2018年8月28日火曜日

8/26こども説教「イエスの葬り」ルカ23:50-56


 8/26 こども説教 ルカ23:50-56
 『主イエスの葬り』

23:50 ここに、ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。51 この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。52 この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、53 それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。54 この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。55 イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。56 そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ。              (ルカ福音書23:50-56

  ケンちゃん。救い主イエスが十字架につけられて殺され、墓に葬られました。やがて三日目に、墓の中からよみがえることになっています。さて、救い主イエスを墓に葬ったヨセフという人のことです。彼は「善良で正しい人だった」と書いてあります。どんなふうに善良だったのか、どこがどう正しかったのか。その中身は51節、彼が「神の国を待ち望んでいた」というただ一点です。「神の国」とは、神が王さまとして力を発揮し、王としての役割や仕事をきちんと果たし、国の隅から隅まで十分に心を配っているということです。つまり、神が生きて働いておられて、その働きとご支配の只中に自分自身も生きるということです。神を信じて、神の国を待ち望む人たちは、すでにもう、その神さまのお働きとご支配の中に生きています。その神さまのお働きとご支配の中に自分が置かれていることを知っているし、だからこそ 神さまの御心にかなって生きていきたいと願いながら、毎日毎日を生きています。主イエスが少し前に言いました、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」、また「神の国はあなたがたの只中にある」(マルコ福音書1:15,ルカ福音書17:21と。

    【補足/神の国,天国】
     「神の国」とは、神が王さまとして力を発揮し、王としての役割や仕事をきちんと果たし、国の隅から隅まで十分に心を配っているその領土です。その国に生きる者たちの幸いと希望は、王である神さまがどんなお方かにかかっています。十分に力があり、また慈しみ深い王であるなら、そこに住む住民は幸いです。つまり、神が生きて働いておられて、その働きとご支配の只中に自分自身も生きるということです。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」、また「神の国はあなたがたの只中にある」と主イエスが仰ったのは、神ご自身である主イエスご自身が地上に降りてこられ、その働きと力を私たちの上にも及ぼしはじめたからです。そこで「悔い改めて」とは、自分自身や周囲の人々の考え方ややり方、働きを第一とするモノの考え方や在り方をすっかり改めて、グルリと神へと向き直り、神のお働きと御心をこそ中心に据えて新しく生きはじめることです。そのようにして、神のご支配に服従して、御心にかなって生きようとする者たちが起こされています。