7/21 使徒行伝9:32-35
『主イエスの名によって』
9:32 ペテロは方々をめぐり歩い たが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。33 そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。34 ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。35 ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。 (使徒行伝9:32-35)
さて、8年間も寝たきりだった体の不自由な人がいました。34節、「ペテロが彼に言った、『アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい』。すると、彼はただちに起きあがった」。よく似た同じことが繰り返されつづけています。まず救い主イエスご自身が体の不自由な一人の人を立ち上がらせました。「起きて、床を担いで帰りなさい」と。また弟子たちも、神殿の境内の入り口で、体の不自由な一人の人を立ち上がらせました。「わたしたちを見なさい。金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」(ルカ福音書5:18-,使徒3:4-6)と。あの弟子たちも私たちも、主イエスによって起き上がらせてもらいました。同じように、ほかの人たちにも語りかけます。「わたしたちを見なさい。金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。それを聞いて、信じて起き上がり、イエスを信じる信仰によって歩きはじめる人たちが一人また一人と生み出されていきます。その人たちはとても幸いです。
【補足/すべての信頼を神におくこと】(*注)
「神さまを信じて、その力やお働きにすっかり信頼を寄せて生きはじめる」ことだと説明しました。そのためには、信頼を寄せるに足る相手であると神を知る必要があります。あるいは、神と付き合って、神がどんなかたであるのかを知ってゆく中で、だんだんとその信頼が十分なものに育ってゆくとも言えます。500年も前の古い信仰問答は「神を敬う正しい在り方はどういうものか」と問いかけ、こう答えています。「全信頼を神に置くこと。その御意思に服従して、神に仕えまつること。どんな困窮の中でも神に呼ばわって、救いとすべての幸いを神の中に求めること。そして、すべての幸いはただ神から出ることを心でも口でも認めることです」(『ジュネーブ信仰問答』問答7 1542年)と。