4/4 こども説教 使徒行伝25:9-12
25:9 ところが、フェストはユダ ヤ人の歓心を買おうと思って、パウロにむかって言った、「おまえはエルサレムに上り、この事件に関し、わたしからそこで裁判を受けることを承知するか」。10 パウロは言った、「わたしは今、カイザルの法廷に立っています。わたしはこの法廷で裁判されるべきです。よくご承知のとおり、わたしはユダヤ人たちに、何も悪いことをしてはいません。11 もしわたしが悪いことをし、死に当るようなことをしているのなら、死を免れようとはしません。しかし、もし彼らの訴えることに、なんの根拠もないとすれば、だれもわたしを彼らに引き渡す権利はありません。わたしはカイザルに上訴します」。12 そこでフェストは、陪席の者たちと協議したうえ答えた、「おまえはカイザルに上訴を申し出た。カイザルのところに行くがよい」。
(使徒行伝25:9-12)
10-11節、「パウロは言った、『わたしは今、カイザルの法廷に立っています。わたしはこの法廷で裁判されるべきです。よくご承知のとおり、わたしはユダヤ人たちに、何も悪いことをしてはいません。もしわたしが悪いことをし、死に当るようなことをしているのなら、死を免れようとはしません。しかし、もし彼らの訴えることに、なんの根拠もないとすれば、だれもわたしを彼らに引き渡す権利はありません。わたしはカイザルに上訴します』」。カイザル(=ローマ皇帝)に上訴します、ととうとうパウロは言い出しました。これが、神から与えられていた彼の役割です。遠いローマの国まで運ばれてゆき、そこでローマ皇帝の法廷で、神の福音について公けに、できるだけ多くの人々に語り知らせること。なぜなら、その信仰はごく一部の土地で、ほんの少しの人々が聞いて信じるだけではまったく不十分です。世界中の多くの人々に告げ知らされねばなりません。このすべての世界と、すべての生き物たちにも神の祝福が及ぶためにです(創世記9:8-17,同12:1-3参照)。それこそが、最初からの神の救いの御計画であるからです。そのために私たちはクリスチャンとされたからです。