コラム
『LGBTQの人々と共に生きる』
金田聖治
私たちの教会の人権委員会には、部落差別、日本に住む外国人、アイヌ、性的少数者、沖縄の人権問題等、いくつかの活動が委ねられています。緊急に取り組むべき重要課題の1つとして、LGBTQの事柄があります。レズビアン、ゲイ、また出生時の性別判定とその後の自己認識とが一致しないなどの性的少数者の人々は、今日まで病気や障害を負う人々とみなされ、そのために差別や排除が生まれ、該当者の人権が不当に侵害され続けてきました。社会からもキリスト教会からも彼らは排除され、孤立しています。十数名に一人という高い割合で該当者がいますが、「私たちの周囲にはそういう人々はいない」と多くの人々は思い込んでいます。いないのではなく、彼らは恐れて隠れています。あるいは共同体の中から排除されて、さまよっています。しかも、このことについてこの日本の社会と私たちキリスト教会にははなはだしい罪があります。いいえ、この私自身にはなはだしい罪があります。情けなくて、申し訳なくて、涙が出ます。そうさせつづけ、ただ黙認し、また助長してきたからです。「病気、障害、罪」であるという判断も含めて、キリスト教会の中にも多種多様な信仰的な理解や判断があり、その違いを乗り越えてゆくには大きな困難があります。それでもなお彼らと和解し、神との和解へと共々に向かう私たちでありたいと心から願います。なぜなら救い主イエスは、「健康な人に医者はいらない」(ルカ5:31)とおっしゃったからです。もし自分たちは健全で正しい人間であると自認してふるまうなら、この私たち自身こそが高慢なパリサイ人の病いに陥るでしょう。例外なく誰もが重い病いを患う病人であり、良い医者である神のもとへと招かれています。もし、「自分には罪がない。とても健全で、善良だ」というなら、自分を欺き、神ご自身を偽り者とすることになります。「病人を招き、罪人を救うために来られた救い主イエス」と自分たちはなんの関係もないと、神に背を向けて、神ご自身からもその救いからもますます離れ去ってしまうことになります。これこそあまりに危うい崖っぷちであり、信仰の特A級の危機です。もし、この崖から転げ落ちてしまえば、神ナシの、あまりに惨めで虚しい人生に逆戻りです。うわおっ。今にも死にかけているはなはだしく重篤な病人であり、最低最悪の罪人同士である私たちこそは、ですから! 今日こそ心底から悔い改めて、御子イエスの血によるゆるしによって教会の在り方が清められることを共々に願い求めます。性的少数者の人々の隣人であろうとし、共々に神との和解にあずかる光栄ある使命をキリスト教会は託されています。
身勝手で不寛容な空気が世界中を覆っています。日本に住む外国人に対するヘイト・スピーチ、ヘイト・クライム(=他者を憎悪する犯罪行為)の諸行動もなお野放しです。外国人技能実習生、職業訓練性という美しい名目のもとで、国家ぐるみの搾取がなされつづけます。しかも私たちが取り組んでいる事柄は人権諸問題などではなく、いつもいつも神の主権についての一つの課題でありつづけます。神の主権的恵みのもとに、私たちは自由です。何をしているのか、どこにどう足を踏みしめて立っているのかと必死に問い続けねばなりません。
戦況は悪化の一途をたどっています。もし兄弟たちの多くが「それよりも伝道や牧会を」「それで教会が賑わって勢力を拡大してゆけるのならいいけれど」などと自分の腹の思いばかりを先立てつづけるならば、私たちは信仰の大きな危機と災いを放置することになります。ふたたび来てくださる救い主を共々に待ち望んでいます。キリストはすべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるからです。この望みを、私たちも堅く信じているからです。
(「部落問題に取り組むキリスト教連帯会議」のための活動報告 2019,4,26)