3/7 こども説教 使徒行伝24:1-9
『敵対者たちの訴え』
24:1 五日の後、大祭司アナニヤは、長老数名と、テルトロという弁護人とを連れて下り、総督にパウロを訴え出た。2 パウロが呼び出されたので、テルトロは論告を始めた。「ペリクス閣下、わたしたちが、閣下のお陰でじゅうぶんに平和を楽しみ、またこの国が、ご配慮によって、3 あらゆる方面に、またいたるところで改善されていることは、わたしたちの感謝してやまないところであります。4 しかし、ご迷惑をかけないように、くどくどと述べずに、手短かに申し上げますから、どうぞ、忍んでお聞き取りのほど、お願いいたします。5 さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。6 この者が宮までも汚そうとしていたので、わたしたちは彼を捕縛したのです。……それで、閣下ご自身でお調べになれば、わたしたちが彼を訴え出た理由が、全部おわかりになるでしょう」。9 ユダヤ人たちも、この訴えに同調して、全くそのとおりだと言った。 (使徒行伝24:1-9)
そのころ、ユダヤの国は他の国に支配される植民地でした。支配していた強く大きな国はローマ帝国です。ユダヤの国を植民地として治める役人(=総督)の前で、取り調べが始まりました。敵対者たちが、主イエスを信じるパウロを訴えはじめます。5-6節、「さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。この者が宮までも汚そうとしていたので、わたしたちは彼を捕縛したのです」。パウロについて4つのことが訴えられました。①パウロは疫病のような男だ。②世界中のユダヤ人たちの間で騒ぎを起こしている。③ナザレ人たちの異端のかしらだ。④神の神殿までも汚そうとしている。それらは、ほとんど中身のないただの悪口です。ただ、「ナザレ人たちの異端のかしらだ」ということには、意味があります。「異端」とは、本当の信仰から道を踏み外してしまった、悪い間違った教えという意味です。ユダヤ人たちから見れば、キリスト教の教えは「異端であるかのように」見えました。自分たちと違う考え方や教えを、あまり軽々しく悪いもののように決めつけてはいけません。訴えている彼らとは違うただ1つのことを、パウロと私たちクリスチャンたちは信じています。イエス・キリストを救い主であり、神ご自身であると信じていることです。「死んで復活なさった救い主イエスによる以外に救いは無い。イエスを信じる者たちは罪をゆるされて救われる」(使徒4:10-12,ヨハネ3:16)。これがキリスト教信仰のいのちであり、神を信じる信仰の中身です。