7/28 こども説教 使徒行伝9:36-43
『婦人を生き返らせる』
9:36 ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。38 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。39 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。40 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。41 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。42 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。43 ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。 (使徒行伝9:36-43)
救い主イエスご自身が何人かの死んでいた人たちを生き返らせてあげました。マルタとマリアの弟ラザロ、会堂長の娘、ちょうど今日この後に読むナインという町の未亡人の一人息子など。主イエスの弟子たちもおなじように死んでいた人たちを生き返らせました。この婦人は、ほかにも何人か。それよりなにより、救い主イエスご自身が十字架の上で殺され、墓に葬られ、その三日目に墓から生き返らされ、今も生きて働いておられます。それらは、復活の主イエスに率いられて、やがてこの私たち自身も死んだあと、生き返らされることのしるしです。この世界の多くの人たちは、「しばらく生きて、やがて死んで、死んだらそれでおしまいだ」と教えられ、そのように考えています。けれど聖書の神を信じる私たちは、そうではなく、「死んでそれでおしまいではなく、その後に、神さまと共に生きる新しい生命がつづく」と教えられ、習い覚えて、そのように信じています。このことを、よく覚えておかなければなりません。やがて世界の祝福が成し遂げられる終わりの日が来て、救い主イエスによる審きをへて、主イエスを信じる者たちは、神の国に迎え入れられ、いつまでも生きることになります。それが神からの約束だからです。それなら、つかの間に過ぎてしまうとても短い人生を、私たちはどんな風に生きて、やがて、どんなふうに幸いに死んでいくことができるでしょうか?