4/25 こども説教 使徒行伝26:1-8
『神が約束した希望』
26:1 アグリッパはパウロに、 「おまえ自身のことを話してもよい」と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。「……4 さて、わたしは若い時代には、初めから自国民の中で、またエルサレムで過ごしたのですが、そのころのわたしの生活ぶりは、ユダヤ人がみんなよく知っているところです。5 彼らはわたしを初めから知っているので、証言しようと思えばできるのですが、わたしは、わたしたちの宗教の最も厳格な派にしたがって、パリサイ人としての生活をしていたのです。6 今わたしは、神がわたしたちの先祖に約束なさった希望をいだいているために、裁判を受けているのであります。7 わたしたちの十二の部族は、夜昼、熱心に神に仕えて、その約束を得ようと望んでいるのです。王よ、この希望のために、わたしはユダヤ人から訴えられています。8 神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか。 (使徒行伝26:1-8)
ローマ帝国から遣わされた役人と、その植民地とされたユダヤの王の前で、パウロはキリスト教の信仰の中身がどういうものであるのかを説明しはじめました。それは同時に、ユダヤ人が神から約束され、信じ続けてきた希望でもあったのです。6-8節、「今わたしは、神がわたしたちの先祖に約束なさった希望をいだいているために、裁判を受けているのであります。わたしたちの十二の部族は、夜昼、熱心に神に仕えて、その約束を得ようと望んでいるのです。王よ、この希望のために、わたしはユダヤ人から訴えられています。神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか」。神が死人をよみがえらせることができる。そのように救い主イエスが父なる神の御力によって死人の中からよみがえらされた。救い主イエスに率いられて、この私たちも同じよみがえりの生命に生きる者とされること。なんでもおできになる神が、それをなさった。神にできないことは何一つもないし、そのうえ、その同じ神が私たちの味方であってくださる。これが、このキリスト教信仰の中身です。