2019年7月1日月曜日

6/30こども説教「サウロの伝道」使徒9:19-22


 6/30 こども説教 使徒行伝9:19-22
 『サウロの伝道』

9:19 また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにい る弟子たちと共に数日間を過ごしてから、20 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。21 これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。22 しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。                 (使徒行伝9:19-22

 救い主イエスとキリスト教会に逆らっていたサウロは、それまでとは正反対に、主イエスを信じる者とされ、イエスのことを宣べ伝えはじめました。イエスこそ神の独り子であり、私たちとこの世界ぜんぶのための救い主であると。サウロだけでなく、主イエスの弟子たち皆が語るべきことは、いつもこのことです。ただイエスのことを。彼が神の独り子であり、世界のための救い主であることを。聞いた人たちが救い主イエスを信じて、それによって命を受け取るために、彼らは語りつづけます(ヨハネ福音書5:39-40,20:30-31。それまで正反対のことを言って、主イエスを信じる人たちを捕まえて牢獄に閉じ込めたり、乱暴したり、困らせたりしていた人間が、今度はこんなことを言い始めたのです。ですから、町中の人たちはとても驚きました。
それでも、とても驚いたからと言って、語られていることを皆が皆、信じるようになったのかというとそうではありません。主イエスご自身が語った時もそうです。主イエスの弟子たちが語るときにも、やはり、信じる人と信じない人とが分けられつづけます。その弟子たち一人一人を神さまが道具として用いてくださっています。それでもなお、神さまご自身が信じさせてくださらなければ、誰も神を信じて生きるようにはならないのです(*補足)

       【補足/願いつづけること、慎むこと】(*補足)
         大切な家族や友人のために、信仰の導きを精一杯にしてあげたいと願うことは大切です。けれど同時に、神ご自身こそがそれをなさると深く弁えましょう。願いつづけ、けれども慎んで、神さまにこそ委ねます。十分に信頼しているようにと、釘を刺されます。神にこそ従順であり、安らかに生きるためにです。「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない」「そしてイエスは言われた、『それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである』」(ヨハネ福音書6:44,65)。そうでなければ、ついつい私たちは傲慢になり、神をさえ自分の意志と願いに服従させたくなってしまうからです。それでは困ります。「私の願い通りではなく、ただただあなたの御心のままになさってください」と願いましょう。