8/30 こども説教 使徒行伝19:21-22
19:21 これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした。そして言った、「わたしは、そこに行ったのち、ぜひローマをも見なければならない」。22 そこで、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストとのふたりを、まずマケドニヤに送り出し、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまった。 (使徒行伝19:21-22)
21節、「これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした。そして言った、『わたしは、そこに行ったのち、ぜひローマをも見なければならない』」。御霊に感じてとは、「聖霊なる神さまに教えられ、命じられて」という意味です。ほんの少し前に、「あなたがたが洗礼を受けたとき、聖霊を受けたのか」(使徒19:2)と質問していました。聖霊なる神さまが授けられて、信じる者たちの体の中に宿り、そこで生きて働いてくださる。すべきこと、してはいけないことを一つ一つ、その聖霊なる神さまが教え、「しなさい。してはいけない」と命令してくださる(ローマ手紙8:1-13参照)。クリスチャンは神を自分自身のご主人さまとして生きるのだと、繰り返し教えられつづけてきました。それはこのことです。「自分がしたいことをし、したくないことはしない」などという自分中心の古い生き方を捨て去って、神にこそ従って生きる新しい生活が始まっています。私たちもそうです。だから、私たちはクリスチャンです。パウロも私たち全員も、自分の考えや計画によってではなく、神に教えられ、命令されて出かけてゆきます。だからこそ、その旅の行く手には格別な希望と喜びが待ち構えています。