11/8 こども説教 使徒行伝20:33-38
20:33 わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。34 あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。35 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。36 こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。37 みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、38 もう二度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った。 (使徒行伝20:33-38)
救い主イエスの弟子が、人々に別れを告げながら、これまで伝えてきた教えをもう一度おさらいしています。神を信じる者として、どのように働き、どのように毎日毎日の暮らしを生きることができるかということを。その教えによって彼らを励まし、しっかりと立たせるためにです。35節、「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。(1)弱い者を助けることと、(2)『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきこと。なぜ、とくにその2つなのか。主イエスは言葉で伝えてくださっただけでなく、むしろ、なされたその救いの御業をもって教えてくださったからです。(1)神が弱い者を憐れんで助けつづけています。あの彼らと私たちこそが、救い主イエスによって助けられた『弱い者』たちです。だから、していただいたのと同じように、弱く貧しく小さな者たちを助けるように命じられます。(2)父なる神さまは御子イエスをさえ惜しまず与えてくださいました。また、御子イエスこそがご自身のものを惜しまず、栄光も名誉や尊厳も投げ捨ててて、ご自分を低くなさって、十字架の上で救いの御業を成し遂げてくださいました(ローマ手紙8:32,ピリピ手紙2:6-11)。それを幸いだと喜んでくださいました。誰かに与えるとき、愛するとき、助けるときに、この私たちも、主イエスから多くを受け取ったことを思い起こすことができます。そのとき、この私たちも、神から受け取ってきた憐みと幸いを噛みしめ、喜び味わうことができます。