに。やったあ。上出来です。波も風も主イエスに従う。もちろん、この私たちもそうです。







 上田駅前アピール(10/28
『一億まるごと大安売り社会』

 大手町1丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。
 一ヶ月ほど前、926日に、安倍晋三内閣総理大臣の所信表明演説の模様が、テレビ各局で放送されました。「今この瞬間も、自衛隊の諸君が任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」。と、ここで自民党議員は全員起立して拍手大喝采をしました。彼らが極度の緊張に耐えている理由は、間近に迫っている南スーダンでの自分たちの戦闘行為です。11月にも青森駐屯地から陸上自衛隊の派遣が計画されており、実践的な訓練が始められます。きびしい戦闘の最前線に送り出されようとする当人たちは、恐ろしくて恐ろしくてたまらないでしょう。安倍晋三首相は、「日本は、国際社会の期待に応えなければならない。我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げる」。その強い決意とは、自衛隊員たちに鉄砲と武器と弾薬を山ほど背負わせて、わが国の領土を守るだけではなく、危ない紛争地域のどこへでも送り出して、殺し合いをさせることです。ご存知ですか? 南スーダンでは政府軍も反政府の軍隊もどちらも、大勢の少年少女たちを駆り出して無理やり兵隊に仕立て上げています。その小さな子供たちと、私たちの自衛隊員は銃を向け合って殺したり殺されたりし合うことになります。なんと恐ろしいことでしょう(*1)「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」という首相の言葉に促されて、自民党議員が全員起立して拍手大喝采。この異様な光景を見て、野党議員の一人が「この国の姿とは思えない。まるで、どっかの国とそっくりだ」「どっかの国ってどの国のこと?」。海の向こうにも似た国がありますが、それより何より、71年前のわが国の戦時体制下とそっくり瓜二つです。驚きました。71年前の戦争中の、『兵隊さんよありがとう』(作詞、橋本善三郎。作曲、佐々木すぐる)の歌のようです。「兵隊さんよ、ありがとう」を、じゃあ今度は、『自衛隊員さんよ、ありがとう』と言葉を替えて、私たちは声高らかに歌うんでしょうか。肩を並べて兄さんと今日も学校へ行けるのも、夕べ楽しい御飯どき家内そろって語るのも、お国のために戦った、お国のために傷ついた、お国のために戦死した自衛隊員さんたちのおかげです。ええ、嘘っ八じゃないですか。南スーダンの人々も、危ないからと次々と撤退しつづけているヨソの国々の軍隊も、みんな『日本の自衛隊員さんたちのおかげです』と全員起立して拍手大喝采するんでしょうか。違いますよオ その虚しいだけの人殺し行為は南スーダンのためではなく、その住民たちの平和と安全を守るためでもなく、日本のためでもなく、世界平和のためでもありません。ただアメリカさんとお金持ちと戦争で儲ける死の商売人の方々が大儲けをするためだけに利用されるんですから。71年前、そっくり同じ嘘っぱちの戦争に無理やり担ぎ出されて、一人の兵隊は「ああ騙されていた」と気がつきました。「お前らの命は一銭五厘の、召集令状のハガキ一枚の値打ちしなかい」と怒鳴りつけられたからです(*2)。「お前らの代わりはいくらでもいるんだ」とあざけり笑われたことを一人の兵隊は覚えています。「代わりはいくらでもいる」とあざけった伍長だか一等兵殿だかも、やっぱりせいぜい一銭六厘だか七厘程度です。安いなあ、大安売りだなあ人間の生命が。安売りされて、犬死に・無駄死にさせられて、ゴミ屑のようにドブに捨てられるのか。ゴミ屑扱いされながら、靖国神社に祀られて「お国を守って死んでくれてありがとう」と神様扱いもされるんですか。ずいぶん虫のいい話だ、とんだイカサマだ嘘っ八だ。あのときの彼らも、今の僕らも。上等兵殿~オ 正社員も部長も課長も係長も皆、せいぜい一銭六厘だか七厘程度らしいです、人間を粗末に扱うこの粗末な国では。あんたも 同じく一銭六厘だか七厘程度で安売りされて、ゴミ屑のようにドブに捨てられるんですヨオ。一億総活躍社会とは、このことです。その正体は、一億まるごと大安売り社会です。安全でもなく安心でもなく、とても危ない原子力発電所を次々と再稼働しつづけることも、原発事故が少しも収束していないのに安全安全と言い張るのも、同じです。誰も責任を負おうとしない。他人事で関係ないやと知らんぷりしている私たちも。福島や鹿児島や愛媛や静岡の住民たちが泣き寝入りしてくれているおかげなんですか。「本当はおっかない。恐ろしくて恐ろしくて夜も眠れない」と震えながら我慢してくれているおかげなんですね。一億総活躍。本当は、一億まるごと大安売り社会です。極度の緊張に耐えて踏みつけにされているその彼らに対し、私たち日本国民は全員起立して、バンザ~イと敬意を表して、拍手大喝采するんですか。いいえ、二度と騙されてはいけません。二度と、悪事の片棒を担がされてはなりません。しかも、あまりに無責任です。もし黙って見過ごすなら、犬死させられようとしている自衛隊員たちとその家族に対して、ないがしろにされつづける沖縄住民に対しても、福島、愛媛、鹿児島、静岡、新潟、北海道各地のとても危ない原発施設の地元で暮らす爺ちゃん婆ちゃん、中学生小学生、子供たちに対しても、この私たち全員はお詫びのしようもありません。
  ♪自衛隊員たちを犬死させるな 自衛隊員と家族を泣かせるな  戦争法制、絶対反対 駆けつけ人殺し、絶対反対 反対反対、絶対反対   反対反対、絶対反対! 戦争法制、絶対反対

