2018年8月7日火曜日

8/5こども説教「彼らをゆるしてください」ルカ23:26-38


 8/5 こども説教 ルカ23:26-38
 『彼らをゆるしてください』

     23:32 さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。33 されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。34 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。35 民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。36 兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、37 「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。38 イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。                        (ルカ福音書 23:32-38

  神さまにも、まわりにいる人間たちにも、ついつい逆らって「私が私が」と自分勝手になり、強情を張ってしまう私たちです。そのことを聖書は『罪』と言います。誰も彼もがとても悪い罪人です。また、そのことを『神に逆らう病気だ』とも主イエスは言いました(ルカ5:31-32健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」)。誰も彼もが、神に逆らう病気をもっています。罪をゆるしていただき、神に逆らう病気を治していただけなければ、誰も健康で元気な嬉しい人にはなれません。しかも神さまは、そういう私たちを可哀想に思って、「ぜひその病気を治してあげたい。ぜひその神に逆らう罪から自由にしてあげたい」と願ってくださいました。そのために、救い主イエスは十字架にかかりました。十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」34節)。自分が何をしているのか分からない。どこにどう足を踏みしめて立っているのか。自分が何者なのか。何のために生きているのか。どこへと向かっているのかもサッパリ分からない。だから、ゆるして救う必要があります。他の罪深い人たちを救うために、その代わりに 自分自身を救わないでおきました。自分自身を救うより、罪人であり病人である私たちを救うことを、主イエスは自分で選びとってくださいました。

    【補足/恵みの領域に立って】
救い主イエスはご自分の死と復活をもって、私たち罪人を神さまの憐れみのもとへと招き入れ、天の御父からのゆるしを私たちのものとしてくださいました。救い主イエスの生命と引き換えにゆるされた罪人として。ゆるされて、なお罪人である者同士として。「彼らをおゆるしください」というあの叫びは、ここにいるこの私たちの救いのためでした。「いいえ、私はあの十字架とは何の関係もない。たとえごくわずかに罪や落ち度があったとしても、私自身によってか他の何かの手段によって十分に埋め合わせをしている。しかも警察に捕まったことも留置所に入れられたこともない。ちゃんとやっているし、なんのやましいところもない私だ」という人は、ここに留まることができません。この、ゆるしを受けつつ生きる恵みの領域には。