2019年7月7日日曜日

7/7こども説教「サウロ、助けられる」使徒9:23-25


 7/7 こども説教 使徒行伝9:23-25
 『サウロ、助けられる』

9:23 相当の日数がたったころ、 ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。24 ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。25 そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。
(使徒行伝9:23-25

 ユダヤ人たちが彼を殺そうとしたのは、彼がクリスチャンで、神さまのために働く人だったからです。それは彼らにとってとても都合が悪かったので、相談して、準備をして、彼を殺そうとしました。仲間たちが彼を助けて、殺されないように逃がしてくれたのもやはり、彼がクリスチャンで、神さまのために働く人だったからです。そして、神さまのためにしなければならない仕事がまだたくさん残っていました。仲間たちを用いて、実は、神ご自身が彼を逃がしてくださいました。神さまを信じて生きていて、良いこともあれば、苦しいことや嫌なこともあります。殺されそうになったり、助け出されたり、牢獄に閉じ込められたり、そこから助け出されたり、また牢獄に閉じ込められたり。それらすべては、父なる神さまの慈しみ深い御心の中で取り扱われます。「天の御父の御心なしには髪の毛一本もむなしく地に落ちることはない」(「ハイデルベルグ信仰問答」第1問答,1563年)と約束されています。あの彼もそうでした。私たちもそうです。
 すると、クリスチャンの父さん母さんに、子供たちが真剣な顔で質問します。
「本当ですか? でも、お父さんの髪の毛はもうたくさん地面に落ちて、ずいぶんハゲてしまって、残り少なくなっていますね。お母さんもこのごろ白髪が増えて、顔にシワも増えましたね。それはどういうことでしょう。それも、やっぱり神さまの御心どおりなんですか?」「そうだヨオ。本当にその通りで、神さまにありがとうって感謝をしていますよ」とお父さんやお母さんがニッコリして、嬉しそうに答えてくれるかも知れません。もしそうならば、その父さん母さんと子供たちはなんと幸いな家族でしょう。

  ★★★【補足/幸いな人生への招き】
    生きていれば誰でも、嬉しいことも嫌なこともある。喜びもあり、はなはだしい悲しみや痛手や、苦しみや悩みもある。それでもなお、神のもとに揺るぎない確かな幸いが用意されています。なぜなら神は正しいお方であるだけでなく、慈しみ深い、まったくの善意のおかただからです。もし、その神に十分に信頼を寄せつづけ、聞き従い、願い求めて生きることができるなら、私たちは幸いに生きて死ぬことができます。500年も前の古い信仰問答は「神を敬う、正しい在り方はどういうものですか」と問い、こう答えています、「全信頼を神におくことです。その御意思に服従して、神に仕えまつること。どんな困窮の中でも神に呼ばわって、救いとすべての幸いを神の中に求めること。そして、すべての幸いはただ神から出ることを、心でも口でも認めることです」(『ジュネーブ信仰問答, 問答7』J.カルヴァン,1545年)。