10/30 こども説教 ルカ8:22-25
『風も水も主イエスに従う』
+上田駅前アピール 『一億まるごと大安売り社会』(10/28)
8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。23
渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。25
イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。(ルカ福音書 8:22-25)
主イエスと弟子たちはほんの小さな舟に乗って、「向こう岸へ。向こう岸へ」と何度もガリラヤ湖を渡りました。向こう岸には主イエスを待ち望む人々がいたからですし、ほんの小さな舟に乗って湖を渡ることこそがよい勉強になり、主イエスの弟子として日々を生きてゆくことの訓練となったからです。湖を渡ってゆく間に、主イエスはグーグーいびきをかいて眠ってしまいました。すると突風がビュービューと湖に吹き降ろしてきました。バシャアアン、バシャアアンと大きな波が打ち寄せ、なにしろほんの小さな舟でしたから波をかぶってたちまち沈みそうになりました。そこで弟子たちは大慌てで主イエスを起こしました。「先生、先生、わたしたちは死にそうです」(24節)。主イエスは起き上がって、風と荒波とを叱りつけました。「静かにしなさい」。すると吹き荒れていた波も風も、しーんと静かになりました。主イエスは彼らに言いました。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」。弟子たちは目をまん丸にして恐れ驚いて、互いに言い合いました。「いったい、このかたは誰だろう? お命じになると、風も波も従うとは」。
キリストの教会と一人一人のクリスチャンは、昔も今も変わらず! ちょうどこの小舟の中の弟子たちそのままです。大事なことを主イエスから教わったので、それをぜひよくよく覚えておくために、例えばこの教会でも、礼拝堂の正面の壁を『舟の形』に造っています。見るたびに、「ああ。あのとき、ああいうことがあった」と思い出すためにです。上田教会でも、またそれぞれの毎日の暮らしの中でも、突風がいきなりビュービューと吹き降ろしてきます。バシャアアン、バシャアアンと大きな波が打ち寄せます。なにしろほんの小さな舟に乗っているのですから、波をかぶってたちまち沈みそうになります。じゃあ、そのとき、私たちはどうしましょう。大慌てで主イエスのところに駆け戻り、必死にしがみついて、「先生、先生、わたしたちは死にそうです。助けてくださ~い」と叫ぶのです。主イエスは起き上がって、風と荒波とを叱りつけ、ザブザブ、バシャバシャと大騒ぎになっている私たちの魂をさえ叱りつけてくださるでしょう。「静かにしなさい」。すると、そこでようやく波も風も、私たちの心も、しーんと静かにしていただけるでしょう。遠い昔、預言者は言いました。「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザヤ書30:15)と。アタフタオロオロする日々に、「わたしの信仰はどこにあるだろう?」と胸に手を当てて考えてみましょう。あのとき、弟子たちは案外ちゃんとしていましたよ。初めにアタフタしかけて、けれども主イエスがいっしょにいてくださると思い出しました。それで大慌てで主イエスのところに駆け戻って、主イエスにしがみつきました。本気で、必死になって、助けを主イエスにこそ求めました。「あなたがたの信仰はどこにあるか」。ありましたよ! 彼らの信仰は、ちゃんとそこにあったじゃないですか。主イエスのところに。やったあ。上出来です。波も風も主イエスに従う。もちろん、この私たちもそうです。
上田駅前アピール(10/28)
『一億まるごと大安売り社会』
大手町1丁目の日本キリスト教会上田教会の牧師、金田です。
