4/23 こども説教 ルカ11:27-28
『信じる人は恵まれている』
11:27 イエスがこう話しておられるとき、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。28
しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。(ルカ福音書 11:27-28)
ケンちゃん。神の国について、神を信じて生きて死ぬことについて、それがどんなに幸せで心強くて安心で嬉しいことであるのかを、その一番大切なことを、主イエスはずっと語りつづけていました。けれど、その女の人はちっとも聞いていませんでした。主イエスの言葉を聞き流しつづけて、だからトンチンカンなことを言い出しています。救い主を、なにかアイドル歌手か映画スターみたいなものだと思っていたのかも知れません。
はっきりおっしゃいました。28節、「いや、恵まれているのは、むしろ、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである」。その通りです。神である救い主イエスを信じて、その言葉を聞いて信じて、「ああ本当にそうだ」と受け止めることができるなら、主イエスを信じたことと、腹に収めた神の言葉が、その人を守りつづけます。その人が神の言葉を、ではなくで逆です。聞いて信じて腹に収めたはずの神の言葉が、その人の心と毎日毎日の在り方とを守ってくれます。いつでもどこでも何が起きても、その人を支えつづけ、助けつづけます。主イエスを信じることができるなら、その人たちは、このように神さまから良いものを受け取りつづけます。本当のことです。
【質問/私は、まだクリスチャンではありません。まだ理解が足りなすぎて洗礼を受ける勇気がありません。クリスチャンになるには、どんな気構えが必要ですか? それと、洗礼準備にはどんな学びがありますか?】
【お答え】 ①神がいる、と信じられるかどうか。②その神に信頼して、聞き従って生きる価値がある、と思えるかどうか。③そうしたいと自分が願うのかどうか。以上3点が明確なら、洗礼準備をし始めることができます。具体的には、その人と牧師との個別授業です。その中で、『どんな神さまなのか。人間とはどんな存在なのか。神は、どのようにして人間を救うのか。神を信じる人がどのように生きることができるのか』を、聖書のページをめくりながら、ご一緒に考えあいます。現実の教会生活の具体的で細々した点についても、後で困らないように、できるだけ説明します。その人の生活時間の都合によっては手短に準備を済ませたり、手紙やメールのやり取りで補ったり、あるいは時間をたくさんかけて、じっくり丁寧にする場合もあります。
クリスチャンとして生きてゆくことは、『山登り』に似ています。洗礼とその準備は、登山口です。そこで準備体操をし、リュックの中身を点検します。無事に最後まで歩ききることを願って、できるだけの準備を精一杯にするのです。じゃあ、あなたのリュックの中に何を入れておきましょうか。弁当。水筒。おやつ。着替え。地図。道中で様々な困難も予想できます。しっかりした、歩きやすい靴も必要です。足場の悪い道があると思えば、ロープも持ってゆくでしょう。雨合羽も。一緒に登る仲間や道案内があるなら、かなり心強いでしょうね。どうぞ、考えてみてください。