  【参照/子ども兵の現実】(*1)
  (インターネット)ヒューマンライツウォッチ・国際人権NGO『南スーダン:子ども兵士の恐るべき日常』(20151218日)。何千人もの子どもが、政府軍および反政府勢力の指揮下で南スーダン内戦の戦闘に参加している。報告書「『僕たちも死ぬんだ』:南スーダンにおける子ども兵の徴募と動員」(全65ページ)は、子ども兵を動員している政府軍「南スーダン人民解放軍(SPLA)」、そして反政府勢力「反政府南スーダン人民解放軍(SPLA-in-Opposition)」及びその同盟勢力の指揮官・幹部総勢15人以上の氏名を挙げている。本報告書は、強制徴募された子ども兵と、家族やコミュニティをまもるために志願した子ども兵の合計101人に行った聞き取り調査を基にしている。子どもたちは、家族から遠く離れ、何カ月も十分な食べものを与えられなかったことや、恐ろしい銃撃戦に参加させられて負傷したり、友人が目の前で殺された経験などを証言。また、学校に通うべき時期を無駄にしてしまったことへのくやしさの念を語っている。国連児童基金(UNICEF)の推定によれば、この内戦で約15,00016,000人の子どもが軍や武装組織に兵士として動員されている。南スーダン内戦は201312月、キール大統領及び現在では反政府勢力を率いているマシャール前副大統領に、それぞれ忠誠を誓う兵士たちが首都ジュバで衝突したことがきっかけで勃発した。戦闘が拡大するにつれ、両陣営とも一般市民を標的にするようになり、しばしば民族を理由にした凄惨な殺りくが発生。220万人あまりが避難民化しており、その大半は焼き討ちや略奪にあった町や村の住民だ。
   他に、(インターネット検索)『ニューズ・ウィーク日本版』;国連部隊は住民を守れ(2016,10,13)/住民に催涙弾、敵前逃亡、レイプ傍観――国連部隊の失態相次ぐ南スーダン(16,8,30)/邦人も避難へ、緊迫の南スーダン情勢と国連PKO(16,7,11)

   (*2)「一銭五厘」;「そのころ葉書は一銭五厘だった。兵隊は一銭五厘の葉書でいくらでも召集できるという意味だった。貴様らの代わりは一銭五厘でくるぞとどなられながら、一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた。へとへとになって眠った。一銭五厘は死んだ。一銭五厘はけがをした。片わになった。一銭五厘をべつの名で言ってみようか。〈庶民〉、ぼくらだ、君らだ」(『灯をともす言葉』花森安治,p172





