8/7 こども説教 ルカ6:27-36
『悪者の私たちにも、
神はなさけ深くしてくださった』
6:27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。28
のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。・・・・・・36
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。 (ルカ福音書
6:27-36)
まず27-31節を読んで、胸に手を当てて自分自身のいつもの暮らしぶりを思い出しながら、よくよく考えてみましょう。「こうしなさい」と私たちは、神さまからここまで要求されています。どうですか。正直に答えてください。(挙手させる)『だいたいこれくらいはやっている』という人は? 『いや。ぜんぜん、およびもつかない』という人は? ――良かった。みなさん、わりと正直ですね。命じられている神からの律法を、命じられているとおりに守る必要があるのに、ちっともできていない私である! そのことに、ちゃんと、よくよく気づいていることがとても大事です(*)。そうでないと、「あの人はどうだ。この人はこうだ」と軽々しく、また偉そうに人を決めつけて裁く人間になってしまうからです。さらにつづけて、32-34節を見てください。「自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれたり、親切にしてくれる者には同じくらいはよくしてあげ、親切にもしてあげる。返してもらうつもりでお金や物を貸してやる。それはごく普通のことで、悪者たちでさえ仲間内ではそれくらいのことを互いにしあっているが、良いことをしているなどと威張れる筋合いではない」。その通りです。それくらいの私たちですし、ここまでていねいに説明してもらうと、ようやく、自惚れて思い上がっていた心が鎮められます。偉そうな顔をして、ご立派そうに人に物を言える私たちではない。特にクリスチャンはついついそうなりやすいので、この27-34節までをよく覚えて、気をつけて暮らしていましょう。
さて、27-31節と35節。人間には、誰にもできませんでした。ただ神さまだけが、私たちとても悪い人間たちをその悪さから救い出して神の子としてくださるために、これをしてくださったのです。救い主イエス・キリストのことです。神の敵だった、悪者だった私たちを神さまが愛してくださったし、その私たちに、神さまが何も当てにしないで貸してくださった。神である救い主イエスの生命をです。ローマ手紙5:6-11はこう証言しています。だいたい、こういうことです、「救い主イエスが私たちを救うために十字架の上で死んでくださった。そのように私たちへの愛を差し出してくださった。それは、わたしたちがまだ弱くて、神さまを信じようとしてもなかなか信じきれないときだったし、ものすごく悪者だったときだし、神さまに逆らって神の敵になっていたときだった。だから主イエスによって、私たちは神さまのなさけ深さを大喜びに喜んでいる」と。そして36 節。「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ」と命じられています。わざわざ命令されなくたって、なさけ深く親切にしていただいた私たちは誰でも、必ずきっと、そういう人になっていきます。ものすごく悪者だった私たちを神さまが愛して、情け深くしてくださった。そのことが分かった人は誰でも、すごく嬉しくて、その嬉しさのあまりに! 同じくなさけ深い人へとだんだんと新しく造り替えられていきます。びっくりです。この自分がだんだんと、ますます、なさけ深い人間にされてゆくところを思い浮かべてみてください。わおっ! とても楽しみですね。
【補足説明】
(*)罪人を救うために世に来た救い主であり、その救い主イエスによる『罪からの救い』を必要とする罪人の私たちである。これこそが、救いの道理の最重要ポイントです(ローマ手紙 3:21-28,「(イエスは)おのれの民を罪から救う者となる」マタイ福音書1:21,「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来てくださった」テモテ手紙(1)1:15,「もし自分に罪がないというなら、罪を犯したこともないと言うなら神を偽り者とすることであり、神の言はわたしたちのうちにない」ヨハネ手紙(1)1:8-10)。自分自身の罪深さと悲惨さを知ることが、救われるための第一歩となります。自分自身によっても他の何者によってもこの罪深さから逃れようもないと痛感させられ、罪のゆるしと憐れみを求めて救い主イエスへと向かい、このお独りの方からのゆるしと祝福にあずかって生きること。そのように、一人のクリスチャンが誕生します。