4/14 こども説教 使徒行伝7:39-43
『金の子牛事件』
~ステパノからの証言⑥~
7:39 ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、40 『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。41 そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。42 そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。・・・・・・43 『あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。(使徒行伝7:39-43)
とても悪い恥ずかしいことですが、本当のことをお知らせします。39節、「ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け」。間違って聞こえやすいところですが、神の民イスラエルは「モーセに従わず、モーセを退けた」のではありません。むしろ、いつもいつも、「神に従わず、神さまを退けつづけ」ました。しかもついつい人間に過ぎない目の前の指導者に信頼を寄せすぎて、神に従う代わりにその人に従い、神に信頼する代わりに、生身の人間にすぎない指導者にばかり信頼を寄せつづけてしまいました。いつの間にか彼らの心はとても鈍くなって、まるで目の前にいる人間の指導者と神が一つであるかのように勘違いしてしまいました。ここでの証言は、出エジプト記32章をごく簡単にまとめたものです。神からの十の戒めをいただくために、モーセはシナイ山に登ってずいぶん長い間、40日40夜、留守にしました。頼りにしていたモーセ大先生はもう帰ってこないかも知れない、と心細くなりました。そういうとき、どうしましょうか? 「じゃあ、新しい指導者を選ぼう」。それならOK。でも、そうではなく、「新しい神々を自分たちの手で造っちゃおう」、それは全然ダメです。彼らの鈍くなった目には、モーセと神は一つに見えていました。「モーセがいなくなっただけじゃなく、モーセと一緒に神さまもいなくなった。それじゃあ、仕方がないから自分たちの好みに合う都合の良い神を作ろう。かわいい子供の牛みたいな神がいいなあ。神に聞き従うんじゃなくて、私たちに神を従わせて、思い通りに暮らしていこう」。かわいい子供の牛の神を自分たちで造って、好き放題に楽しむドンチャン騒ぎをしはじめました。もちろん神さまは、とてもとても怒りました。そんなとても悪い恥ずかしいことがその後も何度も何度も繰り返されつづけた(アモス書5:25-27,サムエル記上8:4-8)と聖書は報告します。ですから、おさらいをしておきましょう。拝んでいいのは神さまだけ。よくよく信頼して聞き従って良い相手は目の前にいる人間の指導者ではなく、ただ神さまだけです。