 上田駅前アピール(12/9
『押しつけ人殺し、絶対反対。』

 大手町1丁目の日本キリスト教会、上田教会の牧師、金田です。
 来週12日(月)から始まるそうです。ほんのひと握りの政治家や資本家たちのせいばかりではなく、この私たち自身に大きな責任があります。350人の陸上自衛隊員たちが、南スーダンへもどこへも出かけていって無駄に人を殺したり殺されたりし始める前に、とても悪い戦争法をなんとかして廃止しなければなりません。政治家と資本家たちと私たち国民一人一人は、はっきいりと目を覚まして、この自分たちが、とんでもない悪事の片棒を担いでおり、共犯者であることに、なんとしても気づかなければなりません。駆けつけ警護? いいえ、押し付け人殺しです。押し売り人殺しです。「殺したり殺されたりする職務に、自衛隊員が安心して打ち込めるように」と見舞金を6000万円から9000万円に引き上げると防衛省は判断したそうです。へえ、そうだったのかあ。殺したり殺されたりする職務中、死亡したり、重い障害を負ったり心が壊れてしまった場合に9000万円の見舞金をもらっても、1回24000円ずつの危険手当を受け取っても、それでいったい誰が安心して死んでいけるんですか。それで晴れ晴れして、気軽に人殺しができるんですか。9000万円の見舞金をもらって、それで妻や子供たちが「これで生活が楽になった。わあ嬉しい」と喜ぶんでしょうか。国会議員も私たち国民も、大喜びで拍手喝采したり万歳三唱したりするんですか。自衛隊員も一億国民も総活躍ですか、いいえ ただの大安売りじゃないですか。71年前とまったく同じです。大東亜共栄圏だのアジアの同胞のためだのが嘘っ八のデタラメだったように、これも平和貢献でもなんでもありません。放っておいていいんですか。知らんぷりしてていいんですか。いいわけないでしょ。言い訳たたないでしょ。無駄に使い捨てられようとする彼ら350人の自衛隊員一人一人に、私たちと同じくかけがえのない家族と人生があるからです。その犬死してゆく350人の中に、たまたま自分たちの息子や娘や孫たちが入っていなければ、この私たちは、それで安心して高みの見物をしてていいんですか。家族も親戚も友達も南スーダンに送り込まれなければそれでいいんですか。薄情者め~ この薄情者オ~。自分たちとは関係ない他人事ですか。なんて薄情で無責任なんですか、この私たちは。
しかも南スーダン方式の『人間をないがしろにし、粗末に扱い、踏みつけつづける』このやり方は、日本中あちこちでまかり通っています。日本中が人の住めない荒れ果てた不毛の土地になってしまう前に、手遅れになってしまう前に、とても危ないすべての原子力発電所を今すぐ止めましょう。米軍基地を押し付けられ、ないがしろにされつづける沖縄の同胞たちの怒りと苦しみに、私たちも目と心を向けましょう。日本で暮らす外国人労働者とその家族の生活と権利が十分に守られ、尊ばれる社会に、この国をならせましょう。もうすっかり忘れちゃったんでしょうけど、5年前の震災からの被害はまだまだ続いています。福島原発の事故はほんの少しも収束していません。毎日毎日、放射能の汚染水を海にジャブジャブ垂れ流しつづけ、とても危険な放射線危険区域に父さんも母さんも小学生も小さな子供たちも無理矢理に連れ戻されようとしています。それなのに政府も私たちも、まるで何もなかったかのように自分たちだけの満足と、自分たちだけの豊かさと、自分たちだけの自由をむさぼりつづけています。その片隅で貧しく暮らし、身を屈めさせられている多くの人々がいます。350人の自衛隊員たちにも、沖縄の人たちにも、とても危ない原子力発電所のすぐ傍らで生活する人々にも、外国人労働者たち一人一人にも、この私たちと同じくかけがえのない家族と、たった一回しかないつかの間の人生があるんですヨオ。それでも私たちは痛くも痒くもない。ほんの少しも心が痛まない。薄情者め~。この薄情者オ~。
  ♪自衛隊員たちを犬死させるな 自衛隊員と家族を泣かせるな戦争法制、絶対反対 押しつけ人殺し、絶対反対 押し売り人殺し絶対反対。反対反対、絶対反対   反対反対、絶対反対




