1/9 こども説教 創世記 17:1-19
『アブラハムの不信仰』
17:1
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。2 わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。3 アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、4 「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。……9 神はまたアブラハムに言われた、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち10 男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。11 あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。12 あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。13 あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も必ず割礼を受けなければならない。こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。14 割礼を受けない男子、すなわち前の皮を切らない者はわたしの契約を破るゆえ、その人は民のうちから断たれるであろう」。15 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。16 わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。17 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。18 そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。19 神は言われた、「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。 (創世記
17:1-19)
【こども説教】
ここで神さまからのご命令によって、アブラムはアブラハムへ、サライはサラへと名前が変えられます。また男の子供たちは皆、神の民の一員に加えられたしるしとして「割礼(かつれい)」を受けることになります。。この割礼は、後に「洗礼」へと変えられ、受け継がれつづけます。救いの契約のしるしとしてです。
さて、アブラムはもうすぐ100歳、妻のサラは90歳になります。その2人に赤ちゃんが生まれると神から告げられて、アブラハムは信じることが出来ませんでした。17-18節、「アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、『百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか』。そしてアブラハムは神に言った、『どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように』」。100歳と90歳のおじいさんとおばあさんに、どうして赤ちゃんが生まれるでしょう。生まれるはずがありませんと、アブラハムは神の言葉をバカにして笑い飛ばしてしまいます。アブラハムは私たちの信仰の父であり、神を信じて生きることの手本とされる人です。「彼の信仰は弱らなかった。彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められた」(ローマ手紙4:19-20)と証言されます。それは、とても寛大で心優しい受け止め方です。実際には、彼の信仰も私たちの信仰もたびたび何度も何度も弱くなり、誰でも、何度も不信仰に陥って神の約束を疑います。けれど心優しく温かい神さまは、弱い私たちを放っておかず、信仰が弱くされるたびに強めてくださり、疑うたびにその疑いを拭い去り、その信仰がなくなってしまわないように守って、その信仰を強くしてださいます。
【大人のための留意点】
アブラハムは思わず失笑を禁じえませんでした。神はそのしもべの笑いをお聞きになります。だが意外なことに、神は彼をそのことでお咎めになりません。そのしもべの発作的な笑いを寛大な心で受け止められます(ヴァルター・リュティ『アブラハム 創世記連続講解説教集』該当箇所、新教出版社)。