一ヶ月ほど前、9月26日に、安倍晋三内閣総理大臣の所信表明演説の模様が、テレビ各局で放送されました。「今この瞬間も、自衛隊の諸君が任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」。と、ここで自民党議員は全員起立して拍手大喝采をしました。彼らが極度の緊張に耐えている理由は、間近に迫っている南スーダンでの自分たちの戦闘行為です。11月にも青森駐屯地から陸上自衛隊の派遣が計画されており、実践的な訓練が始められます。きびしい戦闘の最前線に送り出されようとする当人たちは、恐ろしくて恐ろしくてたまらないでしょう。安倍晋三首相は、「日本は、国際社会の期待に応えなければならない。我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げる」。その強い決意とは、自衛隊員たちに鉄砲と武器と弾薬を山ほど背負わせて、わが国の領土を守るだけではなく、危ない紛争地域のどこへでも送り出して、殺し合いをさせることです。ご存知ですか? 南スーダンでは政府軍も反政府の軍隊もどちらも、大勢の少年少女たちを駆り出して無理やり兵隊に仕立て上げています。その小さな子供たちと、私たちの自衛隊員は銃を向け合って殺したり殺されたりし合うことになります。なんと恐ろしいことでしょう(*1)。「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」という首相の言葉に促されて、自民党議員が全員起立して拍手大喝采。この異様な光景を見て、野党議員の一人が「この国の姿とは思えない。まるで、どっかの国とそっくりだ」「どっかの国ってどの国のこと?」。海の向こうにも似た国がありますが、それより何より、71年前のわが国の戦時体制下とそっくり瓜二つです。驚きました。71年前の戦争中の、『兵隊さんよありがとう』(作詞、橋本善三郎。作曲、佐々木すぐる)の歌のようです。「兵隊さんよ、ありがとう」を、じゃあ今度は、『自衛隊員さんよ、ありがとう』と言葉を替えて、私たちは声高らかに歌うんでしょうか。肩を並べて兄さんと今日も学校へ行けるのも、夕べ楽しい御飯どき家内そろって語るのも、お国のために戦った、お国のために傷ついた、お国のために戦死した自衛隊員さんたちのおかげです。ええ、嘘っ八じゃないですか。南スーダンの人々も、危ないからと次々と撤退しつづけているヨソの国々の軍隊も、みんな『日本の自衛隊員さんたちのおかげです』と全員起立して拍手大喝采するんでしょうか。違いますよオ! その虚しいだけの人殺し行為は南スーダンのためではなく、その住民たちの平和と安全を守るためでもなく、日本のためでもなく、世界平和のためでもありません。ただアメリカさんとお金持ちと戦争で儲ける死の商売人の方々が大儲けをするためだけに利用されるんですから。71年前、そっくり同じ嘘っぱちの戦争に無理やり担ぎ出されて、一人の兵隊は「ああ騙されていた」と気がつきました。「お前らの命は一銭五厘の、召集令状のハガキ一枚の値打ちしなかい」と怒鳴りつけられたからです(*2)。「お前らの代わりはいくらでもいるんだ」とあざけり笑われたことを一人の兵隊は覚えています。「代わりはいくらでもいる」とあざけった伍長だか一等兵殿だかも、やっぱりせいぜい一銭六厘だか七厘程度です。安いなあ、大安売りだなあ人間の生命が。安売りされて、犬死に・無駄死にさせられて、ゴミ屑のようにドブに捨てられるのか。ゴミ屑扱いされながら、靖国神社に祀られて「お国を守って死んでくれてありがとう」と神様扱いもされるんですか。ずいぶん虫のいい話だ、とんだイカサマだ嘘っ八だ。あのときの彼らも、今の僕らも。上等兵殿~オ! 正社員も部長も課長も係長も皆、せいぜい一銭六厘だか七厘程度らしいです、人間を粗末に扱うこの粗末な国では。あんたも! 同じく一銭六厘だか七厘程度で安売りされて、ゴミ屑のようにドブに捨てられるんですヨオ。一億総活躍社会とは、このことです。