     【補足】(インターネット)自衛隊「海外派遣」、私たちが刷り込まれてきた二つのウソゼロからわかるPKOの真実20年以上ずっと憲法違反』2016,2,13)伊勢崎 賢治(東京外国語大学教授)
 1. PKOに対する日本人の体感のズレ
刷り込み、というのは恐ろしい。連日、メディアの取材を受けているが、ほとんどの記者が、何のためらいもない。「自衛隊が送られるのはPKO(国連平和維持"活動")で、PKF(国連平和維持"")ではないんですから…云々」と。保守系メディアではなく、リベラル系のが、である。PKO(国連平和維持"活動")は、例えばある国で内戦がおこり、このまま放っておけない、国連としてみんなで何とかしなきゃ、ということで、安保理が全国連加盟国に参加を呼びかけ、その内戦に介入する活動の総称である。国連というのはUnited Nations "連合国")。第二次大戦の戦勝5大国(米露中英仏)が安保理常任理事国になり、日独伊のような不埒な侵略者を二度と出さないように、加盟国全ての「武力の行使」を統制しようとするシステムである。一加盟国の国民を脅かす侵略者が現れたら安保理の号令の下、そいつを全員で叩きのめす。これが「集団安全保障」という考え方だ。でも、「内戦」は一加盟国内の内輪揉めである。つまり、国民の安全を脅かすのは侵略者じゃなくて、その国内の反乱勢力。でも、放っておけない。どうするか? ここで編み出されたのがPKOである。国連憲章で軍事介入を規定するのは第七章の「強制措置」しかない。これは当事者の同意なくできる措置。つまり国連としての最終手段である。「内輪揉め」にこれを使うのは、ちょっと無理がある。なぜなら、内政不干渉の原則があるからだ。もし、国連に加盟したら干渉するもんね、ということだったら、国連創生期に加盟国を増やすことは困難だったろうし、そもそもチベット問題のように安保理常任理事国だって脛(すね)に傷をもっている。だから、内戦には、強制措置としての軍事介入ではなく、その内戦当事者の同意の上での軍事介入しかない。というわけで、PKOは、同意をベースとする平和的介入手段を謳う第六章との間をとって、苦し紛れに"六章半"と言われる。同意があろうがなかろうがPKOは軍事介入である。だから、Peace-Keeping Operation’。「作戦」なんである。もし国連として一加盟国の内輪揉めに入り込んで(それも武装して)、もし、その武力を使う羽目になったら、それも、使う相手がその政府だったら……。つまり、国連が、侵略者でもない一加盟国と戦争する羽目になったら……。でも、介入しなければならない。そのギリギリの選択がPKOという軍事作戦である。でも、日本ではこれを"活動"と訳した。なぜか。9条の国の自衛隊が参加するのが軍事作戦じゃ、困るからである。PKOに対する、歴代政府によって恣意的に作られた日本人の体感のズレは、まず、ここから始まる。
2.自衛隊はまぎれもなく「PKFの工兵部隊」として活動してきた
次にPKF(国連平和維持"")である。一つのPKOを、現場の人間は「ミッション」と呼ぶ。「ミッション・インポシブル」のミッションの感覚である。PKOミッションは、軍事部門であるPKFを中心に、大きく言って4つの部門からなる。
PKF(国連平和維持軍)
②国連軍事監視団
③国連文民警察
④民生部門
PKFは、文字通り「部隊」である。主体は戦闘を任務とする歩兵部隊。装甲車や戦車の機甲部隊がつくこともある。くわえて、どんなPKOミッションにも必ずある工兵部隊。こちらは軍事作戦に必須の戦略道路網、通信等のインフラの構築、維持が任務になる。PKOは軍事作戦であるから、PKFは、他の部門と比しても、人数的に突出して多い。1万人を超え、派遣国も20を超えるものもあり、安保理が任命する最高司令官の下、一つの統合司令部の”指揮下”に置かれるが、まあ、寄り合い所帯の多国籍軍である。はっきり言おう。歴代の自衛隊の施設部隊は、PKFの工兵部隊であり、現場では、ずっとその扱いであった。じゃなかったら、①~④のどこに入れ込むのか。自衛隊だけ、単独行動の特殊ゲリラ部隊か。同じPKOミッションの中でも、①のPKFと②③④には決定的な違いがある。PKFの単位は「国」。それ以外の部門は「個人」。当時の筆者のような④民生部門は当たり前だが、現役の軍人、警察官で構成される②国連軍事監視団、③国連文民警察は、「国連職員」として扱われる。つまり、個人として国連のペイロール(給与簿)に載り、給料が支払われる。これに対して①PKFは、単なる部隊の「数」として、国連が、各派遣国に、償還金を支払う。発展途上国にとっては、PKFは重要な外貨稼ぎの機会を提供してきた。発展途上国ではないが、日本政府にも、この国連償還金が支払われてきた。

