◎こどものための短い説教 マタイ福音書5:13-16
『わたしたちは地の塩、世の光』 牧師 かねだせいじ
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。14
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。16
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
(マタイ福音書
5:13-16)
2:9「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。10
兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである。12
子たちよ。あなたがたにこれを書きおくるのは、御名のゆえに、あなたがたの多くの罪がゆるされたからである。
(ヨハネ手紙(1)2:9-12)
まず塩のことを話します。甘いものは好きですか? 大福餅とかしることか団子とか、食べたことがある? ふうん。じゃあ塩大福とか、塩しることか塩団子、塩まんじゅう。それじゃあ、塩大福餅は甘いか塩っぱいか? 塩っぱい? 皆さんは知らないでしょうけど、しるこやアンコを作ったり、あずきを炊くとき、少し塩を入れます。すると、どうしたわけか、かえって甘く美味しくなります。この間、ものすごくおいしい漬物を食べさせてもらったことがあります。なすびと、かぶと、瓜と菜っ葉の。おいしかった。お母さんかおばあちゃんが漬物をつけるところを見たことがありますか。漬物に塩をふりかけて重い大きな石を載せておきます。知らんぷりをして、放っておきます。しばらくすると、しんなり柔らかくなって、おいしい漬物になります。塩をかけるとおいしくなるだけでなく、その食べ物は、塩のおかげで腐らないで長持ちします。塩辛とか、塩魚とか。聖書は勧めます「いつも、塩で味付けられた、やさしい言葉を使いなさい」(コロサイ手紙4:6)。私たちは漬物のようです。聖書の言葉を自分の体にふりかけられて、頭の上に重い石を乗っけられて、しばら~くするとおいしい漬物になります。しんなり柔らかくなるし、ワガママ勝手で頑固なトゲトゲしいところがだんだんと少なくなっていって、やさしく親切な、思いやり深い人間にされていきます。
地の塩だし、世のための光だと言われています。それはなにしろ、救い主イエス・キリストこそが、この世界を照らす、明るく輝く光だからです(ヨハネ1:9,8:12,テサロニケ(1)5:5,イザヤ60:1)。主イエスから教えていただいて、主イエスに聴き従って生きているので、それで私たちも、主イエスの光を鏡のように反射して、その明るい光で自分自身や周りを明るく照らすようになります。これが神さまからの約束です。主イエスからの明るい光に照らされて、するとまず、自分自身がどうやって毎日毎日暮らしているか、何をしているのか、どんな態度で人と付き合っているかがよく分かるようになります。自分がしている良いことも、悪いことも。聖書はこう言っていました;「『光の中にいる』と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである」(ヨハネ手紙(1)2:9-11)。ああ、そうだったのか。強情を張って、わがまま勝手で頑固になっていたとき、神さまの光は私たちにあまり届いていませんでした。かえって、自分だけの薄暗い闇の中に小さ~くなって閉じこもっていました。心の中も、真っ暗でした。「私が私が」と強情を張るのを止めて、やさしい素直な心を取り戻したとき、親切な思いやり深い気持ちを取り戻したとき、やっと、神さまのもとに戻ってきていたのです。すると自分自身も、まわりの家族も友だち皆も、嬉しい気持ちになりました。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます
(使徒16:31)。