7/19 こども説教 使徒行伝18:12-17
『苦しめられることもある』
18:12 ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた、13 「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」。14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人たちに言った、「ユダヤ人諸君、何か不法行為とか、悪質の犯罪とかのことなら、わたしは当然、諸君の訴えを取り上げもしようが、15 これは諸君の言葉や名称や律法に関する問題なのだから、諸君みずから始末するがよかろう。わたしはそんな事の裁判人にはなりたくない」。16 こう言って、彼らを法廷から追いはらった。17 そこで、みんなの者は、会堂司ソステネを引き捕え、法廷の前で打ちたたいた。ガリオはそれに対して、そ知らぬ顔をしていた。 (使徒行伝18:12-17)
13節、「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」。ユダヤ人たちのこの訴えは間違った嘘の証言です。けれどローマの国から送られてきている総督は、話をちゃんと聴きもせずに、みんなを法廷から追い払い、わざわざ法廷の前でクリスチャンが殴ったり蹴られたりしても、知らんぷりをしています。自分には何の関係もないと。そういうえば、ポンテオ・ピラト総督も同じことをしていました。悪くなくても苦しめられることもあります。間違っていなくても、分かってもらえないこともあります。パウロも会堂長ソステネも、そして私たちも。
先週いっしょに読んだところで、パウロは神さまから励まされていました。「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」(9-10節)。コリントの町のクリスチャンたちはへこたれません。挫けずに辛抱して、持ちこたえ続けます。何度でも立ち上がりつづけます。パウロだけでなく、神の民とされた一人一人は、神さまから励まされつづけるからです。「恐れるな。私がついているから」と。励まされつづけて、だんだんと少しずつ神さまに信頼する心がその人の中で育って、強く大きくなっていくからです。その彼らのためにも、神さまが生きて働いておられるからです。