6/10 こども説教 ルカ22:31-34
『あなたが立ち直ったら』
22:31 シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。32 しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。33
シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。34 するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が泣くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。 (ルカ福音書 22:31-34)
主イエスがおっしゃるとおりです。
主イエスが十字架につけられて殺されると、弟子たちはサタンの誘惑を受け、麦のようにふるいにかけられて散らされます。けれどもシモン・ペテロは、主イエスからのこの大切な言葉を話半分に聞き流しています。「主よ私は獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」などと自分自身の決心と覚悟がどんなに堅くしっかりしているかと、そればかりを言い張ります。その決心や覚悟がどんなに堅くしっかりしていたとしても、たかだか人間の決心や覚悟などではサタンの誘惑に打ち勝つことなどできません。ペテロも私たちも、まずこのことを分かる必要があります。もし、主イエスが守ってくださるなら、それなら私たちは耐え忍んで堅く立ち続けることができます。そうでなければ、誰でも簡単に倒れてしまいます。
主イエスが彼のために祈り、支えてくださるので、ペテロは倒れても必ず立ち直ることができます。しかも32節、「あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」と命じられました。倒れて立ち直った後でなら、彼は兄弟たちを励ましたり力づけたり支えたりできる、今までとは違う新しい人間になっています。今までは自分の覚悟や決心が頼みの綱だったので、だから、自分自身をも他の誰をも力づけることも支えることもできませんでした。神ご自身の力とお働きを知って、それに信頼することを習い覚えた後でなら、ペテロも私たちも、弱い自分自身と、弱い仲間たちとを助けたり支えたりし合うことができるようになります。共々に、神さまにこそ十分な信頼を寄せながら。
【補足/立ち直る前と後】
取り柄も見所も山ほどある、大きなつもりの彼でした。その彼が自分を頼りとするのではなく神さまをこそ頼りとし、神をこそ頼みの綱として生きることは至難の業でした。自信もプライドも誇りも粉々に打ち砕かれ、ペシャンコにされるのでなければ、100年かかっても200年かかっても、神さまを頼りとすることなどできません。立ち直らせていただいた後、とうとう自分が何者かを知りました。「かつては神の民ではなかったが、今は、神の民である。憐れみを受けなかったが、今は、憐れみを受けている」(ペトロ手紙(1)2:10)。何しろ、神の憐れみを受けている。それが、新しく生まれさせていただいた彼と私たちの中身です。