2015年8月11日火曜日

7/12 こども説教「網と船と父を」マタイ4:18-22

◎こどものための短い説教 
マタイふくいんしょ 4:18-22  
           『網と舟と父をおいて、
主イエスに従う』 牧師 かねだせいじ

 4:18 さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。20 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。21 そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、22 すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。              (マタイ福音書 4:18-22)

  先週やっと大人の説教が追いついたんですが、子供のための説教がまた駆け足になって、大人の説教を後に残して、どんどん進んでいきます。大人の説教はゆっくり進んでいきます)。

  救い主イエスは、洗礼を受け、荒野で悪魔から三つの誘惑を受け、そして12人の弟子たちを招きます。まず最初には、田舎の湖で魚をとって暮らす貧しい4人の漁師たち。シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ。シモンは「ペテロと呼ばれたシモン」と、わざわざ書いてあります。「ペテロ」はあだ名で、岩という意味です。岩のように堅くて重くてがっちりしていて、風が吹いても波がザブ~ンと打ち寄せてもびくともしないって意味です。ここには詳しく書いてありませんが、しかも主イエスご自身がシモンにこの「岩」というあだ名をつけてくださいました(ヨハネ1:42,マタイ16:18)。何があってもビクともしない、しっかりした堅くて頑丈な人間なんて、どこにも、ただの一人もいません。教会で、ちゃんとそういうふうに習い覚えてきました(ローマ手紙3:9-,創世記8:21-,テモテ手紙(1)1:15-)。そういうことをよくよく分かった上で、主イエスがシモンさんに「あなたを今日から岩と呼ぶ。堅くて重くてがっちりしていて、風が吹いても波がザブ~ンと打ち寄せてもびくともしないものに、この私が、あなたを、しっかりした堅い岩にならせてあげる」と約束なさったのです。ペテロだけじゃなく、クリスチャンは皆、岩にならせてえもらえます。どんなふうに岩のようになるのか、これからよくよく眺めていきましょう。
  主イエスはこの4人に、「私についてきなさい。あなたがたを人間を獲る漁師にしてあげよう」と招きました。今まで彼らは小舟で湖の中に漕ぎ出して網を打って、魚をつかまえていました。これからはこの広い世界の中に漕ぎ出していって、「神さまの網」を投げて、「人間たちを神さまの恵みの中へと捕まえ入れてあげる」、「神さまに仕える漁師」の仕事をさせるというのです。
  「すぐに従った」「すぐに従った」(20,22)と書いてありますね。聖書の中には、主イエスを信じる人たちが「すぐに従った」場合と、「かなりしばら~くして従った」場合と両方が書いてあります。私たちの場合も「すぐに従う」場合と、「かなりしばら~くして」という場合と両方があります。さて、弟子たちは網と舟と父を後において、手ぶらで、主イエスに従いました。どうしてだか分かりますか? 網も舟も父親も、とても頼りになるからです。網と舟があるので、困らずに食べて生活していくことができます。頼りになる父親がそばに付いていてくれるので安心して暮らしていけるし、困ったことやどうしていいか分からないことが起こると「お父さん、困りました。助けてください。どうしたらいいでしょうか」と相談したり、助けてもらうこともできます。それらは頼みの綱であり、支えであり、困ったときの心強い味方だったし、「これがあるから生きていける」という格別な安心材料でした。じゃあ網も舟も父親も後に残してきたら、どうしたらいいんでしょう。困ったとき、どうしていいか分からないとき、心細くて心配で、とてもとてもオッカナイとき そのとき、主イエスに従って生きていく私たちクリスチャンは、これからは誰に相談したり、誰に助けてもらえばいいでしょう。誰を支えにして、いったい誰の教えや指図に従って生きていけばいいでしょう?

(○○くん、どう思う? ……じゃあ、おかあさんに聞いてもいいし、ねえさんたちに聞いても、おしえてもらえるよ。うしろに座っているおじいさん、おばあさんたちの誰に聞いても、ちゃんと誰でも教えてくれる。だって、クリスチャンみんなが、よくよく分かっていることなんでね。本当のことですよ)