2015年8月11日火曜日

7/26こども説教「まず!神の国と神の義を」マタイ6:25-31

 ◎こどものための短い説教 マタイ6:25-31              2015,7,26
 『まず 神の国と神の義を』 牧師 かねだせいじ

6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。   (マタイ福音書 6:25-31)

  この聖書箇所を大人の人たちも大好きで、「自分の葬式のとき、ここでやっていただきたい」などとよく言われます。でも内容は案外むずかしくて、ずいぶん勘違いして受け止めている人も多いようです。それで、まず勘違いしやすいところを3点、説明しておきましょう――
  「空の鳥」や「野の花」に比べて、まるでいかにも、私たち人間のほうがはるかに優れていて上等で、彼らよりもっとご贔屓(=ひいき。自分が好意をもつ相手に特別に親切に、よくしてあげて、格別に手助けしたり応援したりすること)にあずかっている、その価値もある、かのように書いてあります(2630節「はるかに優れた者」「それ以上よくして」)。分かりやすく伝えようとしてこう書かれていますけど、違うんですよ。鳥も草花も、カエルもバッタもミミズも、神さまにとっては私たちと同じに大切で、大事にしていただいています。人間様だけが偉くて大事だと自惚れて わがまま勝手に、彼らに対して乱暴なヒドイことをしてはいけません(創世記1:31-2:3,9:8-17,12:1-3,レビ記25:1-28,マタイ24:45-51,コリント手紙(1)4:1-5,ローマ手紙8:19-22)。よくよく覚えていてください。
   最後のところ、「明日のことは明日自身が思い煩うであろう」。これも分かりやすく分かってもらおうとして、「今日。明日。明後日」という時間を、まるで生き物のように言い表しています。思い煩うのは誰? あなたや私、人それぞれに、ミミズはミミズなりに思い煩う? それもある。けれど実際には、あなたのためにも世界のためにも鳥やカエルやバッタやミミズのためにも、神さまこそが第一によくよく考えて、十分に手配をし、ちゃんとやってくださる。だから神さまにこそお任せしなさい、という意味です。
  全体的に、じゃあ、何を言われているか分かりますか? 「何を食べようか、何を飲もうか何を着ようかと、自分の命や毎日毎日の暮らしのことで思い煩うな」というんですね。「鳥や草花は全然働かなかったり、たとえ働いてるとしても、せいぜいほんのチョビットなのに、神さまがちゃんと面倒を見て、世話してくださっている」(26,28節「蒔くことも刈ることも」「働きもせず」)というんですね。じゃあ、どういうこと? 私たちは、どうやって暮らしていったらいいんですか? 何にも働かなくていい、というわけではありません。好き放題に気楽~にしてたら安心、ということでもないんです。もちろん子供も大人もお爺さんお婆さんも病人も、自分のできることを精一杯にし、それぞれに良く働きます。年老いて体が不自由になってベッドに寝たきりになっても、指一本動かせなくなったとしても、それでもなお、その人なりの良い働きをしつづけることができます。本当ですよ。

 さて皆さん。よ~く考えてみてください。2種類の働き方。「思い煩って、クヨクヨクヨクヨ心配しながら、ブツブツブツブツ文句を言いながら、自惚れたりひがんだり、他人を見下したり、『チェッ』とうらやんだり、嫌な気持ちで働く」より、「安心して、ワクワクしながら、感謝し喜びながら働く」ほうがいい。神さまに信頼し、神さまに願い求めて、『はい、分かりました。喜んでエ』と神さまに聴き従いながら働く」ほうが、千倍も万倍も素敵だということ。『まず 神の国と神の義を』と教えられているのは、そのことです。なにしろ神さまこそが、ちゃんと働いていてくださる。だから安心。だから嬉しい。「神さまに信頼し、神さまに願い求めて、『はい、分かりましたア』と神さまに聴き従いながら働けたら、あなたもきっと幸せになれます。だから、あなたもぜひそうしなさいね」と、主イエスから勧めていただいています。

◎とりなしの祈り

 イエス・キリストの父なる神さま。神さまの御心によくよく信頼を寄せ、素直に聴き従って生きる私たちになれますように。へりくだった、低くてやわらかい心と聞き分ける耳を、この私たちにもぜひ贈り与えてください。あなたに聴き従うより他人に聴き従ってしまう臆病さとズルさを、私たちから取り除いてください。自分の考えややり方に相手を無理矢理にも従わせようとするとき、その自分勝手さを、自分で恥ずかしく思えますように。
 なぜなら神さま。闇が世界を覆い、死の陰の土地に私たちは住んでいるからです。この国はわがままで無責任な、とても悪い国になろうとしています。自分たちさえよければ、力づくて他の人たちを押しのけていいと思い込もうとしています。70年前とそっくり同じです。政治家や資本家たちだけではなくて、お金持ちや電力会社だけではなく、ごく普通の大人たちも子供も私たちの多くが。とても恥かしいことです。困りました。ですからまず私たちこそが ただ自分自身と家族のことばかりではなく、隣人を心から愛し、尊ぶ者とならせてください。どうか今日こそ、自分を愛する以上に、その千倍も万倍も、神さまの御心をこそ尊ぶ者たちとならせてください。この上田教会や日本キリスト教会のことばかりではなく、ただ日本人のことばかりではなく、日本に暮らす出稼ぎの外国人労働者とその家族を大切に思わせてください。たとえ自分の家の子供でなくても、自分と同じ国の同じ民族の子供でなくたって、どの一人の子供も若者たちも、必要で十分な愛情と保護をたっぷりと受け、将来への希望と喜びをもって毎日を安心して暮らせるようにさせてください。彼らのためにも私たち自身のためにも、神さまの十分なご支配(=国)とその正しいお働きをこそ願い求め、あなたの慈しみの御心にこそ従って生きる私たちであらせてください。手を差し伸べて、心細く暮らす隣人たちを助け、支え、その1人1人の幸いな暮らしを願い求めて生きる私たちにならせてください。
主イエスのお名前によって祈ります。アーメン