その正体は、一億まるごと大安売り社会です。安全でもなく安心でもなく、とても危ない原子力発電所を次々と再稼働しつづけることも、原発事故が少しも収束していないのに安全安全と言い張るのも、同じです。誰も責任を負おうとしない。他人事で関係ないやと知らんぷりしている私たちも。福島や鹿児島や愛媛や静岡の住民たちが泣き寝入りしてくれているおかげなんですか。「本当はおっかない。恐ろしくて恐ろしくて夜も眠れない」と震えながら我慢してくれているおかげなんですね。一億総活躍。本当は、一億まるごと大安売り社会です。極度の緊張に耐えて踏みつけにされているその彼らに対し、私たち日本国民は全員起立して、バンザ~イと敬意を表して、拍手大喝采するんですか。いいえ、二度と騙されてはいけません。二度と、悪事の片棒を担がされてはなりません。しかも、あまりに無責任です。もし黙って見過ごすなら、犬死させられようとしている自衛隊員たちとその家族に対して、ないがしろにされつづける沖縄住民に対しても、福島、愛媛、鹿児島、静岡、新潟、北海道各地のとても危ない原発施設の地元で暮らす爺ちゃん婆ちゃん、中学生小学生、子供たちに対しても、この私たち全員はお詫びのしようもありません。
♪自衛隊員たちを犬死させるな! 自衛隊員と家族を泣かせるな! 戦争法制、絶対反対! 駆けつけ人殺し、絶対反対! 反対反対、絶対反対! 反対反対、絶対反対! 戦争法制、絶対反対!
【参照/子ども兵の現実】(*1)
(インターネット)ヒューマンライツウォッチ・国際人権NGO『南スーダン:子ども兵士の恐るべき日常』(2015年12月18日)。何千人もの子どもが、政府軍および反政府勢力の指揮下で南スーダン内戦の戦闘に参加している。報告書「『僕たちも死ぬんだ』:南スーダンにおける子ども兵の徴募と動員」(全65ページ)は、子ども兵を動員している政府軍「南スーダン人民解放軍(SPLA)」、そして反政府勢力「反政府南スーダン人民解放軍 (SPLA-in-Opposition)」及びその同盟勢力の指揮官・幹部総勢15人以上の氏名を挙げている。本報告書は、強制徴募された子ども兵と、家族やコミュニティをまもるために志願した子ども兵の合計101人に行った聞き取り調査を基にしている。子どもたちは、家族から遠く離れ、何カ月も十分な食べものを与えられなかったことや、恐ろしい銃撃戦に参加させられて負傷したり、友人が目の前で殺された経験などを証言。また、学校に通うべき時期を無駄にしてしまったことへのくやしさの念を語っている。国連児童基金(UNICEF)の推定によれば、この内戦で約1万5,000人~1万6,000人の子どもが軍や武装組織に兵士として動員されている。南スーダン内戦は2013年12月、キール大統領及び現在では反政府勢力を率いているマシャール前副大統領に、それぞれ忠誠を誓う兵士たちが首都ジュバで衝突したことがきっかけで勃発した。戦闘が拡大するにつれ、両陣営とも一般市民を標的にするようになり、しばしば民族を理由にした凄惨な殺りくが発生。220万人あまりが避難民化しており、その大半は焼き討ちや略奪にあった町や村の住民だ。
他に、(インターネット検索)『ニューズ・ウィーク日本版』;国連部隊は住民を守れ(2016,10,13)/住民に催涙弾、敵前逃亡、レイプ傍観――国連部隊の失態相次ぐ南スーダン(16,8,30)/邦人も避難へ、緊迫の南スーダン情勢と国連PKO(16,7,11)。
(*2)「一銭五厘」;「そのころ葉書は一銭五厘だった。兵隊は一銭五厘の葉書でいくらでも召集できるという意味だった。貴様らの代わりは一銭五厘でくるぞとどなられながら、一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた。へとへとになって眠った。一銭五厘は死んだ。一銭五厘はけがをした。片わになった。一銭五厘をべつの名で言ってみようか。〈庶民〉、ぼくらだ、君らだ」(『灯をともす言葉』花森安治,p172)