4/9 こども説教 ルカ11:5-8
『しきりに願うなら』
11:5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。6
友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。8
しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。 (ルカ福音書 11:5-8)
どんな神さまなのかをぜひ知りたいと願って、それで、ここに座っておられるんですね。それなら、よく聞いて下さい。「パンを三つ貸してください。すみません、お願いしま~す」としきりに願っている人のようになりなさい、と神さまは勧めておられます。子供たちといっしょに布団に入っていて、「面倒をかけないでくれ。ダメですよ」と断ろうとして、けれど、やがて必要なものを分けてくれる友だち。これは神さまのことです。けれども! よく分かっていてもらいたいのは、『しきりに、必死にしつこく願いつづけて、それで良いものを与えてもらう』場合と、『そうではなかったのに、けれど良いものを与えてもらえた』場合と、両方があるということ(*)。「いつもいつもしきりに、必死にしつこく願うなら、良いものをあげる。そうではないなら、あげない」という神さまではありません。その証拠に、来週は(ルカ11:9-13)、まったく違うことをお話しますよ。
それでも、しきりに、必死にしつこく願いつづけることの大切さもあります。「パンを三つ貸してください。すみません、お願いしま~す」としきりに願っているこの人は、とても大切なことを2つ知っています。1つは、夜遅くに泊まりに来てくれた友だちが自分にとって本当に大切な友だちで、疲れ果ててお腹も空かせているこの人のためなら、なんとかして、なんとしてでもパンを手に入れてあげよう。そうしなくちゃ、と分かっていること。もう1つは、パンを分けてもらいに行ったその相手は願いを必ずきっとかなえてくれると分かっている。だから、しきりに、必死にしつこく願っています。友だちのことを大事に思っているし、しかもこの人は神さまに! ちゃんと十分に信頼しているのです。この人は幸せ者です。
【補足/頭をやわらかく】
(*)『人を見て法を説く』教育法に、神は熟練しておられます。「持ち物全部を売り払って貧しい人に施せ」(ルカ18:18-)と誰彼かまわず命じたのではなく、財産や名誉に執着して自惚れも高すぎるあの彼だから特に、そう命じました。わずかな献げものを喜んでくださる主であり、何一つも求めない場合さえありました。主に同行した弟子もおり、現地に残された弟子もいました。信仰を誉められた者もあり、不信仰なままで恵みを受けた者たちも大勢います。