6/26 こども説教 ピリピ手紙 2:1-5
『キリストの思いを』
2:1
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、2 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。4 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。5 キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。(ピリピ手紙
2:1-5)
【こども説教】
とても大切な事柄が最初に並べられています。「キリストによる勧め。愛の励まし。御霊の交わり。神が私たちを激しく愛してくださっていること、神のあわれみ」。これらが、神による平和と恵みが私たちの中で実現していくための土台です。それが、「もし、いくらかでもあるなら」と、わざわざ語りかけられています。ほんの少しでもあるなら、神の平和と恵みは必ず実現していく。もし、なかなかそうならないとするなら、それはどうしたことでしょう。と、私たちは問いかけられています。自分の胸に手を当てて、よくよく考えてみなければなりません。
1人いれば1つの思い。2人いれば2つの思い。20人いれば、20個のそれぞれバラバラな思いがそこにあります。すると、その人たちが1つの思いや1つの心になるとすれば、自分の思いや、誰彼の思いなどではなく、それを投げ捨てて、ただただ救い主イエス・キリストの思いになるほかありません。3-5節、「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい」。互に人を自分よりすぐれた者としなさい、と命じられます。誰か、優れているように思える何人かを、ではなく、互いに相手を自分よりも優れた者として扱いなさい。つまり、どこの誰に対しても、思い上がって、自惚れてはいけないと注意されています。私たち人間には、とても難しいことです。この難しいことを何とかして分かってもらうために、伝道者は、とうとう十字架について死んでいかれた救い主イエスのことを語りはじめます。キリスト教信仰の中身として最も大切なことが、いよいよ次の6節~11節までで説き明かされます。この救い主イエスを信じて、イエスに従って生きていこうとするなら、イエスと同じようになり、なんとしてでも十字架についたイエスの心と行いとを思い起こそうじゃないかと。そうでなければ、他にはどんな平和も憐みもあるはずがないと。
【大人のための留意点】
自分はこんなに多く愛しているのに、という傲慢な心があると失敗します。自分は、人より大きな愛をもっていると自惚れるほど危険なことはありません。それはあのパリサイ人みたいに、鼻もちならない自惚れになってしまうからです。自分が偉いと思ったら、もう愛はいつのまにやら、どこかへ行ってしまうか分かりません。ですからパウロは、「同じ愛を持ちなさい」と勧めます。愛している人は、とかく、自分のほうがよけいに愛している、いっぱい愛していると思うため、いばったり自惚れたりして、かえって愛の心にヒビが入ってしまいます。……「へりくだった心」には、さらにもっと「人を自分より優れたものと考える」ことが大切になってきます。また、「ただ自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えてみる」ことが、ほんとうの謙遜、へりくだった心なのです。イエスさまは、この世に来て、ただ小さくなっておられたのではなく、いつも神さまと隣り人に喜ばれるように、人のことを考え、そのため十字架におかかりになったのです(『喜びの手紙 ~ピリピ人への手紙による信仰入門~』蓮見和男、新教出版社 1979年,該当箇所)。