3.自衛隊は「武力の行使」と一体化しない、という大ウソ
過日、数あるPKOミッションの中で、最も過酷な現場と言われるコンゴ民主共和国に行ってきた。南スーダンの隣である。PKFの最高司令官はブラジル陸軍のサントスクルズ中将。PKFトップを務めるのは2回目。ここの前の任地はハイチ。そう。自衛隊が派遣されていた。最前線の部隊を訪問する道中の立ち話で、「ハイチでは本当によくやってくれた」と自衛隊の勤勉さを称賛するサントスクルズに、「将軍。知ってる? 日本じゃ、自衛隊の指揮権は、東京にあるって言っていたんだよ」と言うと、「ざけんな」と即座の反応。本当に、ふざけるな、である。自衛隊はPKFであるだけでなく、PKFという多国籍軍としての「武力の行使」に"一体化"して活動する。当たり前である、一体化しなかったら、多国籍軍としてのPKFは成り立たない。しかし、歴代の政府は、自衛隊の活動は「武力の行使」と"一体化"しないという"いわゆる"一体化論(政府は外向けに英訳でthe theory of so-called "Ittaika with the use of force"とする)を編み出し、9条と抵触しないという言い訳としてきた。この一体化論の基礎となるのが、これもまたso-calledが付く「後方支援」「非戦闘地域」という、日本の法議論のためにつくられた、戦場における全く弾が飛んでこない仮想空間である。自衛隊派遣に反対するリベラル勢力も、特段の検証もなく無批判にこれを受け入れ、右・左の自衛隊論争の"土俵"を築いてきた。
厳密に見てみよう。PKFのような多国籍軍と、一国の軍隊の行動には、決定的な違いがある。言うまでもなく、軍隊とは、殺傷行為の如何が、人権・刑事の立場からではなく、軍規の立場から統制される職能集団である。通常、軍規・命令違反は、厳罰に処される。軍規、そして、その軍法会議の管轄権は、その軍だけに限られる。国連は、いまだ地球政府になりえていないから、国連軍法会議なるものは存在しない。多国籍軍の活動で起こる軍事的な過失を、ある一派遣国の軍法会議で裁いたら、それは重大な内政干渉になってしまう。(軍事法典を持たない自衛隊が、もしPKFの現場で軍事的な過失を犯したら? これは、日本に別の深刻な問題を投げかけるが、詳しくは拙著新国防論 9条もアメリカも日本を守れな』を参照願いたい。)かりにPKFを構成するある一派遣国の政府が、なんらかの理由で撤退を決定した時、PKF統合司令部に、それを覆す政治力があるか? その撤退を「敵前逃亡」だと謗(そし)っても、統合司令部に、それを止める力はない。多国籍軍とは、基本的に有志連合。自分勝手な撤退を律するのは、せいぜい外交的な信用の失墜、ぐらいである。この意味で、自衛隊は、多国籍軍として一体化"しない"。でも、"しない"のは、9条を戴く自衛隊だけでなく、すべての派遣国の部隊も、なのである。"しない"のは、この一点だけ。あとは、すべて一体化"する"

