2015年11月24日火曜日

11/22こども説教「神の子キリストである!」マタイ26:57-68

 11/22 こども説教 マタイ26:57-68
  『神の子キリストである

26:63 そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのか どうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。64 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。    (マタイ 26:63-64)

  大人も子供も、どうぞよく聴いてください。
 救い主イエスが十字架につけられて殺されてしまう、その前の晩のことです。オリブ山で祈ったあと、主イエスは捕まえられました。弟子の裏切りや人々の悪巧みもあったけど、それは天の御父と独り子なる神イエスご自身のお考えとご計画によった。聖書に書いてある救いの約束が成し遂げられるために。そのために 救い主イエスの十字架の死と復活があった。さて、つかまえられて主イエスは裁判にかけられます。まず大祭司から、次にローマ帝国の役人代表のピラトから、次にヘロデ王から、最後にまたローマ役人ピラトからの裁判。証拠や材料を見つけることができなかったからです。それなのに、大勢の人々が「十字架につけろ、十字架につけろ」叫び続けたので、仕方なしに十字架の死刑にしました。そのことは旧約聖書に前もって書いてあって、神さまから、ずっと前に約束されていました。「間違った悪い裁判によって、救い主は、ちっとも悪くないのに殺される」(イザヤ書53:8-9,マタイ27:23参照)と。
  61節。裁判で「この人は、わたしは神の宮を打ち壊し、三日の後に建てることができると言いました」と証言されていました。これは、本当のことでした。救い主イエスの死と復活によって、このとおりに神さまの神殿は、つまり世界中のすべてのキリスト教会とこの上田教会もいったん打ち壊され、ただ建物ばかりじゃなく 一人一人のクリスチャン皆も打ち壊され、殺され、その三日目に主イエスの復活に率いられて、主イエスを土台として新しく建てあげられました。毎日毎日、新しく建て上げられつづけます(ヨハネ福音書2:19,使徒6:14,コリント手紙(1)3:10-17)。このことを覚えておいてください。

もう一つ、今日読んだ中でここが一番大切です。63-64節。「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」と大祭司が質問しました。主イエスははっきりと、こう答えました。「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子(=主イエスご自身のこと)が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。ここは聞き間違えのないように、はっきりと聴いておきましょう。「神の子なのか?」「そのとおり。わたしは神の子である」。この時までは、どんなに信仰深い清らかな人も、大祭司も、偉い王さまも誰一人「私は神の子である」などとは言えませんでしたし、言ってはいけませんでした。どうして? なぜなら、『カエルの子はカエル。人の子は人。神の子は神ご自身であるからです。神さまは神さま、人間は、どこまで行ってもただの人間にすぎない』というはっきりした区別の前に、人間はつつましい低い心をもったからです()。ですから、「私は神の子である」と主イエスが仰ったのはとんでもない爆弾発言でした。ドッカ~ンと、皆が驚きました。「それは神さまをバカにしている」とカンカンになって怒る人々がいました。信じない人たちが今でも沢山います。けれど本当のことです。
「救い主イエスは神さまだ。本当にそうだ」と信じることのできる人は幸いです。とても幸いです。


()『救い主イエスは神の独り子』である。しかも今では、『主イエスを信じる私たちも神の子供たちとされている』。これは、なかなか難しい理解ですね。しかも、とても大切。救い主イエスの救いのお働きを通して、主イエスを信じる私たちも今では本当に『神の子供たち』とされました(ローマ手紙 8:14-17,ガラテヤ手紙 4:8参照)。それでもなお『神の独り子イエス』という呼び方はつづけられます。ぼくを信仰に導いてくれた牧師は、いつもこう祈っていました、「イエス・キリストの父なる神さま。だからこそ、主イエスの御業を通して私たちをあなたの子供たちとして迎え入れ、養っていてくださる父よ」と。



 ◎とりなしの祈り
 父なる神さま。どうぞ私たちに、御子イエス・キリストの死と復活を堅く信じさせてください。救い主イエスが死んで復活してくださいましたから、この私たち自身もまた、古い罪の自分自身を殺していただき、葬り去っていただいて、そのようにして、あなたの御心にかなって生きようと願いはじめることができますように。罪と、自分自身の腹の思いの奴隷にされずに、ただただ、あなたの御心にこそ従って生きることができますように。そのようにして、キリストのものでありますこの上田教会と、キリストのものであります私たち一人一人を地のための塩、世のための光でありつづけさせてください。どうぞ、この一つの願いをかなえてください。
  小さな弱い自分たち自身であることをよく知らされています。それでもなお、あなたから委ねられ、託された務めを果たすことができるように、あなたからの助けと支えとを求めつづけ、また信じることができるようにさせてください。あなたは全世界の主であられ、すべての民をあなたの恵みのもとへと招き入れようとされ、それゆえ私たちの生活のすべての領域にあなたの力と憐れみとを及ぼそうとしておられます。世間の人々や周りの人間たちへの恐れにとりつかれて、心細く臆病な気持ちに私たちが押しつぶされそうになるとき、死に打ち勝ってくださった主イエスを思い起こし、その勝利にあずかっている自分自身であることを再び思い起こすことができますように。「天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」と確かな約束と保証を与えてくださった主イエスに十分な信頼を寄せ、このお独りの方から勇気と力と忍耐を受け取りつづけることができますように。この世のどんな支配者にも権力者にも膝を屈めず、あなたに聴き従いつづけて、あなたから新しい生命を受け取りつづけることができますように。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして主なる神を愛することができますように。また、隣人を自分自身のように愛し、尊ぶことのできる私たちにならせてください。あなたに仕える思いをもって、目の前の小さな一人の人に私たちが真心から仕えることができますように。
 主イエスのお名前によって祈ります。アーメン