4/21 こども説教 使徒行伝7:44-50
『人が造った神殿ではなくて』
~ステパノからの証言⑦~
7:44 わたしたちの先祖には、荒野 にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。45 この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。46 ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。47 けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、49 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
(使徒行伝7:44-50)
主イエスの弟子ステパノの証言がつづいています。
神さまといっしょに歩んできた長い歴史が振り返られつづけます。荒野を旅していた40年の間、組立式のテントを担いで彼らは旅をつづけました。組立式の移動式の、粗末なテント仕立ての神殿。それが、そのときの神殿です。やがて立派な神殿がソロモンのときに建てられました。けれど勘違いしないようにと、その時もよくよく釘を刺されていました。48-50節、「しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。これは皆わたしの手が造ったものではないか』」(列王記上8:27-53参照)。たとえそれがどんなに立派に見えようとも、たかだか人間の手で造った神殿などに神は住むはずがない。いいですね。やがて時が来て、救い主イエスは「人間の手で造った神殿を打ち壊し、神ご自身の神殿を三日で造る」と。十字架の上で殺され、その三日目に死人の中からよみがえった救い主イエスを土台として、まったく新しい神殿が建てられました。例えばこの上田の礼拝堂も、人間の手で造った神殿ではなく! もちろん救い主の死と復活を土台として神ご自身によって造られた神の神殿の一つです。電気工事をする職人さんや、ペンキ屋さん、大工さんたちでこの家を造ったと思っていたでしょう? いいえ、そうじゃないんですよ。神さまが、ご自分の手で、建ててくださいました。ビックリですね。それだけでなく、神さまは、ご自身を信じる一人一人の体をご自身の神殿として、その体の中に住んでくださると約束なさいました。主イエスを信じる私たち一人一人が、今や、神の新しい神殿とされています(ヨハネ福音書2:19,コリント手紙(1)3:16-17,同6:19-20)。「この自分の体の中に神が住んで、そこで生きて働いておられる」と私たちはよくよく分かっていましょう。驚くべきことです。