6/24 こども説教 ルカ22:39-46
『なぜ、なんのために祈るのか?』
22:39 イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。40 いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。41 そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、42 「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。43 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。44 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。45 祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって46 言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。 (ルカ福音書 22:39-46)
十字架につけられ、殺されてしまうその前の晩に、主イエスは祈りの格闘をなさいました。43-44節と、その祈りがどれほどのものだったのかも知らされています。御使いが支えて、力づけるのでなければ、すっかり弱り果ててしまうほどの厳しい祈りを。「苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちる」ほどの祈りを。救い主イエスは本当に神でありながら、同時に人間でもあられ、私たちと同じ弱さや危なっかしさをもご自分の身に引き受けておられるからです。十字架につけえれ、人々から見捨てられ、恥とあざけりの中で罪人の死を味わうことは、主イエスにとっても苦しく辛いことだったからです。それでもなお、「わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と、御父への信頼と従順の中に留まりつづけることは、苦しみ悶えて、血の汗をしたたらせつづけるような戦いであるからです。
しかも、その主イエスは弟子たちにも、「目を覚ましていて、同じように心底から必死になって祈りつづけなさい」とお命じになり、強く励ましつづけます(40,46節)。神さまに背かせようとする誘惑が、この私たちをも付け狙っているからです。神さまの支えなしには、誰一人も罪の誘惑に負けずに、神さまの恵みのもとに立ち続けることなどできないからです。ついつい眠っているうちに、神に逆らう罪の奴隷にされて、この私たちも、あまりに惨めで虚しい生き方へと転げ落ちてしまいかねないからです。それは恐ろしいことです。
【補足/弱く危うい者たちこそ、必死に祈りつづけよ】
弱く、案外に不信仰な自分であると自覚することができますか? それなら、あなたも祈りなさい。「悪魔の策略に対抗して立ちうるために・・・・・・祈りつづけなさい」「心は熱しているが、肉体が弱いのである」(エペソ手紙6:11-18,マタイ26:41参照)。