2021年6月1日火曜日

5/30こども説教「わたしのように なってほしい」使徒26:28-32

 5/30 こども説教 使徒行伝26:28-32

 『わたしのように なってほしい』

 

26:28 アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。29 パウロが言った、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが」。30 それから、王も総督もベルニケも、また列席の人々も、みな立ちあがった。31 退場してから、互に語り合って言った、「あの人は、死や投獄に当るようなことをしてはいない」。32 そして、アグリッパがフェストに言った、「あの人は、カイザルに上訴していなかったら、ゆるされたであろうに」。

(使徒行伝26:28-32

 

 まず28節、「アグリッパがパウロに言った、『おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている』」。ほんの少しだけ神の福音について聞いただけなのに、危うくこの自分まで、救い主イエスを信じるクリスチャンにされてしまうところだったと、ユダヤ人の王アグリッパは、つい白状してしまいました。もう少しで信じてしまうところだったと。

 29節、「パウロが言った、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが」。わたしのようになってほしいというのは、神を信じるクリスチャンになることです。クリスチャンとして生きることの幸い、平安や、救いの恵みに、他の人たちにもあずからせてあげたい。なにしろ自分自身にとって、神を信じて生きることがとても幸せな嬉しいことだったので、他の人たちや、大切な家族や友人にも、なんとかして、その同じ幸いを分けてあげたいと願っています。私たちもそうです。30-31節、ユダヤ人の王がローマからの役人に語りかけていました、「あの人は、死や投獄に当るようなことをしてはいない。あの人は、カイザルに上訴していなかったら、ゆるされたであろうに」。そのとおりです。けれどパウロ自身は、「ゆるされないで、正式な裁判にかけられること」を、自分で最初から選び取っていました。「ゆるされずに、ローマまで送られて、そこで神の福音を述べ伝える」こと。それが、あらかじめ神から知らされている彼の役割23:11参照)であり、その役割を果たしたいと彼も心から願っています。