 4.自衛隊は敵からどう見えるか
PKOミッションにあたって国連は、それが活動を行う当該受け入れ国と、一括して「地位協定」を結ぶ。基本的に、PKFの公務中に発生する軍事的な過失の裁判権を、派遣国の軍法に与える、つまり、受け入れ国の司法による訴追免除の特権を、派遣国の部隊に与える。戦後の日本が、朝鮮半島動乱を機に"受け入れ国"として昭和29年に署名した「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定 (略称)国連軍地位協定」と同様である。つまり、PKFの統合司令部は、自らが受け入れ国と一括して締結した地位協定を担保に、各派遣国部隊に対して「特権をやるから言うことを訊け」と、指揮権を行使するのである。自衛隊も例外ではなく、この意味で、一体化"する"極め付けは、戦時国際法・国際人道法である。同法は、国連が出来る前からある慣習法の積み重ねである。国連憲章は、地球上で起こる「武力の行使」を3つの言い訳(個別的自衛権、集団的自衛権、それとPKFがそうである集団安全保障)に制限するが、それがいったん行使されれば、戦時国際法・国際人道法が統制する世界になる。戦時国際法・人道法とは、交戦主体、つまり敵・味方の間で人道的に殺し合えという、いわば「戦争の流儀」である。そのなかで一番やっちゃいけないのが民間人の殺傷。だから、敵から"どう見えるか"が、重要になる。例えば、自衛隊が施設部隊として参加するPKF多国籍軍のうちのブラジル歩兵部隊が敵と交戦したとしよう。その場合、敵から見た交戦主体は、そのブラジル部隊だけか、それともPKF全体か。戦時国際法・人道法は、後者の考えをとる。当たり前だ。自衛隊員だけ、ヘルメットに「9」と描いておくか。描いたとしても、敵に、その意味をどう理解させるのか。その意味で、国際法上の違反行為となるのは、赤十字マークだけである。
つまり、施設部隊として送られた自衛隊が、基地に閉じこもり、まったく何もしなくても、他のPKFの部隊が交戦すれば、自衛隊も自動的に交戦主体として見なされる。国際法から見れば、自衛隊は、じっとしていても、PKO参加の政治決定の時点で、静的に、「武力の行使」と一体化"する"。以上、「自衛隊が送られるのはPKOであり、PKFでない」がウソだけでなく、"いわゆる"一体化論もウソである。

 5.ウソで固められた土俵の上で
つまり、自衛隊の派遣は、「武力の行使」と「交戦権」を禁じる9条に、20年以上前に自衛隊がカンボジアPKOに送られてた時から、ずぅーと、違反しているのだ。こんな、現場に行けば(行っても自衛隊の追っかけばかりやっていなければ)簡単にわかることを、メディアが、それも派遣反対のメディアが、世論が、リベラル政治勢力が、検証を怠ってきた。本当に、ふざけるな、なのである。日本国民の、自衛隊へのアレルギーを取るために、PKOという"崇高"な目的を使い続けてきた歴代自民党政権の戦略にブレは無い。9条と抵触させないための見え透いた刷り込みは、着実に成果を上げ、自衛隊への好感度は国民にしっかり定着した。安倍政権の今、野党/与党の対立の政局は、依然として、その刷り込まれたウソで固められた土俵の上に、繰り広げられている。安倍政権打倒を叫ぶ野党結集にも、その土俵を土台からひっくり返すことを結集の結節点にする声は、皆無だ。ただ、ABEの悪魔化と憎悪があるのみ。いつまで、これを続けるのか。




駅前マイク活動無期限休止のお詫び


この国で、政治・社会状況が危うい局面にさしかかってもおり、2015年春から市民活動に参加して毎週金曜日に街角でマイクをもって語りはじめた。半年つづけ、その後、半年あまりマイクで語ることを休止し、この秋から月一回のテンポで再び語ってみた。街角で一般の人々に向けて社会状況を語ることと、礼拝堂で神を信じる人々に向けて神の福音を語ること。両者は深く関連して、とてもよく似ている。「本当のことを本気で語るように」と、牧師養成所の最初のころ一人の先輩に助言され、18年間ずっと、そのように自分を訓練しつづけてもきた。結果、ぼくの礼拝メッセージは街角のアジ演説にどんどん引き寄せられ、ややトゲトゲしい攻撃的な口調にだんだんと傾いていった。健全なバランスを保って2つの活動を両立させることは僕にとっては困難で、心もたびたび貧しくなって壊れかけ、本業が危機的状況に立ち至った。確かに、それらを健全に両立させている伝道者もいる。けれど僕にはとても難しい。熟慮しましたが、街角でマイクをもって語ることを無期限で休止します。ただ、そうであっても、政治・社会状況に関わることは続けねばなりません。クリスチャンとして、一人の人間として。「私たちは学び、働き、食べて寝て、そしてまた路上で声をあげる」とあの若者たちは言いました。これからは僕は黙って街角に立ち、プラカードを掲げ、ビラを配り、仲間たちの声に共に耳を傾けつづけます。御父と主イエスからの恵み、憐れみ、平和がありますように。皆さまにも、あの彼らにも、ぼく自身と家族にも。        2016,12,末 金田聖治)